第7話 存在する愚者


 咄嗟に、三人は身構える。


「生存者か?」


 相馬がスマホのライトを向けると、闇の中に人の体が浮かび上がった。


「もしかして、相馬くん?」


 それは聞き覚えのある声だった。

 徐々に、その正体が鮮明に映し出されていく。

 闇の中から、キャップ帽を被った小柄な少女が姿を現した。


「桐崎……か?」


その少女は、同じクラスの桐崎真夜だった。


「良かった、無事だったんだね!」


 縞野が、桐崎へと駆け寄った。見たところ怪我などはしていないようだ。


「僕たちの他にも生存者がいて良かった」

「あ……う、うん」

「ん? どうしたんだい?」


 少し様子が変だった。普段から正常と言えるかどうかは若干微妙だが、何か言いたそうにしていた。


「相馬くん、実は」

「なんだ? 何かあったのか?」

「こっちに来て」


 桐崎は相馬の服を指でつまみ、客室の方へと連れて行く。

 訝しげに眉を寄せながら、砂長谷たちもその後に続いた。


「この部屋……」


 桐崎が指差したのな、一般客室の一つだった。中は真っ暗で何も見えない。


「おい、いったいどうしたって言うんだ」

「三岳先生が、倒れてるの」

「なっ! なんだって!」


 相馬はすぐに部屋の中を照らした。

 そして、その光景に目を剥いた。


「み……三岳先生」


 部屋の中央には、皆がよく知る人物の背中が見えた。記憶に残る姿と違うのは、白いシャツが血で真っ赤に染まっていたことだった。


「ひ、酷い……誰がこんなことを」

「恐らく、テロリストの誰かだろうな。くそ!どうして三岳先生が!」


 相馬と砂長谷が傷口に目を通す。どうやら、何者かに背後からナイフか何かで刺されたらしい。傷はそれほど深くないが、それ以上に出血が酷く、ほぼ即死に近かったことが伺える。その出血量は、反転して床になった天井に大きな染みを作るほどだった。


「そういや、三岳先生はダイニングにいなかったな。全員を把握できたわけじゃないから、自信はないけど」

「僕の記憶にもない。多分、あの爆発が起きる前にこの部屋でテロリストと争ったんだろう。今となってはわからないがな」


 部屋の中は酷く物が荒れており、争った形跡があったかどうか判断できない状態だった。しかし、見たところ三岳の服はあまり乱れてはいなかった。争ったというより、隙を突かれて刺されたように思われる。


「早く行こう。こうなってしまった以上、もうどうすることもできない。今は、僕たちだけでも助かろう」

「う、うん……そうだね」


 相馬と縞野が部屋を出て行こうとする中、砂長谷は神妙な面持ちで、一人三岳の死体を眺めていた。

 妙な違和感を覚えた。何か、この状況が引っかかる。

 恐ろしい勘違い、見落としがあるような気がしてならなかった。


「砂長谷くん、どうかしたの?」


 縞野が怪訝な顔で訊いてきた。


「え? あ、いや……な、なんでもない」

「ショックなのはわかるが、悲しむのは助かってからだ。僕たちだって、今はいつ死ぬかわからないんだからな」

「わ、悪い」


 疑念が解決しないまま、砂長谷はその場を後にする。

 頭の中が変にモヤモヤしたが、邪魔な気持ちは無理やり押し殺した。


「ねぇ、そんなに気になるの?三岳先生のことが」


 虚ろな目を向けながら、桐崎が訊ねた。


「いや、別にそんなじゃねーよ。ただ、何か変な感じがしただけだ」

「ふぅん、そう。でも、案外大事かもね、そういう勘みたいなものは。特に、こんな状況だと

さ」

「かもしれねぇな。でも、今はいい。とにかくまずは、上を目指すだけだ。どうにか救命ボートで海上に出られれば、救助を待つことができる」

「うん、そうだね。生き残ろう、みんなで」


 何故か自然と砂長谷の足取りは緩くなり、パーティの後方を歩き始めた。

 歩くこと数分、四人は前部の小階段へとたどり着いた。

 小階段は周りが壁で囲まれているため、中央階段ほど被害は大きくなく、人が十分に歩いて進めるだけの道は残っていた。


「これで地下階までは難なく着けそうだな」

「ああ、けど安心はできない。地下四階にまでたどり着いたとしても、僕らにはそこから脱出できるほどの知識がない。やはり、誰か乗員の協力が必要不可欠だ」

「なら、積極的に生存者を探した方がいいね。まっすぐ地下階へ行くより、途中の階を少し探索したりした方がいいんじゃないかな?」

「そうしたいのは山々だが、やはりリスクが高すぎる。今だって、いつここが浸水してもおかしくない状態だ。それにまた揺れが起きれば、今度は小階段も使えなくなってしまうかもしれない。行ける時に行っておかなければ、後にかかる負担が大きい」


 相馬の考えは、最善と言えるものだった。たしかに船の知識がある人間を一人でも見つけられれば、それだけ生存率は高くなるだろう。しかし、その人物を見つけるということ自体、難易度が高い。


 今もこの三階のフロアで見つかった生存者は、桐崎ただ一人である。それに、船の知識があるであろう乗組員は、ダイニングとは別の場所に隔離されていたはずだ。その場所がどこだったのかはわからないが、地上階である保証はどこにもない。地下階である可能性も十分にあるからだ。

 そうなればこの広い船内の中、乗組員を探し出すのは困難、もはや絶望的と言える。


「わ、私は……生存者を一人でも多くしたい。だから……その、まっすぐ地下階には行かないで、地上階に残っている人を探して助けたい」


 そう叫んだのは、あまり感情を表には出すことのない縞野だった。

 それは持ち前の優しさ故なのだろうが、あまり合理的とは言い難い。ある意味では、最終的な生存率を上げることに繋がるとも言えなくもない。だがそれは、見つかった生存者が全員、パーティに協力できる人間であった場合だ。人数が増えれば、それだけ全員で生き残る確率は低くなる。子供や女性であればなおさらだ。


 簡潔に言えば、足手まといが増える恐れ、それが最も避けたい事態。

 縞野は、そのことをどこまで考慮しているのだろうか。単純な慈悲の心だけでは、到底生き残れない。時には非常な選択が必要になる。

もし、より多くの人を助けたいからという理由だとしたら、それは捨てなければならない邪魔な感情だ。


「縞野、君は優しいね。それは、僕も見習わなければならないよ」

「そ、相馬くん……」

「卑怯かもしれないが、多数決を取りたい。ここからは個人の判断で勝手な行動は控え、互いに了承を取り合うべきだ」


 個々の行動に制限を加え、相談なしには動いてはならないという制約、全員で協力して生き残るためには、最低限必要とされるルールかもしれない。

 だがその方法が最適とは、とてもじゃないが言えなかった。

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