第14話 増加する怪物
地上三階、客室。
激しい衝突音が、部屋の中に響き渡っていた。それは次第に音量が小さくなり、回数も減り、最終的には鳴らなくなった。
沈黙と同時に、それは荒い呼吸音へと変化した。
「くそ、くそ! あ、あの野郎、何が俺を殺しに来いだ。こんな手錠、警棒なんかで壊せるわけないじゃないか! ちくしょう!」
夢路に置き去りにされた少年、東城一郎は、絶望的な状況に怒りを露わにしていた。
だがそれもすぐに止み、怒りはおろか、感情が徐々に彼の中から抜け落ちていった。
「ああ、最悪だ、なにもかも。僕は、いつもこうだ。思えばずっと、嫌な人生だったな」
三岳の死体の横で、彼は誰に話すわけもなく、自分の過去を語り始めていた。頭の中で、走馬灯のように流れていく今までの人生を、そのまま口に出し、言葉を紡いだ。
「小学生の頃は、酷いあだ名で呼ばれたっけ。学年中に広まって、居場所なんてどこにもなかったなぁ」
東の記憶は、ほとんどが嫌な思い出ばかりだった。小中とずっといじめられ、高校でも友達はおらず、常に孤独な日々を過ごしていた。
そのうえ、中学では部活に必ず入らなければならないという校則があり、興味もなかった文化部に幽霊部員として所属していた。それが東の中ではストレスになってしまい、病欠の日々が続いた。
だが、それでも彼は我慢し続けた。誰からも忌み嫌われ、いじめや孤独に苦しんでも、決して誰かに頼ったりはしなかった。それは、体の弱い母を気遣ってのことだった。心配をかけたくない、迷惑をかけたくない、それが彼の心の糧となっていた。
修学旅行に行く際、お土産をたくさん買って帰ると、母に約束をした。それなのに、もうその想いは果たせそうにない。修学旅行は破綻し、自身の命さえも、もはや尽きようとしている。
このまま手錠で繋がれたままでいれば、いずれはこの船と共に沈む運命だ。助かる道など、もうどこにもない。
「夢路、夢路、夢路、夢路、夢路、夢路! 全部あいつのせいだ、あいつのせいだ! 何もかも全部!」
嫌なことを思い出していくうち、再び怒りの感情が地の底から湧き上がってきた。そしてその矛先は、この現状に陥れた夢路秀へと向けられる。
「あーあー、こんな手錠さえなけりゃ、すぐにだって殺しに行ってやるのにさぁ」
荒れ狂う心は、少しずつ東の凶暴性を引き出していく。
東は自身の髪に手をかけ、自らそれを毟り始めた。目を血走らせ、激しく歯ぎしりをする。自称行為を繰り返すその姿は、もはや人間ではない何かだった。
獣、といよりもモンスターに近い。それは元々彼の持つ資質だったのか、夢路への怒りからなのか、この特殊な環境下故なのかはわからないが、東は立派な怪物へと変貌していた。
もう、全てがどうでもいい。ただ、欲望のままに生きられさえすれば、それでいい。
「ふ、ふひひ、ふひひひひひひひっ! いいさ、望み通り殺しに行ってやる。だけどもう、相手が夢路だろうが、誰だろうが、そんなの関係ない。僕が不幸なら、それ以外の連中を全員、僕よりも不幸にすればいい。もう我慢なんてするか、誰が生きようなんて考えるか、道連れにしてやるっ! この船にいる奴らを、より多くの人を!」
おとなしかった彼は、それ自体が夢だったんじゃないかと思えてきてしまうほどに、原型すらも留めてはいなかった。
人生に絶望したモンスターは、新たな活力を糧に、再び自由を求めて足掻き始める。
警棒を振り上げ、先ほどよりも力強く、手錠の鎖へと叩きつけた。
「僕がおかしいんじゃない、僕はおかしくなんかない。これが正常だ、正常な人間なんだ。欲望のままに生きることこそが、生物のあるべき姿だ!」
