第10話 受け入れられない変化

 砂長谷は呻き声を漏らし、前方へと倒れる。

 後頭部をおさえながら背後へと目を向けると、そこには武装した大男が立っていた。顔に大きな十字傷を持つ、その顔は記憶に新しかった。


「お前か、それともそっちの娘か。いや、この際どっちでもいいか、二人とも殺せば」


 男はテロリストのリーダーと思われる人物だった。

 銃は持っていなかったが、右手には真鍮製の警棒が握られている。


「人殺しがぁっ! ここで死ね!」

「は、はぁ?」


 瞬間。男は突如叫び出し、砂長谷目掛けて警棒を振り下ろした。

 砂長谷は咄嗟に身を転がして避け、男から距離を取って立ち上がった。まだ、殴れた際の痛みは引いていない。


「ひ、人殺しって……何のことだよ?」

「とぼけるな。下にあった男の死体、お前らだって見て来たんだろ?」

「み、見たさ、でもそれがなんだって言うんだよ」


 砂長谷はわざと答えを濁した。桐崎の手前、何も気づいてないように振舞っておきたかった。

 十字傷が言っているのは、間違いなく三岳のことだ。どうやらこの男も、下から地下階を目指して上がって来ているらしい。


「殺したのは、お前らだろ?」

「言いがかりだな、どこにそんな証拠があるんだよ」


 しかし、砂長谷の言葉に男は耳を傾けない。息を荒くしながら、段々と距離を詰めてきた。


「どう見たって、あれはお前らの仕業だ。俺たちじゃない。お前だって、そのくらいわかってるはずだ。違うか?」

「そ、それは……」


 砂長谷同様、この男も気づいていた、あの死体の違和感、明らかに顔見知りの人間による殺しだということに。


「お前じゃないという証明が、この場でできるのか? いや、無理だ。なら、殺すしかない。この状況で、平気で人を殺すような存在を、生かしておくと思うか?」


 思わない、砂長谷は心の中では同じ気持ちだった。難破する前ならまだしも、船が沈みかけている今、殺す理由などどこにもない。

 故に、殺人者の脅威は尋常ではない。十字傷の男は、それを危惧していた。


「殺すべきだ、お前らは危険すぎる。殺さなくては、俺が殺される! だから殺すんだっ!」


 突然、男は声を荒げ、激しく顔を掻き毟り始めた。


「お前、どっか狂ってんのか?」

「狂ってる……だと? それは俺じゃなくて、お前らの方だろうっ!」


 男の血走った目には、殺意ではなく、恐怖のようなものが込められていた。

 単純に砂長谷たちを殺そうとしているのではなく、あくまで男は、危険因子の排除を目的としていた。


 客室で殺されていた三岳の死体を目にし、それが気を許せる人間による殺人だと、十字傷の男は気づいている。

 今この船内で生き残っている生徒は、男からしたら身の危険を感じざるを得ない存在であり、優先的に排除しなくてはならない。

 たとえ、明確な証拠がなかったとしても。


「狂ってなきゃ、ガキが人を殺したりしないだろうがよぉ! 違うかぁ!」


 警棒を雑に振り回しながら、男は奇声をあげて暴れ回る。


「桐崎! 俺にはお前の身を守ってやれる余裕はない、ここは二手に分かれて、こいつの注意を反らしながら逃げるぞ!」

「そこは俺に任せて君だけでも逃げてくれ、とかかっこつけられないの?」

「んな余裕ねぇよ! つうかそれ、死亡フラグだろうが!」


 男の攻撃を回避しつつ、二人はさりげなく別方向へと逃げ始める。桐崎は船前部に走り、砂長谷は船の中央へと足を向ける。

 その矛先は、より広い道を選んだ砂長谷へと向けられた。


「くそっ! こっちかよ!」

「うおおおおおぉぉっ!」


 咆哮をあげながら、十字傷の男が砂長谷へと飛びかかった。

 だがその瞬間、男の動きがぴたりと止まる。


「……え?」

「が、あぁ……なっ、なにを……」


 よく見ると、男の背後を取った桐崎が、先程死体から奪い取ったナイフを男の背中に突き刺していた。

 段々と体を支える力が抜け落ち、十字傷の男は糸の切れたマリオネットのように、意識を失って倒れた。


「はぁ、はぁ、こいつ……死んだのか?」

「このままここに捨てて行けば、時期に死ぬと思う。どっちにしろ、ここを抜け出たとしても治療を受けるには間に合わないだろうね」


 桐崎は、倒れている十字傷の男を一瞥すると、男の背中に刺さっているナイフを抜き取った。その瞬間、傷口から溢れた血が通路内にしぶき渡り、桐崎や砂長谷に降りかかった。


「血、汚いから拭いときなよ」


 そう言って、桐崎は砂長谷に自身のハンカチを差し出した。


「あ、ああ……」


 砂長谷が自身にかかった血飛沫を拭いている際も、桐崎は終始冷静で、死体の服でナイフに付着している血を拭き取っていた。

 その光景は、誰もが寒気を覚えるものだった。


「ねぇ、砂長谷くん」

「な、なんだよ?」

「私がこの男を殺したこと、二人には言わないでくれる?」

「そりゃ……ど、どういうことだよ?」

「変に輪を乱すのは良くないでしょ。それに、これは正当防衛だよ。私が刺さなかったら、君は殺されてたかもしれない。違う?」

「ち、違くない……現に俺は、今お前に助けられた」

「だよね、これは仕方がなかったんだよ。あの男は、明らかに常軌を逸していた。放置していれば、私たちは全滅していたかもしれない」


 桐崎の言うように、十字傷の男は普通ではなかった。まず間違いなく、精神に何らかの異常をきたしていただろう。

 この船が予期せぬ状態になったこともその一つだが、恐らく最もあの男を追い込んでいたものは、この船内に潜む殺人者の存在だ。

 男の発していた言葉から、そのことは容易に読み取れた。


 そしてそれは、同じように砂長谷も危惧していたことだった。

 もう、気づいていること全てを話して楽になりたかった。一人で抱え込むということが、砂長谷には重くのしかかり、息苦しかった。


 殺人者が生徒の中にいるかもしれないという重圧に、耐えられなくなっていた。

 だが、それを桐崎に打ち明けるほどの勇気は、砂長谷にはなかった。

 何故なら、彼女は相馬や縞野と違い途中から合流しており、その前の行動を全く知らないからだ。


 砂長谷にとって、最も疑わしい存在。故に、三岳殺しに関して、下手に話せば致命傷となる。

 もう既に、相手は人一人を殺している、殺人者がテロリストではないかもしれないと言えば、口封じに殺される可能性もあった。


 そして今、この女は目の前でテロリストの一人を殺したのだ。正当防衛とはいえ、躊躇いなく背中を刺した、こんなことがただの女子高生にできるだろうか。

 それに今の行動は、三岳殺しに関しての口封じとも考えられる。


 桐崎への疑惑は膨らむ一方だった。


 自然と、桐崎を見る砂長谷の視線が、鋭く険しいものになる。


 まるで『トロイの木馬』だ。本性の知れない毒物、内部に取り込んでしまった以上、もう手遅れかもしれない、そんな異分子。


「早く行かないと怪しまれるかもだし、もう戻ろっか」

「ああ、そうだな……」


 二人は十字傷の男を放置し、船の前部へと戻って行った。

 揺れながら沈んでいく船の中、人間という悪魔の手によって、監獄は血で染まる。

 ただ己が生きようともがいているだけだというのに、人は自然と殺し合う。まるで、さらなる絶望を求めているかのように。

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