第9話 連鎖
二階へと上った一行は、縞野の提案で生存者の捜索を開始した。
男女の組み合わせの方が安全と考え、相馬と縞野、砂長谷と桐崎のペアで別れた。
二階は全部が客室、後部が乗組員専用のバックヤード、そして最後部には大浴場がある。砂長谷たちの学校が使っていた客室もこの二階だ。
幸いなことに、桐崎がペンライトを持っていたため、灯りに困ることはなかった。
だが、やはり浸水や転覆の影響で、被害は絶大なものとなっていた。瓦礫の下には元乗客と思われる誰かの肉片が潰れていた。
見るに耐えない光景だが、桐崎は特に顔を青くすることもなく、平然と血で汚れた道を通る。
女子にしては非常に肝が座っている。男の砂長谷ですら、この道はあまり通りたくないというのに。
「お前、血とか死体とか見ても平気なのな」
「もうそんなの今更だよ。それに原型をとどめてだとしても、もうこれはただの人の形をした何かでしかないよ」
桐崎の放った一言は、背筋が凍りつくほどに冷ややかだった。
他人に対して、心の底から関心がない。そんな桐崎の本音が透けて見えた。
「砂長谷くんだって、本当は面白いとか、楽しいとか思ってるんじゃないの?」
「はぁ? そりゃあどういう意味だよ」
「だってさ、人ってそういうの期待してるじゃん。テレビ見てる時も、もしかしたら死体が映るかもしれないとか、ちょっとは考えたことあるでしょ。珍しいからね、見たくなくても気になるものなんだよ、そういうの」
「別に、俺はそんなもんに興味ねぇよ。変な趣味に巻き込むな」
「そうかな? 私は変だなんて思わないけど」
「お前さぁ、ちょっとどっかおかしいだろ?普通は引くぞ」
「勝手に普通って基準を決めないでくれる。普通って、単にそれが多数派だったってだけの話でしょ? 私にとっては、こっちのが基準なの」
「屁理屈だろ、そんなの」
「だからって、私を変な人扱いしないでくれるかな。せめて世界中の人間の頭の中を覗いて、私の方が少数派だって確信が持ててから言ってほしい」
「はいはい、わかったよ。ったく、お前と話してると頭が痛くなるな」
「ふふ、私は楽しいけどね、砂長谷くんと話すの」
砂長谷は複雑な心境だった。これがもし、クラスの可愛い女子に言われたなら、男子は跳ね上がって喜ぶだろう。だが、何を考えてるのか全く読めない桐崎相手だと、途端に気味が悪くなる。
桐崎本人は、特に不細工というわけではなく、むしろ整っている顔立ちだが、発言や行動のせいで全てがマイナスになってしまっている。残念美人とはまさにこのことだ。
「ねぇ、砂長谷くん。あれ見てよ」
「ん、どうした?」
客室の奥に、武装した状態で倒れている血だらけの死体があった。その格好から、この人物がテロリストの一人であったことがわかる。
「そういや忘れてたな、連中のことを。生存者を探すって話だったが、相手がテロリストなら話は別だ」
「たしかに、むしろ助けたら危険かもね。相手は武器を持ってるかもしれないし」
「協力的な相手ならいいんだが、やっぱそうもいかないよな」
「うん。まあ、さすがにここまでの被害は想定してないだろうから、テロリストも無闇やたらと私たちを殺したりはしないだろうけど、問題は船を脱出できた後になるね」
「ああ、食糧に限りがある状態では、間違いなくテロリストとの間に溝が生まれる。その瞬間に、協力関係なんてものは消えちまうだろうからな」
集団の中に生まれる社会、派閥、テロリストが本気で生き残ろうと思えば、救命ボートに乗る人間は限りなく減らされ、食糧も独占される恐れがある。全てはこの船を脱出できればという仮定の話だが、その危険性がゼロでない以上、善意だけで助けるのは無理だ。
問題は、あの縞野がどこまでそれを想定できているかどうかである。
彼女なら、テロリストであろうが化け物であろうが、誰でも助けようとしてしまうんじゃないか、と砂長谷は感じていた。
