第16話 共喰い


 地下一階、後部。


 目つきの悪い少年は、自身の髪と同じく真っ赤に染まっている非常用の斧を握りしめていた。もう片方の手に持ったライトで先を照らしながら、少年は歪んだ笑みを浮かべて歩いていた。

 やがて、その視線の先に後部階段が姿を現す。


「あの女、名前なんて言ったかな? 意外と足が速いじゃねぇか」


 夢路秀は、獲物を追い詰めて狩る楽しさに、このうえない愉悦を感じていた。

 己が強者となり、弱者を食い物にする。その快楽がなによりも心地良かった。


 彼は三階に東を置き去りにし、その足で真っ直ぐ地下階へとやって来た。途中で寄り道することなく進んでいたため、砂長谷たちのグループとエンカウントすることはなかった。だが、追い抜いたはずの砂長谷たちのグループが二つに分かれ、そのうちの一つに属する相馬たちに彼は目をつけた。


 話し声から、すぐにそれが誰なのかは理解できた。夢路は以前から、クラス内で相馬と対立することが多かった。故に、その声の主を一瞬で見抜いた。


 同時に、クラスメイトを殺せるかもしれない欲求に駆られ、わざとライトを消し、闇夜に紛れて相馬たちに襲いかかったのだ。

 この船内で起きたことは、公になることは決してない。何故なら自分以外のその他を全員殺して、夢路は己だけが生き残ろうとしていたからだ。


 今の彼にあるのは、この異常な空間をより完璧に楽しむことだった。最初こそ、誰かを犠牲にしてでも生き残ることだけを考えていたが、次第に彼の目的は変化していった。


 三岳の死体を見た瞬間、船内にいる何者かが、味方のふりをして殺人を楽しんでいるんだと察した。その瞬間、彼の中である悪巧みが始まったのだ。


 殺人者が誰かはわからないが、間違いなくその人物は殺し合いの空間を求めている。そう直感した。なら自分もその土俵に乗り、殺し合いの空間を加速させてやろう、そんな歪んだ思想への共感が、夢路を変えた。


 それは、今まで自分が体験することのなかった命がけのサバイバルだ。ただ船内から脱出するだけでは、刺激として不十分だった。

 周りは全て敵であり、クリアの条件は己のみが生き残ること、それこそ最高のスパイスだ。まるでゲームのような感覚で、夢路は殺人者に同調した。


 退屈な日常に刺激を求め続けた彼には、クラスメイトとの殺し合いが、人生で最も輝く瞬間だった。

 そのためにわざと東を置き去りにし、抜け出せるチャンスまで与えた。彼をモンスターへと変え、自身の望む世界の一部にするために。


 相馬に手をかけたのも、その一つだった。この船内が殺し合いの空間に変われば、より一層この時間を楽しむことができる。

 それだけが活力であり、行動理念だった。


「相馬のやつはあっけなかったが、今度の獲物は割と長生きじゃねぇか。くく、助かるぜ。せっかくのお楽しみだってのに、早く終わりすぎちゃ興ざめだからなぁ」


 血で染まった斧を見るたびに、彼を殺した時の感覚が蘇ってきた。首筋に歯を切り込ませた瞬間の感触、人を壊すというものがどういうことなのか、夢路は初めて知ることができた。


 今まで、誰かを恐怖と暴力によって支配してきたことは何度かあった。だが、誰かを一方的に殺したことなどはなかったのだ。人間社会で生きていく以上、簡単に人は殺せない。しかし、この異常な空間はそれを許した。生身の人間をこの手で殺せる。夢路にとっては、もはや感動を覚えるレベルだった。


「退屈しない。極限の状態で、邪魔な連中を一人残らず殺し、俺だけが生還者となる道。それを開拓することが、これほどまでにハッピーだったとはなぁ」


 絶海に浮かぶ船の上、法のない空間はまさに無法地帯だった。

 夢路はそれを利用し、己の行いを肯定していたのだ。


「今まで散々イライラしてたんだ、もっと苦しませても良かったかもな、あのいい子ちゃんの相馬にはよぉ。一瞬で殺すんじゃもったいなかったぜ。だが、羊で終わってるようなてめぇらが悪いのさ、生き残りたきゃ狼にならねぇとダメだ。それがこの船の上の、新しい秩序なんだよぉ! くははは、くはははははっ!」


 弱者を刈り取る一匹の捕食者は、狂ったかのように笑い始めた。

 今の状況が、楽しくて楽しくて仕方がなかったのだ。しかし、その笑みは次第に崩れ、不満な表情へと変化した。


「ダメだ……足りねぇ、まだ足りねえよ。羊を狩るだけじゃ、もう俺は満足できねぇ……」


 瞬間。背後から何者かの気配を感じた。それも敵意に近く、それともまた違う。言葉にするなら、殺意だ。


「意外に早かったな。俺はこれでも、最短ルートを通ってきたはずなんだぜ?」

「奇遇だね……僕もだよ」


 夢路が振り返ると、そこに立っていたのはしばらく前に三階の客室に置いてきたはずの、東城一郎だった。

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