第4話 絶望のうねり


 何が起こったのかわからず、恐る恐る部屋の扉を開けた。

 すると、砂長谷の視界に見慣れない物が映り込んだ。それはパイプのように細長く、先端に空いている穴から、少量の煙が漏れ出していた。


 銃だ。特にミリタリーに詳しいわけではなかったので、砂長谷の目ではその種類までわからなかった。映画やドラマなどで似たようなものを見たことはあっても、現実では見る機会などそうそうない代物だ。だがもしかしたら、名前だけは聞いたことがあるかもしれない。


「全員、その場から動くな。おとなしく、我々の指示に従ってもらう」


 銃を天井に振り上げ、威圧的な態度を取る大男は、見るからに船員でも乗客でもなかった。全身を防弾チョッキのようなジャケットで身を包み、顔には生々しい十字傷が刻まれている。その後ろには、同じジャケットを着た男たちが数人確認できた。十字傷の男と違い、ヘルメットとゴーグルを装着しており、顔は見えない。

 砂長谷はすぐに、今が異常な事態なのだと察した。

 廊下には他にも何人かの生徒がいたが、皆が恐怖から体をガタガタと震わせる。


「いいか、今からお前たちには、我々についてきてもらう」


 十字傷の男が先頭に立ち、背後に武装集団を置き、生徒はその間を歩かされた。これでは前にも後ろにも、どこにも逃げ道がない。砂長谷たちはおとなしくついていくことしかできなかった。


 程なくして、四階のダイニングルームへと連れ込まれた。

 そこには、既に修学旅行に来ていた生徒の半数以上が待機させられていた。中には、見知らぬ大人や外国人の姿もある。恐らく、学校とは無関係の普通の乗客だろう。

 十字傷の男に促され、砂長谷は両手を頭の後ろで組んで座った。


「おい、これで全員か?」

「い、いえ……ま、まだ何人か」


 怯えながら、引率の男性教諭が答えた。砂長谷も知っている、学年主任の男だ。


「そうか。よし、もう一度捜索に向かえ」


 武装集団は、十字傷の男を残して再び船内の捜索に向かった。

 さすがにここまで来れば、連中が何者なのか、砂長谷にも想像ついた。

 男たちは、この船をジャックしようしているテロリストだと。


 相馬が船員が見当たらないと言っていたのも、恐らく乗客より先に確保されたからだろう。船をジャックするなら、優先されるのは船員だ。目上の人間から捕らえ、多くは話さずに一箇所に集めてしまえば、制圧するのはさほど難しくない。連中は、銃といった類の武器を複数所有しているのだから。


「安心しろ。お前たちに危害を加えるつもりはない。ただ助けを呼ばれると面倒なのでな、早急に管理しなくてはならないだけだ」


 十字傷の男は落ち着いた口調で言ったが、その言葉の信用は薄い。

 ほとんどの生徒は安堵の表情を浮かべるが、砂長谷は逆に深刻な顔で額を濡らした。

 何故なら、この男は顔を見せている。自分たちを生きたまま解放するなら、顔など見せるはずもない。

 何かしらの目的を達成したとしても、顔を見てしまった乗客や船員は皆殺しだろう。


「先に行っておくが、我々は武器の他に爆弾も所有している。抵抗しようなどとは考えない方がいい、この私の身にもしものことがあれば、爆弾の起爆装置が作動し、この船は海の底へと沈む。肝に銘じておけ」


 男は圧力をかけるような重々しい口調で言い放った。教師と生徒の戦意を削ぐには、それは十分な言葉だった。

 しばらくの間、ダイニングでは緊迫した空気が漂い始め、息苦しい時間が流れた。


 砂長谷の横では、女子生徒が体をもじもじとくねらせている。緊張と恐怖から、尿意をもよおしてしまったらしい。

 だが、間違ってもトイレに行きたいなどとは言えなかった。下手に事を荒立てれば、この男たちが何をするかわからない。

 しかし、何もしなくても結局は殺されてしまう。もはや為す術はない。


「今から予定の航路を外れ、別のところへと向かう。既に舵は奪った、お前たちには我々の目的達成のため、しばらくの間はおとなしくしていてもらう」


 この客船は、本来であれば横浜から香港までを予定しており、既に途中の寄港を終えていた。今から航路を変更すれば、仮に救助要請をできたとしても助けが来る可能性は低い。そもそもの話、本当にそこへ向かうのかも定かではない。


