第12話 愚か者の選択


 地上二階、前部階段前。


 砂長谷たちが時間通りに帰って来ると、そこには相馬と縞野の他に、見慣れない人物が待っていた。


 アロハシャツを羽織り、黒縁のメガネをかけている。これといって特徴のない、どこにでもいそうな若い男だった。

 その風貌から、国籍が日本であることは確認できる。


「おかえり、砂長谷、桐崎。どうやら、そっちには生存者はいなかったみたいだね」

「ああ、特に変わったことはなかったよ」


 相馬たちは、十字傷との騒ぎに気づいていない様子だった。船内は広く、激しい水流の音が常に響いているため、叫び声なども届かなかったらしい。


「んで、そっちのおっさんは?」

「客室にいたところを縞野が見つけたんだ。どうやら、個人で旅行をしていた一般客の方らしい」

「へぇ、一人旅か、珍しいな」

「はは、旅が趣味なもので」


 男は後頭部に手を当て、気恥ずかしそうに苦笑いを浮かべた。


「申し遅れた、私は山田だ。君たちと同じように、地下階へ向かう最中、生存者を探していたんだ」


 山田もとりあえず地下階を目指しながら、生存者を探していたらしい。どうやら考えることは同じようだ。


「残念だったな、乗組員じゃなくて」

「おい砂長谷、その言い方はないだろう。それに、残念ってほどでもないぞ」

「え、どういうことだ?」

「僕たちは運がいい。山田さん、実は船の設計に詳しくてね、色々と教えてもらったんだよ」

「ほ、本当か?だとしたら、俺たちはだいぶ幸運だな。もしかして、脱出ルートの目星がついたのか?」

「ああ、そのまさかさ。山田さん、さっき僕らにしてくれた話を彼らにもお願いします」


 相馬に促され、山田が軽く咳払いする。


「まず、この船がどうしてひっくり返っているのか、そこから説明しなければならない」


 山田は客室から持ってきた、比較的にまだ使えるであろう紙とペンを取り出し、図で表しながら説明した。

 この船は海中部分で爆発が起こり、そこから海水が流れ込んでバランスを失ってしまっているらしい。


 最初に穴の空いた地下階から重くなり、船が横倒しになった際、地上階の窓ガラスなどが割れて大量に海水が侵入し、今度は逆に上部が重たくなってひっくり返ってしまったのだ。

 だが、大型船というものは大抵が二重底になっており、その内側は水密隔壁でいくつもの区間に区切られているらしい。


 そのため、一部が浸水しただけでは沈没したりはしない。

 しかし地下階の一部が海水で満たされ、四階までが完全に浸水していることを踏まえると、それも時間の問題だ。

 いずれは力尽き、海の底へと沈む。

 山田は最後に、図に記した船の最深部の船前部をペンで指した。


「ここが、唯一の脱出ルートかもしれない」


 砂長谷と桐崎は、互いに顔を見合わせた。さすがに驚きと興奮を隠せない。


「船には、横方向への推進装置、サイドスラスターが備わっている。このダクトが海上にさえ出ていれば、船から脱出することは可能だよ」


 砂長谷はゴクリと、大きな唾を飲んだ。


「あくまで、ダクトの部分が海面から出ていればの話だけどね。沈没のスピードによっては、もしかしたら間に合わなくなるかもしれない」

「じゃあ、急いだ方がいいってことですか?」

「そういうことになる。ただ、地下階の浸水具合がまだわからないから、正直なんとも言えない状況なんだ」


 絶望の中、僅かながらに存在する希望は、何よりも大きな活力だった。


「もし浸水していた場合、ダクトの入り口を開けるために人手がいる、だから私は生存者がいないか探していたんだ」


 山田は最悪のケースも考え、それを補うことも視野に入れていたらしい。


「だが、さすがにこの人数では厳しいだろう。こうなっては、ダクトが海面より上にあることを祈るばかりだな」


 人数だけなら五人だが、縞野と桐崎は比較的非力なうえ女子だ、数に入れても然程力は埋まらないだろう。


「なら、これからも積極的に生存者を探さないとだね!」


 縞野が嬉しそうに、覇気のある声で言った。


「お前、まだ生存者を探しながら上を目指すって方向性を変える気はないのか?」

「え、砂長谷くん、それってどういう意味?山田さんの話じゃ、今よりもっと人手が必要になるかもしれないんだよね? ならこの先も生存者を探した方が、今後のためになるんじゃないの?」


