第19話 執拗なる鬼
地上一階、医務室。
船がひっくり返ってしまったことで、薬品の容器やらが散乱し、異様な匂いが充満していた。
割れたガラスの破片で、歩けば怪我をしてしまうほどに荒れ果てている。
ガシャガシャと物を衝突させる音と、激しい誰かの息遣いが、室内に響き渡っていた。
「はぁ……はぁ……シルバディンってのはこいつであってんのかぁ? まあでも、それっぽいの全部塗っときゃ問題ねぇだろ……」
鬼火のように彷徨うライターの火を頼りに、何者かが医務室を物色していた。
全身大火傷を負っており、見るに耐えない姿をしていた。
地下一階にて、自棄を孕んだ東に抱きつかれ、纏っていた炎を全身に浴びせられてしまった夢路秀は、その足で地上四階の中央階段から地上一階まで歩いてきたのだ。
幸いなことに、四階から三階は既に浸水していたため、炎は鎮火していた。
苦しそうに掠れた息を漏らしながら、焼け爛れた皮膚へとクリーム状の薬品を塗っている。
「いってぇ、気が飛びそうだぜ。こりゃ、もうほとんどもたねぇな。てめぇが一番わかってやがるぜ、死が近いってことをよぉ。あれか、これが悟りってやつなのかぁ……」
独り言を長々と話しながら、夢路は医務室を後にする。
体全体に包帯を巻き、布の隙間から痛々しい火傷後が覗いている。
頭の上から酒を被らされたため、それが下半身まで垂れて炎が燃え広がってしまったのだ。
吐血しながら、残っている僅かな力で船内を進み、地下階へと上がってきた。
その足取りは、全身の怪我と疲労に見合わないほど軽かった。
それは本人が最も驚愕していたが、次第に奇妙な体の働きを受け入れていく。
「なんだよ、いったい何を期待してやがるんだ俺はぁ。楽しいぜ、最高に楽しいぜ。俺にはわかる、こんなところで死ねねぇ。どんなに痛くたって、苦しくたって、生きてりゃ文句はねぇからよぉ。くはははっ、くはははははっ!」
段々と体に活力がみなぎっていき、足取りはさらに早くなる。
夢路はこの先にまだ生存者がいると、直感から理解した。
その時は既に、もう彼は生き残ることなど眼中になく、誰かをより多く道連れにすることだけを考えていた。
地下一階の中央階段にたどり着くと、そこで死んでいる東の焼死体を一瞥する。
「くはっ! ざまぁねぇな。だが、雑魚なりに俺を楽しませてくれたことは感謝するぜぇ。今の俺は絶好調、最高にハイだからよぉ」
夢路は白い歯を覗かせる。
落ちている斧と警棒を装備し、夢路は地下一階の後部へと向かった。
目指すはここよりさらに地下、残っている生存者が集結していると思われる地下三階だ。
寄声にも近い笑い声を発しながら、夢路は後部階段を駆け上がった。ライターの火だけで視界が乏しいというのに、彼からは既に恐れが消えていた。
やがて後部階段の最終地点、地下三階へとたどり着く。
今まで以上に足場の状態は悪く、まともに人間が通れる場所ではなかった。
特に内部の階段は破損が酷く、進むには入り組んだダクトを使う必要があった。
サイドスラスターの存在を知らない夢路は、機関室を目指して船の煙突へと向かった。外見と違い、中に大小様々な排気用パイプが通っているため、四角い形をしていた。
パイプのハッチを開け、中を伝っているはしごを上って行った。
「ちっ……もうちょっと船のことを学習しておくんだったぜ。まあ、こんなビッグイベントは想定外だがよぉ……」
煙突の最奥地には、エンジンルームへと続く排気口の入口があった。だが惜しいことに、外から当然のごとくロックがかかっており、先には進めないようになっていた。
「ここはダメか。他の奴はもう、この地下三階に到達してるはず、もたもたしてたら逃げられちまう。んなこと誰がさせるか」
自身の最期より、生存者を逃してしまうことを危惧する夢路。
「くははっ、あともう一個くらい爆弾があれば最高だったのになぁ。ったく、気の利かねぇテロリスト共だぜ」
煙突を抜け出ると、今度は浸水している水密区画へと足を向けた。
他に脱出するためのルートがあるとしたら、船の前部だけだ。
機関部の周辺は、既に膝下まで浸水していた。爆発でできた穴が近いことが、彼にもすぐわかった。
テロリストが最初に爆弾を仕掛けるなら、機関部が最も望ましい。
夢路が歩いている場所は排気ダクトの集合部にあたり、色々なパイプやダクトが合流していた。
そのパイプの一つに、数人の男女が集まっているのが見えた。
どうやら浮いているだけで強度のないパイプの上を、一人ずつ歩いて進むつもりらしい。
その中の二人は、夢路のよく知る人物だった。
夢路は歓喜で目を見開き、口の端をあげた。口から唾液をこぼし、奇声を上げて近場のダクトに飛び乗った。