 だが、先ほど感じた景色の違和感から、船の航路が変わっていることは間違いなかった。

ダイニングでは、不安だけが加速する。

すると、テロリストの一人がダイニングへと戻ってきた。

 何やら手には、高価な懐中時計が握られている。外国製の、少し特徴的なものだった。


「時間は大丈夫か?」

「はい、問題ありません」


 テロリストたちは、どうも時間を気にしているらしい。

 ダイニングは緊張と恐怖に包まれる。タイミングが来たら、乗客を全員殺すということなのだろうか。

 連中の目的が何なのか、いまいち見当がつかない。


 単純に考えれば身代金だろう、この豪華客船には、生徒や一般の乗客以外に上流階級の人間も乗船している。要求できる金額は文字通り桁違いだ。

 そう仮定すれば、生徒をこのダイニングに集める理由も見えてくる。重要な客とそうでない客とで分けていると考えられる。


「よし、そろそろ一報を入れるとするか。船をジャックしたことを伝え、すぐに次の作戦に移るぞ」


 十字傷の男がダイニングを出て行き、見張りとしてテロリストの一人が残ることとなった。

手に持っているのは銃だけだ、一般人の知識量では種類を特定するのは困難だが、先ほどの十字傷の男よりはリスクが低そうに見えた。


 今、全員で飛びかかれば押さえつけられるかもしれない。

 だが、それがリーダーである十字傷の耳に入れば文句なく皆殺しだろう。結局、テロリストの一人をどうこうして武器を奪ったところで、敵の人数が不明である以上、乗客側に逆転は不可能だ。


 しかし恐怖と焦りは、時に人の判断を狂わせる。

 外国人男性の一人が、テロリストの一人に突然飛びかかったのだ。

 咄嗟のことで銃を撃ちそびれ、男はそのままダイニングの床に抑えつけられてしまう。男の左腕が勢いよく打ち付けられ、鈍い音を響かせた。

 同時に、他の乗客も一斉に立ち上がった。


「は、早く武器を!」

「そんなことより避難だ! どこか施錠できる安全なところに!」


 焦って急に動き出した群衆に、砂長谷は突き飛ばされる。

 ダイニングはもはや混乱状態だった。


「おい! 今の音はなんだ! 何があった!」


 すると、騒ぎを聞きつけて十字傷の男がダイニングへと戻ってきた。

 テロリストの一人を倒して武器を奪い取っている乗客たちの姿を見て、男は顔を歪ませる。


「お前たち、逆らえばどうなるのか忘れたのか!」


 十字傷の男が、テロリストを押さえつけている外国人男性に銃を突きつける。


「まっ、待ってくれ!」


 教師が両手をあげながら制止させようとするが、もはや説得は不可能に近かった。

しかしその瞬間、事態は急変した。

 船内に地鳴りのような爆発音が鳴り響き、船が大きく傾いた。

 それは雷でもなければ、ましてや銃声でもなかった。まるで巨人によって船が殴打されたかのような、体験したこともないものだった。


「な、なんだ、いったい!」


 十字傷の男が、困惑した表情を浮かべる。どうやら、彼らにもこれは想定外の事態らしい。

地震、というわけでもなかった。揺れているわけではなく、強い重圧がかけられているように感じられた。

 

横倒しになり、テロリストの男を含めた生徒たちが壁へと叩きつけられる。並べられていたテーブルや観葉植物といったインテリアが暴れ出し、生徒の体の上へとのしかかった。

衝撃と水圧で窓ガラスが崩壊し、中から大量の海水が流れ込む。


「きゃあああああああああ!」

「うわっ! うわああああっ!」


 生徒たちの悲鳴が船内を包み、瞬く間に浸水していく。

 何かを考える時間などはなかった。思考が追いつく前に、砂長谷の視界と手足の自由が奪われる。全身が海水によって拘束され、次第に意識が遠のいていった。

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