第17話 紅蓮の獣
手錠で繋がれた取っ手を壊し、自力で脱出して船体下層部まで上ってきたのだ。
見てくれはあまり変わっていなかったが、何故か今までの東とは別人に感じられるほどに見違えていた。
「期待以上だぜ、東よぉ……てめぇ、しっかり狼の面になってやがんじゃねぇか。くはっ、待ってたぜ、お前みたいな野郎が来るのを。羊を追い回すのにも飽きてきた頃なんだよ」
「そりゃ良かった。言われた通り、殺しに来てあげたんだ、褒めてもらわないと割に合わないよ。結構大変だったんだからね、ここまで上ってくるの」
東は壊れたからくり人形のように、カクカクと体をくねらせ、気味の悪い笑みを向けた。
「ほんと、明かりもなしによくここまで辿りつけたもんだ」
「自分でも不思議だよ。何故だかはわからないけど、前よりはっきり見えるんだ。なんだか猫にでもなった気分さ」
まさにその瞳は、夜行性の獣そのものだった。知性を持った怪物、これほど厄介な相手はいない。
だがそんな中、夢路は逆に歓喜していた。自身の望む空間、人間へと変貌していく様子がたまらなく楽しかった。
「途中、誰かに会わなかったか? たしか、メガネの優男を一人、仕留めそこなってる」
「わからない。とにかく、僕は君を殺したかったから、他の誰かには目もくれなかったよ。でもそうだな、来る途中、階段付近で数人が話をしていたような気がしたよ。明かりも一つあったしね」
「あー、じゃあ他にも生き残ってる野郎がいたみたいだな。どうせ、相馬のバカが死んでるのを見て、ゲロでも吐いてんだろ」
「へぇ、相馬くんがいたんだ。もしかして、君が殺したの? まあ、今更どうでもいいか。どうせここで、どっちかは死ぬんだからさぁ」
その瞬間。東の目に、明らかな殺意が宿った。
夢路の体にピリピリと伝わってくる。
「くはは、そうだよ、こうでないと修学旅行の意味がねぇ。ただ残念だぜ、俺たち生徒の成長を、くそうぜぇ大人どもに見せられねぇことがなぁ!」
夢路は雄叫びと同時に、血まみれの斧で斬りかかった。東はわざと体勢を崩し、その攻撃を無駄の多い動きでかわす。足元が不安定なため、東は倒れて手をついてしまう。その隙を狙い、続けて夢路が二撃目を繰り出そうとするが、東は夢路の足を掴み、踏み込みを妨害することでそれを防いだ。
そのままバランスを崩された夢路は、勢いよく後方へ倒れ込み、尻餅をついた。
本来、貧弱で運動神経の悪い東が、肉体派の夢路に戦闘で敵うはずはない。しかし、この時の東はまるで別人のように、夢路と渡り合っていた。
まるで、沈没間際の船内という異常な空間が、東の力を極限まで引き出しているかのようだった。
「おいおい、お前本当にあの東か? ギャップにびびって油断しちまったぜ」
「いやぁ、僕もビックリしてるんだよ。何の取り柄もなく、特に秀でた才能もない僕が、君を殺せるかもしれないって思うと、これが現実だなんて信じられないよ」
興奮と感動から、東は体を小刻みに震わせる。
「でもまだまだ、俺には到底及ばないな。非力なのは相変わらずだ」
「ああ、そうだね。けど、もう躊躇することはなくなったよ」
振り上げられた東の手には、夢路が去り際に渡した警棒が握られていた。
そしてそのまま、夢路の頭を砕き割るほどの勢いで、警棒が上から振り下ろされる。
夢路は難なくそれを避けたが、東からは既に、相手を殺してしまうことへの躊躇いの感情は消え失せていた。
もう人には戻れない領域まで、両足を突っ込んでいる。
思わず、夢路の頬が緩む。相手が本気で自分を殺しに来てくれるということに、心の底から感動していたのだ。
「そんな警棒ごときで、俺に勝てるわけねぇ。何か策くらい用意してきてんだろ?なぁ!」
「ひひ、当然だよ。きっと小躍りして喜ぶよ。僕から君への、最高のプレゼントだからね」