お人好しを超えた、自棄すらも孕んでいると思われる縞野の優しさ、もし自己犠牲を図ってでも悪人を救おうとしたなら、縞野は生き残るためには不要な毒物だ。
さすがに、そこまで頭がおかしいとは感じにくいが、その根幹が罪悪感であったほうがまだましだろう。
「桐崎、縞野は何て言うと思う?」
「多分、助けようとするんじゃないかな。自信はないけど、あの子が他人を見捨てる姿は想像できないから」
「はぁ、だよなぁ」
決して悪いことではない、むしろ立派だ。だがそれは、本当に生きるために必要なことなのだろうか。砂長谷の中で、嫌なイメージが膨らんでいく。
桐崎は、死んでいるテロリストの体を物色し始めた。
「おい、何してんだ?」
「一応、武器になりそうな物は持っておいた方がいいと思って。最悪、テロリストに襲われても返り討ちできる」
「ま、まさか……殺すって言うのか?」
「他に何かある?」
平然と、桐崎は声色一つ変えずに言った。
それは当然のことなのかもしれないが、簡単に口にできることでもない。
だが、桐崎には迷いがなかった。本気で、自分が生き残ることを考えている。そんな彼女の生への執着が、砂長谷にはひしひしと伝わってきた。
「銃とかはダメね、使い方がわからない。ジャックナイフとかあると心強いんだけど」
あくまで自分たちに扱える武器、それがベストだ。しかし、相手は対人戦に長けている可能性が高い。
いくらナイフを隠し持って不意を突いたとしても、致命傷を与えるのは容易ではないだろう。
だが、妙に桐崎はナイフに自信があるようだった。
「ん? 待てよ、ナイフ?」
その時、砂長谷の頭の中で何かが弾け、スパークした。
「ほら、三岳先生は背中を刺されてたでしょ?だから多分、テロリストは銃の他にナイフも持ってるんだと思う。あっ、ほらあった」
桐崎が死体から、サバイバルなどで使いそうな少し大きめのナイフを取り出す。
「いや……そ、そうじゃなくて……」
「どうかしたの? 顔色悪いよ」
よく考えればおかしな話だった。何故、テロリストは背後から三岳を刺殺したのだろうか。普通、自分が銃を持っているなら、相手をその場で撃ち殺せばいいはずだ。わざわざナイフで殺す必要はない。
これが、最初に三岳の遺体を目にした時に、砂長谷が抱いていた違和感の一つだった。
一つの疑念が解消されると、次々と現場の不自然さに気づいていく。
そもそも、三岳がテロリスト相手に背中を見せるだろうか。安易に無防備な姿を晒すことは非常に危険だ。
もし、本当に三岳がテロリストに襲われたのだとしたら、距離がある状態から射殺されるか、正面から刺殺されるかのどちらかだ。背後からなど、普通に考えてありえない。
三岳が自然と背中を見せるほどに気を許している相手、そんな人物はこの船内では限られている。
同じ職員や乗組員、そして生徒だ。
三岳を殺害したのは、もしかしたら生徒の誰かかもしれない。そんな恐ろしい想像が、砂長谷の頭の中で膨らんでいく。
思い返せば、血溜まりは天井にできていた。つまり、三岳が刺し殺されたのは、船がひっくり返った後ということになる。
どうして自分の身も危ない状況でありながら、殺人者は三岳を殺したのか、ここまで来るともうわけがわからない。全てが妄想であってほしいとまで思えてきた。
だが現場の状況は、三岳と親しい人間、もしくは信頼できる相手ということになる。
砂長谷の額に、青筋が浮かぶ。
テロリストとはまた別の殺人者が船内にいるとすれば、生存者を助けるという選択肢は危険すぎる。
本来、味方であると思われる教師や乗組員、生徒の中に人殺しがいる。それも、この難破した船内でも関係なく殺人を犯す人物だ。もはや仲間同士であっても、この船内に安息の地などありはしない。
「砂長谷くん!後ろ!」
「え?」
その時、桐崎が目を見開いて叫んだ。そして同時に、背後から突然、脳が揺れるほどの衝撃が襲いかかった。
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