 縞野の意見は最もだった。最悪の事態を想定して、少しでも保険は多く積んでおくべきだ。

 だが、砂長谷はあることを恐れていた。それはついさっき体験したばかりの脅威についてのことだった。


「縞野、お前は相手がテロリストでも、仲間に加えようと思うのか?」

「あ、そ、それは……」

「たしかにより多くの人を救いたいっていう、お前の気持ちには大いに賛成だ。けど、脱出した後のことを考えると、テロリストとこの先もずっと協力関係を築けるとは限らないんじゃないか?」

「なるほどな。この船を脱出するまではともかく、その後は信用できる保証がないというわけか。言われてみれば、連中に救命ボートや食糧を独占される可能性は高い。人数が多ければ多いほど、最終的に助かるリスクが増えてしまうからな」


 砂長谷の意見に、相馬が同調した。


「だが、生存者を探さずに上を目指すってやり方も、一概に正しいとは言えない。今の話によれば、最悪の場合は人数が必要になるみたいだからな」

「難しいところだな」


 これは非道でもなんでもない、あくまで危機を回避するという合理的なものだ。

 だが、それに対して不満を持っている者が、一人だけいた。


「あ、あの! そ、それでも、それでも私は、テロリストであっても助けたい!」

「し、縞野」

「それは本気で言ってるのか? 相手は僕たちを殺そうとした連中なんだぞ、信用できるはずがない! いざとなったら、武器を所持している向こうが主導権を握ってしまう」

「テロリストの人たちは、たしかに怖いかもしれない。けどだからって、見捨てていい理由にはならないと思う!相手に私たちを裏切る気持ちがあろうと、それは変わらないよ。私たちが信頼しなかったら、向こうから信頼されることだってない!」


 それはもはや、偽善などという言葉で片付けられるものではなかった。

 人を裏切るという行為そのものが、縞野の行動には含まれない。そもそも選択肢に存在していないのだ。悪人だろうと、善人だろうと、決して見捨てない。そこには、何か特別な想いがあるように感じられた。

 まるで、誰かに救いの手を差し伸べない自分を恐れているような、善意とは違った感情が。


「僕は反対だ。今この状況だって、彼らのせいで起きているんだぞ。それに、中には三岳先生を殺した相手だっているかもしれない。そんな相手と、本当に信頼し合えるのか?」

「そ、それは違うよ、相馬くん」

「え? 何が違うって言うんだよ!」

「人は、人を殺してしまった瞬間、悪人になってしまうの?私は、そんな風には思わない。罪を犯したからと言って、それだけで人との信頼が断ち切れるなんてこと、絶対にない!」


 それは、ある意味では正論とも取れる言葉だった。


「たしかに縞野の言うように、誰しも罪を犯すのが人間だ、それだけで信頼が断ち切れるとは僕だって思わないよ。けど、だからって簡単に信頼できるわけでもないだろ! お前は、家の前に飢餓で苦しむ連続殺人鬼を見つけたとして、簡単に家の中へと招くのか? たった少しでも猜疑心を持たないと、断言できるのか?」

「そんな変な例え話、意味わかんないよ! それでも私は、多分その人を助けようとする。見殺しにするくらいなら、騙されて殺された方がましだもん! 人を信じなくなったら、その時点で終わりだよ!」


 縞野は決して引かず、相馬にしつこく食らいつく。正直、砂長谷にはどちらの言い分も理解できた。故に、双方の考えを否定することが、彼にはできなかった。

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