第20話 罪人の献身
真剣な顔つきで、真っ直ぐ夢路だけを見つめていた。
こちらに一瞥もくれることなく、山田は言葉を続けた。
「彼は僕が止める。君たち二人は、パイプの上を通って船の前部へ向かうんだ。大丈夫、ゆっくり進めば二人くらい支えられるさ。君たちは特別、体が大きいわけじゃないからね」
問題はそこではなかった。何故、山田が一人で残ろうとしているのかということだ。
「僕は二人をどうしても死なせたくない。だからお願いだ、先へ行ってくれ」
「ちょ、ちょっと待ってください! ど、どうして山田さんが残るんですか? い、いくらなんでも危険すぎます!」
「そのくらい承知の上さ。けど縞野さん、君にだけは絶対に死んでほしくないんだ」
「な、なんで……そこまで」
震える声で、縞野が訊いた。
山田はおもむろに虚空を眺め、神妙な面持ちで唇を動かした。
「僕は人殺しだ、この船が沈む原因だって、元はと言えば僕とその仲間たちによるものだ。けどそんな僕に対しても、君は救いたいと言ってくれた。人を殺しても、人は悪になったりしないと言ってくれた。あの言葉が、とても嬉しかったんだ」
語り出された山田の本音を二人は聞き入っていた。
ずっと己を固く閉ざしてきた、堅固な金庫のような山田が、初めて自分をさらけ出した。
「罪滅ぼしだとでも思ってくれればいいさ。今度は、誰かの役に立ちたいんだ。君たちと出会って、僕は人の優しさを知った」
「や、山田さん……」
「昔から、僕は人の悪意にばかり触れてきた。幼い日、両親が喧嘩離婚してね、僕は父親と二人で暮らすことになった。だが、どうやら僕は邪魔だったらしい。父親はすぐに女を作り、家にはほとんど帰ってこなかった。誰からも、必要とされることはなかったんだ」
己の歪んだ過去を、まるで頭の中に直接語りかけるように綴り始めた。
「だから嬉しいんだよ、生きて欲しいと言われたことが、何よりも。本当にありがとう、縞野さん。今度は僕の番だ。君たち二人を、どうか守らせて欲しい」
山田は落ちている細長い鉄パイプを拾い、夢路に向かって構えた。
「大丈夫、安心して。必ず、僕は二人に追いつくよ。出口で待っててくれ」
その言葉から嘘偽りは感じられなかったが、山田の瞳は、死ぬことも覚悟していることが強く伝わってきた。
「や、やっぱり無理です。わ、私は見捨ててなんて行けません! 残りますっ!」
「頼むから、わがままを言わないでくれよ。僕は君に死んでほしくないんだ」
「で、でも……」
頑なに拒む縞野の手を、砂長谷は優しく掴んだ。
「行くぞ、山田の覚悟を無駄にするな」
「す、砂長谷くんまで……」
「俺はこの男を信じる……ただそれだけだ」
そうこうしているうちに、夢路がダクトを伝ってすぐ近くまで迫っていた。
「うっ、すみません、山田さん。必ず生きて、追いついて来てくださいね」
「ああ、約束しよう。砂長谷くん、縞野さんを頼んだよ」
「任せろ。あんたも……絶対に死ぬなよ」
山田は黙って頷いた。
それを最後に、砂長谷たちは一切振り向くことなく、パイプの上を進んで行った。
振り返ることが、無意識に怖かったのだ。もう一度視線を向けて、山田がそこにいるのかどうか、自信が持てなかった。不安が、精神を支配していた。
山田は心臓の鼓動を激しく鳴らしながら、二人の姿が消えていくのを眺めていた。
「おい、ふざけんなよ。何で部外者のてめぇが残ってんだ、あぁ? こっちはなぁ、修学旅行で来てんだ、あいつら二人をぶっ壊さなきゃなんねぇんだよ! 邪魔すんじゃねぇ、気分が悪くなっちまうだろうが!」
夢路は意味不明な理由で怒り、声を荒げて叫んだ。
全身の火傷が響いているのか、その声は僅かに掠れている。
「悪いけど、この先には行かせないよ。僕はここで君を止める。そしてもちろん、生き残ってみせるよ。二人との、約束だからね」
山田はふてぶてしく笑った。だが、その言葉に嘘が混じっていることを、夢路は直感的に見抜いていた。
「くはは、こりゃ驚いた、お前死ぬ気かよ」
小馬鹿にしたように、下卑た笑みを浮かべる夢路。
真意を言い当てられたためか、山田は眉根を寄せた。
「聞こえなかったのか? 僕は、生きて必ず彼らの元に行くと、そう言ったんだが」
「やめとけ、てめぇは俺と同じだ。自分なんてもうどうでもいいと思ってやがる。あの二人のために俺と、ここで刺し違えるつもりなんだろう?」
「心外だな、君と同じにされるなんて」