その時、東はあることに気づいた。この絶望から抜け出す方法が、いったい何なのかということに。
「そうか、この取っ手か、そういうことか!ふひひ、わかったよ、夢路。鎖なんて壊す必要、最初からなかったんだな」
東は不気味な笑みを浮かべると、手錠が括り付けられたクローゼットの取っ手目掛けて、警棒を振り下ろした。
瞬間。沈みゆく船内へと、一匹の怪物が解き放たれた。
地上二階、客室前通路。
相馬たちと別れた砂長谷と縞野は、山田の他にも生存者はいないかどうか、船内を探索して回っていた。
砂長谷は下手な混乱を避けるため、十字傷の死体のある方へ縞野を行かせないよう、上手く誘導していた。正当防衛とはいえ、人を一人殺してしまったことを縞野には話しにくかった。
誰かを殺めるということは、その相手が誰であっても、縞野にとっては自身の命よりも犠牲にできないものだろうからだ。
「砂長谷くん、そっちはどう?」
「ダメだ。人はいるが、みんな潰れちまってるよ。あれはもう手遅れだ」
客室にはテロリストから逃げてきた一般乗客が何人かいたが、そのほとんどが転覆の際の揺れによって亡くなっていた。
ダイニングのある四階から下が浸水してしまったことを踏まえると、生存者は山田一人でも運が良かった方かもしれない。
「次は船の後部を見てみよう。中央階段から先は、まだ探してなかったよね」
「ああ、そうだな」
二人は中央階段のあるエレベーターホールを通り、後部にある大浴場へと向かっていた。
すると男性が一人、裸の状態で通路に倒れていた。男は腹部から血を流しており、すぐに砂長谷たちが駆け寄ったが、既に息はなかった。
「す、砂長谷くん……そ、その人は?」
裸の男、そのうえ死体ということもあり、縞野は砂長谷の背中に隠れながら訊ねた。
「多分、大浴場に入ってる時にテロリストに襲われたんだ。それで命令通り動かずに射殺されたってところかな」
砂長谷に医学的知識はなかったが、近くに致命傷を与えたとされるものがなかったため、傷はテロリストの持っていた銃によるものじゃないかと推測した。
「いやでも、それなら大浴場で殺されてなきゃおかしいよな」
仮に大浴場からここまで歩かされたとしても、腹部を撃たれているのは妙だった。テロリストから逃げようとしたのなら、傷は腹部ではなく背中になるはずだ。
三岳の時と同様に、砂長谷はまた何か重大なことを見落としているんじゃないかと感じた。
裸の男、大浴場、テロリスト。バラバラだったパズルのピースが、徐々に組み立てられいく。
「ま、待てよ、そういえばあの時計、たしかどこかで」
砂長谷の記憶の一部が切り抜かれ、脳内で再上映された。
「やばい、やばいぞ縞野!」
「ふぇっ! 砂長谷くん、急にどうしたの?」
「あの山田って男、多分テロリストの一人だ。ここに倒れている男の衣服とメガネを奪って、あたかも一般乗客のように見せかけたんだ!」
「ちょっと待ってよ! 話が飛躍しすぎてて、いったいどういうことなのかわからないよ!」
「あの男が持っていた懐中時計、あれはテロリストの一人が持っていたのと同じ物だった。壊れてたから、転覆した後に拾ったとは考えにくい。それに、山田は妙にこの船について詳しかった。だがそれも、テロリストの一人だったとしたら合点がいく。奴らは最悪の事態も考慮していたんだよ、この船が難破した際の脱出方法を!」
「そ、そんな、あの山田さんが、テロリストの一人だなんて」
「急ぐぞ縞野!もし俺の記憶が正しければ、相馬と桐崎が危ない!」
縞野は目を剥いた。砂長谷が叫ぶ瞬間を見るのは、初めてのことだった。
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