第21話 殺人者の正体


 地下三階、船前部。プロペラ管前。


 浸水してできたパイプの水路を抜け、砂長谷と縞野はようやく、山田の言っていたサイドスラスターへとたどり着いた。


 その大きな円柱型の塊は、外側が金属で覆われており、中心には人が一人通れるだけの小さなハッチが設けられていた。

 そしてすぐ横には、プロペラを回転させる装置がある。


 中を覗くことなく、それがサイドスラスターであることは間違いなかった。

 煙突とはまた別に、これほど巨大な金属の筒が船内にそう多くは存在しない。


「や、やった……ついに来たんだな、俺たち」

「うん、あのハッチを開ければ、きっと外に出られる」


 砂長谷は濡れた服を絞り、まずはプロペラが回っていないかどうかを先に確認した。

 もしプロペラがまだ生きていた場合、サイドスラスターを通ろうとした瞬間、スクリューに巻き込まれてバラバラになってしまう。


「よし、問題ない。あとはハッチが水面から顔を出してさえいれば、問題なく外に出られるはずだ」


 ハッチのバルブハンドルを緩め、安全のために取り付けられている施錠を外した。砂長谷が力強くハッチを押し込むと、ゆっくりと円柱の中身が露わになった。


「見ろ、縞野! 外だ!」


 まだ陽は落ちていないらしく、微かに暖かい太陽の光が差し込んでいた。


「良かった。サイドスラスターが水面からずっと出ているとは限らない、今のうちに外へ出よう」

「ちょ、ちょっと待ってよ砂長谷くん!

ま、まだ山田さんがきてないよ!」

「あ……そ、それは……」


 言い出しにくかった。縞野も既に気づいていることではあったが、その思考を無理やり殺していた。信じたいと、強く心の底で願っていたからだ。


 それは、もはや二重人格にも近いものだっただろう。理解していないように脳が錯覚している縞野に、真実を伝えるのは酷だった。


「山田は、あいつはもう帰ってこない。あの男は、死ぬ覚悟であそこに残ったんだ」

「そ、そんな……そんなの嘘だよ! 山田さんは私と約束した、絶対に追いつくって!」

「あれはお前を説得するための方便だ。縞野だって、本当はわかってるんだろう?ただ、頭がそれを理解しようとするのを止めている。山田がここに来るって、ただそう思いたいだけなんじゃないのか?」

「違う……違うよそれは。だって山田さんは、変わろとしていた。それなのに、死ぬなんておかしいよ」

「変わろうとして、奴はちゃんと変われたじゃないか。俺たちは、あいつの想いを踏みにじるわけにはいかない。だからこそ、ここで生き残らなきゃならないんだ!」


 諦めたのか、縞野はそれ以上は反論せず、絶望したように目を虚ろにし、口を閉ざしてしまった。

 そんな彼女に、砂長谷はどんな言葉をかけてあげればいいのか、わからなかった。

他人に関心のない少年に、人の心を理解するというのは、無理難題だった。


「酷いなぁ……私のことを忘れちゃうなんて」



 瞬間。縞野の体が突然何者かの強い力に引っ張られ、闇の中に連れ込まれた。

 咄嗟に、砂長谷が持っていたライトで照らす。するとそこには、縞野の首にナイフの刃を突き出し、手首を拘束する桐崎真夜の姿があった。


「良かった、二人とも生きてて。死んじゃってたらどうしようかと思ったよ」


 桐崎は不気味な笑みを浮かべ、抑揚のない口調で言葉を紡いだ。

 キャップ帽の下から覗く虚ろな瞳には、彼女らしくもない活力のようなものが見て取れた。


「おい、なんのつもりだよ!」

「見てわからない? 縞野さんを人質に取ってるの。だからそれらしいこと言うよ、動いたら縞野さんを殺す。助けたいなら、私の要求を呑んで指示に従って」

「ふざけんなよ、縞野を離せっ!」

「ちゃんと解放してあげるよ。君が私の求める答えを聞かせてくれたら」

「は、はぁ? 何言ってんだよ……お前」


 掠れた声で、砂長谷は問いかけた。


「話が進まないから、無視するね。あ、それと先に言っておくけど、私は本気だから。下手なことはしないでね」


 首に当たる冷ややかな感触に、縞野は体を震わせる。

 その様子にどこか満足感を覚えたのか、桐崎の表情が心なしか明るくなったように思えた。


「いいねぇ、その表情。やっぱり私は、縞野さんのことが好きで好きでたまらないよ。こんな人間の欠陥品、中々拝められないからね」

「縞野が、欠陥品だと?」

「そうだよ。この世にいるほとんどの人間がその類に属してる。その中でも、縞野さんは最も問題を抱えた出来損ないの生物だ。大好きで、大嫌いな、私が一番気になるクラスメイト」