その瞬間、相手からも夢路の存在を視認される。
三人は、まるで死者を見るかのように目を丸くして驚いていた。
「ゆ、夢路くん……なの?」
包帯で全身を覆った男に、三人のうちの一人である縞野が、自信なさそうに問いかけた。
東によって大火傷を負わされた夢路は、目と口以外、まともに確認できる顔のパーツは存在していなかった。彼にとって最大の特徴であった真っ赤な髪も、無造作に巻かれた包帯が主張の邪魔をしている。
夢路は汚らしく舌を出し、嬉しそうに答えた。
「縞野ぉ……生きてたんだなぁ、てめぇも。貧弱でアマちゃんのクソガキのくせに、よくもまあ今まで生きてこれたなぁ。てめぇの綺麗な体がボロボロになってくれてるとこ、見てみたかったのによぉ。やっぱ、他人任せじゃダメってことかぁ……なぁ?」
肯定せずとも、その口調と声から、夢路本人であることがよくわかる。風貌こそ悲惨なものだが、普段の彼からは全く変わっていなかった。
「隣にいるのは……クラスで浮いてたぼっち野郎じゃねぇか。名前は……えーっと……誰だっけなぁ。悪い、忘れちまったよ」
「はは、嘘つけ、最初から覚えてねぇだろ。俺のことなんか」
冷や汗を流しながらも、精一杯の余裕を見せながら、砂長谷は答えた。
授業でも文化祭でも修学旅行でも、砂長谷と夢路が会話をすることなどなかった。札付きの不良生徒として知られる夢路とでは、相性は最悪だ。
「隣にいる野郎はどこのどいつだ? てめぇ、相馬のバカと一緒にいた奴だよなぁ? 一緒に殺してやりたかったが、生まれながらに女のケツを追う性分でよぉ、反射的に見逃しちまった」
「じゃ、じゃあ、相馬を殺したのはやっぱりお前なのか、夢路!」
「ああ、そうさ。あいつが三岳を殺した可能性だってあったからなぁ、危険因子は排除して当然だろう?」
「桐崎はどうした? 生きてんだろうなぁ!」
「そう喚くな、桐崎ってのは相馬と一緒にいたキャップ帽の女か?あいつには逃げられちまったよ、途中で東の野郎が来たんだ。あいつと遊んじまって、地上階まで戻されたからよぉ」
「ま、まさか、中央階段の側で燃えてたのは、あの東か?」
「そうだ。俺があいつを、モンスターにしてやった。三岳の横に拘束して、俺の憎悪を強め、最高の殺し合いをさせてもらった。結果、俺は生き残り、あいつは死んだ。中々に楽しかったぜ」
人を殺めたことを誇らしく、まるで武勇伝のように語る夢路。
それは元々、彼が持つ性格の問題もあっただろうが、全ては三岳が殺されたことに繋がっていた。
夢路もあの死体を見て気づいたのだ、あれがテロリストによるものではなく、三岳と親しい関係にある人物の仕業だと。
東を拘束したのも、相馬を殺したのも、全ては犯人候補を潰していくためでもあった。そのことをすぐに砂長谷は察した。
三岳殺しが疑心暗鬼の空間を作り、更なる殺し合いを招いてしまった。もしかしたら、三岳さえ誰かに殺されることがなければ、こんなことにはなっていなかったかもしれない。
砂長谷には、夢路がどうも嘘をついているようには感じられなかった。
山田の言葉を信じるなら、山田も三岳殺しの容疑者からは除外されていく。次第に、殺人者の正体が浮かび上がりつつあった。
「さぁて、縞野は最後のお楽しみに取って置くとして、まずはてめぇに死んでもらうか。ぼっちの根暗野郎」
「おいおい、それってまさか俺のことか?悪いけど、俺にはちゃんと砂長谷陣って名前があるんだぜ」
「くはっ! 悪い、覚える気もねぇんだ。今から死んじまうてめぇなんかの名前はよぉ」
夢路はゆっくりダクトを伝って、砂長谷たちへと歩み寄る。
すぐに逃げれば追いつかれる距離ではなかったが、逃げ道となるパイプは不安定な状態故、人が二人以上乗って走り抜けるのは危険だった。
だが、他の逃げ道は既に浸水してしまっている可能性が高く、無理に泳いで行くのは自殺行為に近かった。そのうえ、これ以上サイドスラスターから離れることも許されない状態だ。まさに絶体絶命である。
「縞野、お前だけでも行け。女のお前なら、パイプの上を走っても問題ないはずだ」
「そ、そんな! 二人を置いて行くなんて、そんなの絶対にできないよっ!」
「ならここで全員死ぬか? 夢路は本気だ、今更話なんて聞いちゃくれない。今はこれが最善の手なんだ!」
「嘘だ! そんなの違うよ! 誰かが犠牲になることが最善だなんて私は絶対に思わない!」
「この状況だぞ、考えろっ! 他に選択肢なんてもんはありゃしないんだっ!」
砂長谷は思わず感情的になり、声を張り上げた。
「いや……行くのは君たち二人だ」
耳に流れてきたのは、山田の声だった。
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