「ばぁか、んなことはてめぇが一番よくわかってんだろうが。いちいち白々しいんだよ」
夢路は顎を突き上げ、見下したように吐き捨てた。
「残念だが、僕は君みたいに誰かを道連れにしようだなんて思っていない」
「適当言ってんじゃねぇ! 現に今、てめぇは俺と心中するつもりでいやがるだろ!」
「ふ、妄想が過ぎるな。僕は君ほど、想像力が豊かな方じゃないんだ。生憎、目先のことしか考えられなくてね。深読みは、あまりオススメしないよ」
「ちっ、澄ました顔しやがって……イライラするなぁ、てめぇ」
夢路は葉をギリギリと鳴らしながら、山田を鋭く睨んだ。明らかな苛立ち、そして殺意に近い怒りが現れている。
「嫌なら殺せばいい。今までも、君はそうしてきたんだろう?」
「くはは、死にたがりのポンコツが、なら望み通り殺してやるさ」
夢路が振り下ろした斧を、山田は持っていた鉄パイプで受け止める。だが、力は夢路の方が強く、鉄パイプが手から落とされてしまった。
「んだぁ、大したことねぇじゃんかよぉ、青二才がぁ!」
「って、君のが若いじゃないか」
瞬間。まるで船が生きているかのように震え始めた。その揺れでバランスを崩してしまい、咄嗟に近くのはしごに手をかけた。
山田も体を低くし、できる限り振動に耐える。
しばらくして揺れは収まったが、もう船が沈むのも時間の問題だった。
「今のはやべぇな、こりゃもうタイムリミットってところか」
揺れは短いが、その規模は最初の頃よりも大きくなっている。船が沈む前兆のように感じられた。
瞬間、足元が僅かながらに浸水し始める。
その時山田は、夢路が体勢を崩した際に落としてしまったライターを見つけ、揺れのどさくさに紛れて拾っていた。
「君、いい物を持ってるじゃないか。ありがたく使われてもらうよ」
「あぁ? んなもん何に使うってんだよ。まさかこの状況で一服でもすんのか?」
「おつむが利口な君なら、すぐ理解できると思うよ」
不敵に笑いながら、山田は機関部の壁際まで進み、燃料ホースのノズルを緩め始めた。
「なっ! て、てめぇ、いったい何をしてやがんだっ!」
「君を確実に破滅させる仕掛け作り……かな」
燃料ホースを外し、ダバダバと辺り一面に撒き始める。
「ま、まさか、やめろバカ! てめぇ、んなことしてみやがれ! この船の沈没を後押しする行為だぞ!」
「大丈夫さ、君を殺すくらいなら、そんなに大きい規模は必要ないよ」
山田はライターの火をつけ、それを空中へと放った。
刹那、鼓膜に痛みをおぼえるほどの轟音が響き渡り、巨大な火柱が出現していた。
激しい爆風と炎が夢路を襲った。不安定だったパイプは吹き飛び、山田自身も後方へと転がった。
炎はまるで生き物のようにうねり、天井になっている床付近まで立ち昇る。
「ぐあああぁ……ああああああぁっ!」
夢路は悶え苦しみながら、悲鳴を轟かせた。
同じ日に二度も、それも違う人物の手によって焼かれた。皮膚呼吸もままならないその体に、追い討ちをかけるように灼熱の業火が包む。
「は、ははは……これでもうパイプの上を通って進むことはできない。あとはお互い、海に飲み込まれるのを待つだけだ」
最初から、山田にはまともに闘うつもりなどさらさらなかったのだ。
足場を壊し、夢路の退路を断つ。進むも地獄、戻るも地獄。浸水している区間を泳ぎ、海水が流れて来ている穴を通れば、別の区画に移動することも可能だ。しかし、それはあまりにも危険、かつ非現実的である。浸水がどこまで進んでいるかわからない状況で、人が通れる穴を探すのは至難だ。プロの水中パフォーマーならまだしも、一般人となれば更に困難を要する。ましてや二人は重傷者だ、まともに泳ぐことすら叶わない。ダクトやパイプを失った時点で、二人はもう詰んでいた。
「ごめんね、縞野さん、砂長谷くん。嘘をついたこと、どうか許してくれ。でも、もしこれで君たちが生き残れるのなら、もう悔いはない」
次第に水かさは増し、山田の体は海に沈んでいった。水面は漏れた燃料で覆われ、文字通り火の海だった。
まさに地獄に落ちる人間に相応しい最期だと、山田は自身の死を悟った。砂長谷と縞野に、生きる希望を託し、安らかな表情で目を閉じた。
「くそがっ! ふざけんじゃねぇっ! こんなところで、死んでたまるか!」
夢路は最後まで醜く水の中でもがいていたが、やがて力尽き、動かなくなっていった。
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