第5話 海の監獄


 誰かが、自分を呼ぶ声がした。

 砂長谷が重い瞼をゆっくり開けると、目の前には天井ではなく、床が映っていた。

 視線を横にずらすと、そこには見覚えのある人物が、必死に砂長谷の体を揺らしていた。


「よかった! 砂長谷くん生きてた!」

「し、縞野?」


 同じクラスの女子生徒、縞野早衣に呼び起こされる。


「い、いったい、何が起きたんだ?」


 砂長谷は、まだ思考が安定していなかった。事態を再認識するため、視界を一周させる。

 砂長谷は本来、天井だったであろう場所に倒れていた。辺りは薄暗く、足元には瓦礫が散らばっていた。どこかの通路らしいが、場所がわかるような特徴的な装飾、今いる位置を示す看板や表示などはない。


 だが、近くには水没した穴があった。どうやら他の階とを繋ぐ階段部分らしい。

 そして縞野のすぐそばには、学級委員の相馬の姿もあった。しかし他の生徒や教師の姿は確認できない。


 頭の中で、嫌な想像が働く。

 砂長谷は段々と、何が起きたのか思い出した。記憶が再生され、事の大きさを理解する。

 体は海水でぐっしょり濡れており、背中にはどこかにぶつかったような痛みがあった。己の推測だが、ダイニングからこの通路付近まで流されてしまったのだろう。

 あれから、どれくらい気を失っていたのだろうか。

 経過した時間によっては、事態はさらに悪化するだろう。


「どうやら、連中の仕掛けた爆弾が誤爆したらしいな。あの爆発音、普通じゃなかった。今この船は、逆さまの状態で海上に浮かんでいる。だが、この状態が続くのも時間の問題だろう」


 相馬が冷静に、今の状況を分析する。


「砂長谷も起きたことだし、すぐに上へと向かおう。どうにか救命ボートで海上に出られさえすれば、国の救助を待つことができる。恐らくだが、既に救難信号は出ているはずだ」

「悪い、俺のせいでタイムロスを」

「やめろ。あれからまだ大した時間は経過していない。それに、お前を最初から見捨てるなんて選択肢は僕たちにない。変なことを気にするな」

 

 責任と負い目を感じる砂長谷を、相馬は一蹴した。

 あくまでこれは合理的な判断だと、砂長谷に言い聞かせる。


「それで、どうやってこの船内から脱出するつもりなんだ?」

「ああ、そのことなんだが、僕たちにはこの船の知識がまるでない、まずは乗員を探すことにしよう。上に向かいながら、海水による浸水を避け、同じように上へと避難しているであろう乗員に助けを求めるんだ。ダイニングとは別の場所に隔離されてたとはいえ、この状況なら迷わず上に向かうだろう」

「そ、そうだね……まずはどうにか上に向かわないと。ここも、いつ浸水しちゃうかわかんないもん」


 相馬は非常に冷静だった。普段は妙に生真面目で呆れる印象もあったが、緊急時にはこれほど頼りになる人間はいない。


「この船って、何階だっけか?」

「地上七階、地下四階だ。僕たちがいたのは四階のダイニング、たまたま安全なところに流れついたが、四階かどうかはわからない」

「あの階段を伝って、俺たちはここまで流されたのか?」

「正確には、お前と縞野さんだ。僕は自力で泳いでここまで来た。途中、僅かなエアポケットを見つけて休憩しながらな」


 突然の事態にも関わらず、相馬はすぐに状況を見極め、空気の確保できる場所を目指していたようだ。彼のスペックが高校生のレベルではないことがよくわかる。


「わ、私がここに流れついた時、砂長谷くんも一緒だったの。私はまだ意識はあったけど、砂長谷くんは大量に海水を飲んじゃってたみたいで、一応その……きゅ、救命処置を……」


 縞野は顔を紅潮させ、もじもじと恥ずかしそう

に言った。

 つまり彼女は、砂長谷の命の恩人である。


「あの、だからね……私なんかで嫌だったと思うけど、その……」


 頬に手を当てながら、縞野は視線を逸らした。

 その言動から、砂長谷には彼女が行った救命処置がなんだったのか、容易に想像できた。


「何を恥ずかしがっている。要は人工呼吸のことだろ?」

「はうっ!」


 相馬が冷めた口調で言った。縞野は思わず、体をビクッと震わせ、変な声を上げる。

頼りになる存在だが、相馬はどうもデリカシーには欠けるらしい。


「いや、それだったらむしろ俺の方が、ご、ごめん」


 救命処置とはいえ、思春期の高校生にとっては変に意識してしまうことだった。

 特に縞野は、その恵まれた容姿から、男子生徒の人気が非常に高い。清楚なセミロングの黒髪に、綺麗なアーモンド型の瞳、スタイルだって悪くない。特に主張が強いわけでない豊潤なバストに、程よい肉付きの太もも、これまでも多くの男子を虜にしてきたことが伺える。

 今が緊急時でなければ、嫉妬から校内の男子生徒たちに殺されていたことだろう。


「ったく、イチャつくのは後にしてもらいたいね。生命の危機、吊り橋効果、親密な関係に発展してしまう気もわからなくはないがな」

「そ、そんな……私は別に、砂長谷くんに迷惑だよ」

「いやいや、それ俺のセリフだから」


 盛り付けられた設定の割には、縞野は妙なほどに謙虚だった。傲慢な態度こそ良くないものだが、それは自分に自信がないとも捉えられる。砂長谷と相馬相手なら問題はないが、返って嫌味に聞こえないかが心配だ。女子ならそういうことには特に敏感だろう。


「砂長谷なら迷惑かけても大丈夫だろう」

「おい、なんでだよ。大丈夫じゃねーから。つか冗談言ってくれるのはありがたいけど、やっぱこんな状況じゃ笑えねぇって」

「うーん、冗談とも言い切れないかもな」

「それは普通に腹立つ」


 会話に余裕が生まれてきた。変に緊迫した雰囲気が続くよりはよっぽどましだ。


「ふふ、二人とも仲良いね」

「どこがだよ」

「やっと場が落ち着いてきたな。これくらい緩い方が気持ち的にも楽だろう。いつまでも立ち止まってはいられない、急いで上に向かうぞ」

「ああ、そうだな」


 三人は足場もろくにない通路をスマホのライトを頼りに進んでいく。砂長谷と縞野のスマホは海水で使い物にならなくなってしまっていたが、相馬のスマホは防水だったため、どうにか機能している。しかし、残念ながらこの船の航路では圏外に入ってしまうため、ほとんど死んでいるに近かった。まだ機能が僅かながらに生きているだけでもましだろう。

 まずはどうにか、今いるこの場所がどこなのかを把握する必要がある。

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