第11話 狼と羊


 地上三階、ビリヤードルーム。


 この場所もテロリストの襲撃に遭い、乗客やスタッフがダイニングにまで集められようとしていたが、突然の爆発で運良く難を逃れていた。


 圧倒的に有利な立場だったテロリストたちが、インテリアの下敷きになって死亡したのだ。同じように、乗客のほとんどがその衝撃で命を落としたが、少年の一人が幸運にも生き残っていた。


 少年は、倒れているテロリストの体を物色していた。

 赤く染めた髪をオールバックにし、耳にはピアス、首からはネックレスが下げられている。

着崩している制服が、その風貌に良く似合う。目つきは悪いが、顔は中々に整っている。


 明らかに学校の校則を無視している生徒だ。

生徒はテロリストから警棒を奪い取ると、舌を鳴らしながらもそれを懐へとしまった。他にも人質を拘束するための手錠やロープ、小型のライトなど、使う可能性があるものだけを拝借する。


「ったく、もっと使いやすそうな武器とか持ってねぇのかよ、役に立たねぇな」


 少年の名は夢路ゆめじしゅう、修学旅行生の一人だ。あまり校内での評判は良くない。


 取り巻きにしていた生徒や、飼い慣らしていた彼女は、船がひっくり返った際に壁へと叩きつけられ、もう動かなくなってしまっていた。


 しかし特に悲しむことなく、夢路はビリヤードルームを徘徊していた。

 しばらくして、目当てのものを発見する。それは、三階の見取り図だ。今ここは、ちょうど船の後部にあたる。隣はレストランなどがあり、基本的には乗客が楽しむための自由空間となっている。

 前部へと向かう途中には中央階段があり、その先は客室、そして前部階段がある。


「たしか地上階は前部、地下階は後部の階段を使うんだったな」


 夢路は船に乗る前、最初に教師から受けた緊急時の説明を思い出していた。その際、中央階段以外はいける場所が限られていると注意を受けた。


「天井が下で、床が上になってるってことは、この船はちょうど逆さまの状態で浮かんでるのか」


 独り言ちながら、冷静に今の状況を少しずつ分析する。

 視界を一周させ、インテリアに潰された死体に目を向ける。


「この部屋にいたやつは、俺以外全滅か、妙なところで悪運強いな。まあ、これが誇っていいのかどうかは微妙だが」


 夢路は白い歯を見せながら、警棒を片手に部屋を後にした。

 まずは、今は安全地帯と思われる船の上部、地下階を目指す。


 異常事態であるにも関わらず、夢路は心踊っていた。普段の退屈な日常に比べれば、遥かに興奮する。学校の授業も、彼の興味を惹くものは何もなかった。自分に尻尾を振る取り巻きや女とふけて遊んでも、何の愉悦も快感すらも得られない。

 故に、彼は本心から望んでいた、今のような刺激的な状況を。

 思わず、顔のにやけて止まらない。まさに絶頂の時を迎えていた。


「いいねぇ、これが修学旅行か、最高じゃねぇか。生徒の課外授業ってのは、本来こうあるべきなんだな。今、俺は人生で最も教育ってやつに感動している。感謝するぜ、修学旅行よぉ」


 転覆した船で、生き残るために最善を尽くす授業、彼はそう捉えていた。

 テロリストから警棒や手錠を奪ったのは、後々のことを踏まえてのことだった。他にも生存者がいた場合、救命ボートや食糧などの壁にぶつかることとなる。その時、自分が最も有利に働けるよう、手頃で使い勝手が良く、そしてより強力な武器を求めていたのだ。恐怖と暴力で、この絶海に浮かぶ船の中での主導権を得る。彼が望むのは、自分だけが生き残る未来だった。


