第6話 反転した世界


 何かしらの目印を探しながら先を目指すが、ただでさえ暗く視界が悪いうえ、天井と床が反転していることもあってか、中々それらしいものは見つけられない。

 少し歩いたところで、目の前に大きなダクトが見えた。

 船が揺れた影響で壊れた壁が通路を塞いでしまっている。


「おい砂長谷、こいつを退かすのを手伝ってくれ。これくらいなら、自堕落なお前にだってできるだろ?」

「自堕落は余計だ。言われなくとも手伝うっての」


 歪んだダクトを退かしながら、道を開拓していく。瓦礫の山を越えた先は乗員用の別区画となっていた。乗客が普段利用する区画とバックヤードが、船が壊れた影響で繋がってしまったらしい。


「一難去ってまた一難とは、まさにこのことだな」


 視界に映る光景を見ながら、相馬は顔を青くした。

 バックヤードには巨大な穴が空いており、覗き見れる下のエリアはほとんど浸水してしまっていた。

 これでは先に進むことができない。


「相馬、どうする?」

「泳ぐしかないだろう。絶対の保証はないが、ルートがない以上は仕方ない。まずは一刻も早く中央階段に行かなくては。本当なら、あまりこれ以上海水には浸かりたくないんだがな。いくら防水とはいえ、海水は危険だ。光源を失う恐れもある」

「その時は仕方ねぇさ。まあ最悪、他に明かりの代わりになるものを探そう」

「ああ、そうだな。今は一刻を争う」


 相馬が先導しながら、砂長谷たちは浸水した通路へと入っていく。

 幸いなことに、上になっている床まで完全に浸水しているわけではないため、顔を出しながら泳ぐことができた。

 視界の悪い水の中を、限られたライトを頼りに進むよりかはよっぽど安全だった。


「見ろ、二人とも」


 相馬のライトが照らす先には、下と上を繋ぐ点検口が見えた。


「これでさっきいた階に戻れるな」


 相変わらず通路は瓦礫で荒れており、先もろくに見えない闇で覆われていた。

だが、景色には僅かな変化があった。特に三人の足元は、見るに耐えないものだった。


「酷いな……これは」


 相馬が、目尻を押さえる。

 ガクガクと震えながら、縞野は砂長谷の背中へと避難した。

 悲鳴を上げなかったのは、声を失ってしまうほどの衝撃だったからだろう。床は血で汚れ、瓦礫の隙間からは潰れた肉片が確認できる。

 三人の視界に映っているのは、制服に身を包んだ乗組員の死体の山だった。


 中には頭部が完全に潰れているものもあり、もはや同じ人間だったことが信じられなくなるほどのものだった。

 体の奥から、気持ちの悪い嘔気が込み上げてくる。今にも昼食を吐き出してしまいそうなほどだ。


「もう見るな、行こう」

「そ、そうだな。早く慣れた方がいい。多分この先、何度も同じような光景を目にすることになる」


 船が完全にひっくり返るほどの事態、生き残れただけでも幸運だろう。ここまでのレベルともなれば、乗っていた者のほとんどは亡くなってしまう。知り合いが三人都合良く助かったことは、本当に恵まれている。


「急ごう、浸水は今この瞬間も続いている」


 死体から目を逸らしながら、三人は暗黒に呑まれた道を歩む。それが更なる絶望になることも覚悟し、必死に生へとしがみつく。僅かに残された希望、安息を求めて。


「あっ!」


 その時、相馬が何かに気づいた。


 ライトの照らす先の壁には、案内表示の矢印と文字が記されていた。


 三階、中央階段。


「ってことは、もうすぐエレベーターホールだな」

「ああ、どうにか上に行く方法があるかもしれない」


 この船の中央階段とエレベーターは、同じホールで隣り合わせになっている。

 贅沢を言えば、エレベーターか中央階段のどちらかが使用できればいいのだが、その望みは限りなく低い。

 これほどまでに船が損傷しているとなれば、希望が薄れるのも仕方がなかった。

 三階は二階同様、主に客室となっているため、道のりは単純で難しくなかった。


「見えてきたぞ」


 程なくして、見通しのいい中央階段前にたどり着いた。

 しかし、その状態は悲惨なものだった。頼みにしていた階段は、壊れたシャンデリアやオブジェによって潰され、まともな足場が存在していない。


 無理をすれば進むこともできなくはないが、階段は今にも落ちそうな程に不安定で、通って渡るのは現実的ではなかった。

 船が少しでも揺れれば、そのまま落下してもおかしくない状態だ。人が少し体重をかけただけでも危ないだろう。


「二人とも、中央階段を使うのは諦めよう。ここは危険すぎる」


 相馬の意見に、砂長谷と縞野も文句はなかった。


「あとはエレベーターか」

「主電源が復旧すれば使えるかもな」

「ただ、機関室は今まさに向かっている先にある。僕たちがいるのは三階、だが機関室は地下階のどこかだろう。そうなればエレベーターは不要だ。誰かが復旧させてくれば話は別だが、それはあまりにも他力本願、そのうえ非現実的だ。地下階にいる人間が、わざわざ危険をおかしてまで主電源を復旧させてくれるとは思えない」

「うぅ、やっぱりそうなっちゃうよね。はぁ、じゃあ結局、歩くしかないってことか」


 縞野はがくりと肩を落とす。


「ただ、前後部にある小階段ならダメージは少ないだろうし、比較的安全に進めるはずだ。そっちに賭けよう」


 三人は来た道とは逆側の通路を進み、船の前部へと向かった。

 この船は構造上、前部階段と後部階段に分かれており、地上階は船の前部にある前部階段を使用する必要がある。だが地下階に向かう際は、エレベーターホールを再び通り、後部にある後部階段から降りなくてはならない。


 だが中央階段の様子を見るに、小階段も安全とは言えない。最悪、非常階段を使うことになるかもしれない。

 その時、客室の方から物音が響いた。

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