東は白い歯をこぼしながら、ゆらゆらと立ち上がった。腕の手錠に括り付けたロープを引っ張り、何かが大量に詰まった大きな袋を持ってくる。
「なんだそれ、どっかのくたばってる野郎からくすねてきたのか?」
「一階の厨房から拝借してきたんだよ。実は結構、色々な物が入ってるよ。ふひ、ひひひひ」
「んだそりゃ、秘密兵器かなんかか? もやしなりに、この俺をぶち殺す浅知恵を絞り出したってところかぁ?」
「そういうことだよ、ふひひひ……」
袋から何かを取り出した東は、それを夢路目掛けて投げつけた。暗闇の中、ライトの光を頼りに行動していたため、咄嗟にそれが何なのかは判断できなかった。
しかし、それが危険な物である可能性は十分にあったため、夢路は反射的に持っていた斧で飛んできた何かを砕き割った。
瞬間。謎の液体が頭から降りかかった。夢路が破壊した物は、中に液体が詰まった容器か何かだったのだ。
「てめぇ、いったい何しやがるっ! んだこれ、水か?」
夢路は激昂し、声を張り上げた。
彼が常人より口が悪いということもあったが、暗闇の中、何かわからない液体を頭から被らされる気持ちを考えれば、怒りを露わにするのは誰であっても同じだろう。
見えない恐怖は、より潔癖感を強くする。
「まだまだ、これだけじゃ終わらないよ。ここからが一番面白いんだからさ」
東は袋の中から酒瓶を取り出し、それを頭を上から被った。
「酒? てことはまさか、俺にぶっかけたのも」
「そう、お酒さ。無事に残っているものはあまりなかったけど、必要な分は確保できたかな。よーく、見ててごらん」
次の瞬間。予想外の光景に、夢路でさえ目を剥いた。東はポケットから出したライターで、あろうことか自身に火をつけ始めたのだ。
「ふっ、ふひゃっ! ふひゃひゃひゃっ! 熱い! 熱いよっ! 全身が焼けていく、熱くて痛くて、どうにかなっちゃいそうだ!」
狂気を孕んだ行動に、夢路は僅かながらに動揺したが、すぐにそれは喜びへと変わった。
何をしてくるかわからない予測不可能な事態、他では決して味わえないことだ。期待以上に壊れてしまった東に、感謝の気持ちさえ湧いてきた。
「来いよ、もっと俺を楽しませろっ! あぁずまあぁっ!」
夢路の叫び声と同時に、東が炎を纏って飛びかかった。
自身もろとも、夢路を焼き殺すつもりなのだ。
ただでさえ足場が不安定なため、完全に避けきることができなかった。
東に頭を掴まれ、夢路へと炎が燃え移る。その瞬間、彼の頭は勢いよく炎上した。
まるで炎が生きているかのように、新たな巣へと移り住む。先ほど東が投げたのは、アルコール濃度の高い酒瓶だったのだ。それを頭から被ってしまった夢路は、うねり狂う炎に顔を焼かれていった。
「うぐあああああああああああっ!」
濁った悲鳴を轟かせ、夢路はその場をのたうち回る。
「ふひ、ふひひひひ……ど、どうだぁ? 灼熱の炎の味はぁ……
激痛に苦しむ夢路と違い、東は楽しそうに笑い声を上げた。
炎の痛みをもろともせず、焼かれながらも意識ははっきりしている。
「終わりだ、夢路。君はここで死ぬ、僕みたいな弱者に殺されて死ぬんだよぉ!」
次第に彼の周りを炎が包んでいく。夢路に一矢報いることができて満足したのか、東の笑い声は最後まで止むことなく続いた。彼が、焼死するまで。
「ああああっ! くそぉ! いてぇっ! いってぇよぉ!」
夢路は叫びながらも、必死にその場を這い進んでいた。中央階段へとたどり着くと、ゆらゆらとその身を重力に委ねた。中央階段は下の地上階と繋がっており、夢路は海水で満たされている四階まで落ちた。水しぶきが上がり、彼の体は次第に沈んでいった。
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