「き、桐崎さん……それ、どういう意味?」


 縞野が口を開いた瞬間、桐崎の目つきが変わった。愛くるしい動物を見る目から、汚らわしい羽虫を蔑む視線へと。


「誰が喋っていいなんて言ったの? あなたはメインディッシュなんだから、勝手に言葉を発しないでくれる」


 同時にナイフの刃を立てられ、僅かながらに縞野の首筋から血が垂れる。


「待て、やめろ桐崎!」

「命令しないで。今、この空間を支配しているのは私なの。砂長谷くんは、私の問いに答えてくれさえすればいい。答えを導き出せたら、殺さないであげる」

「うっ、わ、わかったよ……し、従う」


 奥歯を噛み締めながら、砂長谷は不服そうに言った。


「はいはい、偉いよぉ、よくできました。さてと、まずは予習から入ろうか。わかってるかもしれないけど、先に教えとくね。三岳先生を殺したの、実は私なんだ」

「お、お前が……」


 恐ろしい想像が頭をかすめ、砂長谷の声が震えた。


「いま持ってる……このナイフだよ。私が三階で三岳先生を殺した凶器は……」


 桐崎はナイフを指で弄ぶように、ペタペタと平らな面を縞野の首に当てた。


「仮にそれが本当だったとして、どうしてお前が三岳を殺さなきゃならないんだ」

「あ、もしかして動機が知りたいの?はぁ、まったく、それは愚問だよ」

「愚問だと?」


 砂長谷が訊き返すと、桐崎はけらけら笑い始めた。何が面白いのか、理解できない。


「ここは地球のどこに浮かんでいるかもわからない船の上、そんなところに法やルールがあると思う? ないよね。なら、もうここは一種の無法地帯と言ってもいい。そんな空間で、むしろ殺さない理由の方が存在するの?」

「いったい、何を言ってるんだ、お前は」


 桐崎が何を伝えたいのか、砂長谷は少しだけ察してしまった。その恐ろしくも、非常に合理的な思考を。


「この船内では緊急避難が適用されるんだよ。もし三岳先生が猟奇犯に憧れていたとしたら、外の世界と別離したこの場所は最高の狩場になる。その可能性がないって、君ははっきり言い切れるの?」

「ありえないだろ、現実的に考えてそんなことは」

「うん、そうだ、たしかにありえない。でも僅かでも可能性がある限り、この証言は有効になる。つまり、仮に私が殺人者であることを知る者が生き残ったとしても、私を法の力では裁けない。それどころか、法そのものが私を守ってくれる。この意味、砂長谷くんなら理解できるよね」


 緊急避難、人より特別勉強ができるわけではない砂長谷も、それがなんなのかはある程度理解できていた。


 通常、人は人を殺せば殺人の罪に問われる。しかし、そうならない特例も存在するのだ。それが主に正当防衛や緊急避難である。

 危険を回避するため、やむを得ないと判断された場合、人が人を殺しても無罪となる法の一つだ。


 究極のところ、この船内は誰が誰を殺してもおかしくない無法地帯と言える。そしてそのためなら、己の身を守るという大義名分とともに、人を殺すことが法的に許されてしまう。

 桐崎はそれを利用し、仮に三岳殺しが公になったとしても、逃げ切ることが可能だと言っているのだ。


「まあ、この船は時期に沈むだろうし、遺体は永遠に上がってこないだろうけどね。ただ、私は別に無罪になりたいわけでも、完全犯罪をしたいわけでもない。あくまでも答えを知りたいだけなんだよ」

「だから、なんなんだよその答えって!」

「私こそが、正常な人間だという答えだよ」


 桐崎は不気味に目を細めた。

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