第6話 完璧な円
「女の方も、貰った掛け軸を大切に仕舞っていたのですが、ある日姑に見つかってしまいました」
「不貞がバレたのか」
「いいえ。これは縁起の良い掛け軸だから、夫婦の寝室の床の間に飾るように命ぜられただけです。そう、女は無事懐妊したんですよ」
「それって……」
「ご想像通りです。とは言っても、女の方も最初は気づいていませんでした。気づいたのは赤子の顔を見た時。でも、心の奥深くへ秘密を隠し、大層慈しんで育てました」
ふーっ、良かった。
でも、それじゃなんであの掛け軸は、あんなに危険な呪物になってしまったんだ!?
「話はこれで終わりではありませんよ」
「あ、なるほど」
安堵した俺の顔を、『おめでたい奴だな』とでも言うように薄ら笑いを浮かべながら見つめてくる優男。
声を落として話を続けた。
「僧侶の方は寺から出奔。ですが、流行り病で呆気なく亡くなってしまいました。彼女への想いを遺したまま」
おっと、暗い方へ転がり始めたぞ。
「結局、煩悩は捨てきれず。願いは叶わなかったってことか」
「物事の成り行きも、人の感情も、理想通りになんていきやしませんよ。ましてや、得られなかったモノへの執着は、ひときわ強くなるものです」
そう言って、円相の掛け軸を手に取った。
「彼女の方は第二子も授かることができました。共に男の子。これで武家の跡継ぎ問題は安泰。妻の役目を果たせて一安心」
「あのさ、彼女の方はどう思っていたんだ。僧侶の事は綺麗さっぱり忘れられたのか?」
「もちろん、女の方も未練を残していました。いや、寧ろ想いは募る一方。第一子を見つめる度僧侶を想い、掛け軸の前で旦那に抱かれる屈辱に涙する」
げげっ!
これは病むしかない展開。
俺の慄きに店主がニヤリと笑った。
「女は病み、第一子を猫可愛がりするようになりました。と言っても、当時の次男坊は冷遇されているのが常でしたからね、世間的にはそれほど目立つ事は無かったようですが」
「それで、誰が誰を殺すところを目撃したんだよ」
「……全く、せっかちですね。そんなんじゃ、女にモテませんよ」
うるせぇ。大きな御世話だ。
横で栄さんがニヤニヤと笑っている。
「女は次男を遠ざけたまま亡くなってしまいました。お家は長男が継ぎ、次男は養子縁組で他家に出ていたのですが……通夜の夜伽の際、母親の遺体へ取り縋って泣く次男を長男が注意したことから口論になり」
「次男が長男を殺したのか!?」
「ええ。その一部始終を、掛け軸は目撃していました。なす術も無く……」
「いや、掛け軸は何も出来なくても、通夜の夜なら他に人がいただろう?」
「案外ね、気づかれないんですよ。貴方だって、昨夜あっという間に死んだでしょう」
忌まわしい記憶が蘇る。
食い込む指先の感触を振り払うように吐き捨てた。
「俺は一人暮らしだからな」
「やっぱり、モテないんですね」
「悪かったな」
「別に。この世は不公平ですからね。悪い男のほうがモテますし」
「くっ、嫌味か」
「いいえ。ただ……心というモノは、本人ですら手に負えないと言いたかっただけです。簡単に怪物を育ててしまう」
妖男の瞳が悲しげに伏せられた。
「僧侶の執着愛、女の偏愛、兄の独占愛、弟の渇愛」
薄い桃色の唇をひと舐め。
「これだけの執念が不完全な円相に集まれば、別の意味で完璧な『円』になるんですよ」
囚われの檻。
ぐるぐると、いつまで経っても抜け出せない負のループ―――
「こうやって、呪物というモノは生まれてくるんです」
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