 そのためならば、決して手段を選ばない。その覚悟が彼にはあった。

 相手が同じ生徒であろうと、船に詳しい乗組員であろうと、テロリストであろうと、自身の障害になる可能性があるならば、迷わず殺す。そんな意思、決意が。

 程なくして、夢路は中央階段へとたどり着く。


「あーあ、こりゃあ、使い物にならねぇな」


 転覆した際に壊れたシャンデリアやオブジェの残骸が、行く手を阻んでいた。

 仕方なく、夢路は前部階段へと向かうことにした。

 その時、客室の方から物音が聞こえ、思わず構えた。

 数秒だけ時間を置き、夢路の方から訊ねた。


「誰だ?」


 すると、客室から両手を上げたまま、ガタガタと体を振るわせた少年が、ゆっくりとその姿を現した。


「なんだ、あずまか」


顔見知りだった。あずま城一郎じょういちろう。同じクラスで、あまり主張の激しくない、夢路とは正反対の男子生徒だ。


「生きてたんだな、他のやつは?」

「い、いや、僕一人だよ。運良く、この階に流されたみたいで、他には誰とも会ってない」

「ふぅん、そうか。残念だったな、最初に出会ったのが俺みたいなクズで」

「そ、そんなことないよ、一人じゃ心細かったんだ! ゆ、夢路くんと会えて嬉しいよ!」


 それが詭弁であることは、夢路にはすぐわかった。普段から、教室でも学校外でも常に避けられていた。向こうからしたら、一番会いたくない存在だったであろう。


「そ、それより夢路くん……ここ、こっちに来てみて」

「あぁ? んだよ、何かあんのか?」

「実はその……おお、奥で、せ、先生が……」

「なんだと?」


 何かを察した夢路は、駆け足で客室へと入っていった。そこには、背中を刺された状態だ倒れた、三岳の死体があった。

 その瞬間、また思わず笑みが浮かぶ。咄嗟に口を押さえ、嘔気を我慢しているように見せかけた。


「ゆ、夢路くんも、やっぱり気持ち悪いよね。て、テロリストの人に、ここ、殺されちゃったのかな」


 夢路はすぐに、現場に違和感に気づいた。天井に染みを作るほどの血溜まり、そして刺された箇所が背中で、しかも凶器が銃の類ではないということから、次第に犯人像が浮かび上がる。


「東、三岳はテロリストに殺されてねぇよ。多分、生徒か教師に不意を突かれたんだ」

「え? ど、どうしてそんなことがわかるの?」


 東は目を白黒させる。


「あ? んなの簡単だろ、小学生にだってわかるじゃねぇか。お前は知らない相手に、無防備な背中を晒すのか?」

「そ、それは……多分ない、かな」

「だろ? なら、殺したのは三岳と親しい相手ってことになる。この状況なら、俺にだって背中を晒すだろうぜ。普段ならともかく、今は教師として、生徒を何としても守らなきゃならない立場にあるからな」

「う、うん……そうだね。でも、誰が何のために先生を? テロリストじゃないなら、殺す目的なんかないんじゃないかな?」

「例えば、猟奇犯に憧れているバカがいたとする。もしもそいつが、この船にいる全員を殺して、一人で生き残った場合、罪に問われることがあるか?ないよな。だって証拠は全部、海の底に沈んじまうんだからよ」

「まま、まさか、そんなことを考えている人がいるっていうの?」

「あのなぁ、これは例えばの話だ、真実とは限らない。だが、可能性としてはなくはないってだけのことだ。証拠の残らないこの船の中でなら、殺し放題だ」


 夢路の例は飛躍しすぎているようにも感じられたが、あながち間違いとも思えなかった。次第に、東は夢路の思考に流されていく。

 これはあくまで強引に動機をつけるなら、という話であり、精神異常者のように、理由もなく殺した可能性だって少なからずあった。もっと視野を広げれば、夢路と同じ考えの人間とも推理できる。後々のことを考慮し、主導権を握りそうな人物を先に消す、突き詰めればこれも合理的だ。


 殺人者は異常な人間でも、最低限の常識や判断能力があるかもしれない。そうなれば、特定することは容易ではないだろう。


「なぁ、東よぉ……お前は船が転覆してから、まだ誰とも会ってねぇんだよな?」

「え? あ、うん、夢路くんが初めてだよ」

「お前、今まで何をしてたのか、俺に事細かく話せ、嘘は絶対につくな」


 途端、夢路が険しい表情で、脅すような口調で訊いた。

 小心者の東は、その眼光に一瞬怯み、言葉を詰まらせてしまう。


「どうした、早くしろ」


 威圧され、声を震わせながらも、東は必死に声を絞り出した。


「あ、そ、その……ぼ、僕はふ、船の後部にあるスタッフ専用ルームで、めめ、目を覚ましたんだ。そこは大きな穴が空いてて、中は完全に水没してた。た、多分、四階から流れ着いたんだと思う。僕は転覆の際、四階のダイニングにいたから」

「そうか。んで、目を覚ましてすぐにこの客室まで来たのか?」

「うん、そうだよ。本当についさっきだ。だからまだ誰とも会ってないし、特に何かあったわけでもない」

「なるほど、なら俺とほとんど似たような感じだな。俺も、今までこの階の後部にあるビリヤードルームで気を失ってた。どうも、転覆した時に頭をどっかに打っちまったみたいでな。まあ、命がありゃ文句はねぇけどよ」

「そ、そうだったんだね」

「だからさ、悪いけど東、てめぇとはここでお別れだ」


 その瞬間、その場が数秒だけ静寂する。

 破ったのは、震えた声で紡がれた東の言葉だった。


「へ、ど、どういうこと?」

「簡単だろ。三岳は誰かに殺された、それも犯人は生徒の可能性が高い。これほど大きい事故となりゃ、生存者もほとんどいないはずだ。俺とお前を含めても、両手で数えられるくらいかもしれない。いや、もしかしたら俺たち二人だけってことも考えられる。なら、三岳を殺した可能性があるのは、俺かお前のどちらかってことになる。ここまで、わかるよな?」

「え、ま、まさか夢路くん……僕を疑ってるの?じょ、冗談だよね?」

「はぁ、お前さぁ、とぼけるのはもうやめにしねぇか? 俺は三岳を殺してない。俺じゃねぇんなら、お前しかいねぇだろ」


 夢路は東に対し、敵意に近い眼差しを向け、手で軽く突き飛ばした。

 東は人より非力なため、勢いよく尻餅をつく。


「な、何をするつもり? ぼ、僕はやってない! やってないんだって! 本当だよ、信じてよ!」

「東、信じるってのはな、自ら危険に飛び込むのと同じなんだよ。俺はそれを、根本から排除する。危険な芽は先に摘んでおくんだ。ほら、合理的だろ?」

「そ、そんな、酷いよ! 僕は本当に三岳先生を殺してなんかないって!」

「たしかに、お前が殺してないって可能性も十分にある。だがその証明ができるのか?この状況で」

「それは……む、無理かもしれないけど」

「安心しろ、殺したりはしねぇから。ちゃんと選択肢を用意してやる」

「せ、選択肢?」


 恐る恐る東が訊ねると、夢路は粘ついた笑みを浮かべた。


「これ、なんだと思う?」


 夢路はらビリヤードルームで死んでいたテロリストの一人から奪った手錠と警棒を指でぶら下げ、東に見せつけた。


「な、何のつもりなの?」

「言っただろ、選択肢をやるって」


 夢路は東を腕力で押さえつけ、クローゼットの取っ手に手錠で拘束した。


「ちょっと待って! 外してよ! これじゃ僕、このまま溺れ死んじゃうよ!」

「かもしれねぇな。けど、殺人者かもしれない危険因子を、このままにしとくってのもおかしいだろ? 俺の立場からしたら、これは当然の判断なんだぜ?」

「だ、だからって……こんなの、ひ、酷すぎるよ! お願いだ夢路くん、頼むから信じてくれ! 僕は無実だ!」

「おいおい、この状況じゃ無実もクソもねぇだろ。それにだ、別に殺すってわけじゃねぇ、あとは自力でどうにかしろ。このままここで死ぬか、生きるか、お前が選ぶんだ」

「ど、どうにかって、こんなのどうしようもないじゃないか」

「大丈夫、ちゃんと置いてってやるよ、ほら」


 そう言って、夢路は警棒を手渡した。その意味を、東はすぐに察した。


「いいか、東。お前は俺を恨め、そして殺しに来い。俺は上で待ってる、お前が殺しに来るのを。生きろ、生きて俺の同級生として、授業を後押ししてくれ。期待してるぜ、東よぉ」

「き、君は……いったい何を言ってるんだ?」

「忘れたのか? これは修学旅行、課外授業なんだぜ?俺は今、初めて教育ってやつに感動してるんだ。こんな最高のステージ、普通じゃ用意してくれねぇんだからよぉっ! くっ、くはははっ、くはははははははっ! 最高だ、最高だぜ修学旅行ぉ! なぁ、東! お前もそう思うだろ?思うよなぁ?」


 夢路は体を仰け反らせ、激しく高笑いした。その姿はもはや人間ではなく、全く別のモンスターそのものだった。


「く、狂ってる、君はどこかネジがおかしい。この状況が教育? そんなわけないだろ、いいから早くこの手錠を外してくれ!」

「鍵なんかそもそも持ってねぇよ。てめぇは、自力でこの場を切り抜けるんだ。授業ってのはさ、一人で受けるもんじゃねえだろ? 同級生と一緒に育む、違うか?」

「ふざけるなっ! そんなことのために、僕を巻き込むな! 僕は誰も殺してないし、これからも殺さない! だからお願いだ、助けてくれ!」

「もう遅いんだよ、だってほら、繋がっちまってるじゃねぇか。助かりたいなら、その手錠から抜け出せ、てめぇの力でな。狼になって、最高の殺し合いをしようぜ。いいか、狩られるだけの羊で終わるんじゃねぇぞ」


 刺激を求める粗暴な狼は、気味の悪い笑い声をあげながら、東を客室に残した。

 去り際、三岳の死体の前で、新たな狼へと変貌するか弱い羊の怨嗟のこもった声が、激しく轟いていた。

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