第8話 お似合いの美男美女
夜会の会場にリラと足を踏み入れる。
人熱の中、きっとざわついて大騒ぎになるのだろうと思っていたら、予想に反して静まり返った。
海が凪いでいくかのように、近くにいた人から奥に向かって順に無言になり、こちらに注目が集まるのが分かる。
普通なら絶対に聞こえるはずがない距離にいる人達の話し声が耳に届くほどに、入口周辺は静かになった。
遠くにいてまだこちらに気付いていないであろう人たちの話し声が耳に届く。
それも、すぐに聞こえなくなって、大勢の人がいる王宮の大広間とは思えないほどの静けさがある。
我々の歩く靴の音と衣擦れの音。
そして時々誰かの息を吞む音だけが聞こえてくる。
陛下の入場でもここまで静かになる事はないだろう。それくらい異常な状態になっていた。
俺がリラをエスコートして夜会に参加することは、噂好きの貴族たちにざわつかせる以上の衝撃を与えたらしい。
驚愕に目を見開いている者、口をポカンと開けたまま凝視する者、皆一様に中々に間抜け面を披露してくれた。思わず笑いそうになってしまう。
貴族たちに衝撃を与えてすっかり静かになってしまった夜会会場は、陛下や王族の登場によりまた騒めきを取り戻した。
しかし、今度はこちらを見てヒソヒソ話す人ばかりだ。
とても気分のいいものではないが、こういうのは無視するに限る。
「とりあえず、陛下の元へ挨拶に行こう」
「うん。緊張するな」
「大丈夫、俺が付いてるし怖くはないから」
「うん。とっても心強い」
話しかけるまでリラの顔は若干強張っていたが、俺の声掛けに安心したように顔を上げ、俺の目を見て笑顔を見せてくれた。俺にはいつもの顔を見せてくれるようだ。
リラがにっこりと笑顔で頷いた。ただそれだけなのに「笑ってる!?」「脅されているのではないのか!?」「なぜだ!?」と聞こえてくる。
失礼な奴ばかりだ。
「ヴァレリオ!と、リラ嬢だね?」
「サランジェ伯爵が長女のリラにございます」
「あー、いいのいいの。ヴァレリオと結婚するんだよね?だったらそんな堅苦しい挨拶はいらないから。俺とも仲良くしてね!」
「は、はい」
「陛下。いきなりではリラも戸惑います」
「え?そう?堅苦しい国王より良くない?ねぇ、リラ嬢もそう思うでしょう?」
「え、あ、は、はい。そう、思います」
「陛下。夜会の席では威厳のある国王でいてくださいと何度も申し上げておりますよね?」
リラが陛下とどう接したら良いのか迷っていると、アントニオが苦虫を嚙み潰したような顔をして苦言を呈しながらやって来た。
「サランジェ伯爵令嬢ですね。宰相のアントニオ・デュカスです。以後お見知りおきを」
「こちらこそ。よろしくお願いいたします」
「陛下には驚いたでしょう?我々、陛下の侍従であるマルコを含め四人は幼馴染でして、私的な場では気安い仲なのですよ。ですが、陛下のこの性格はあまり外に漏らしたくない。ですので、内密にお願いいたします。陛下も、しっかりしてください」
陛下は「ぶぅー」と口を尖らせて不満顔であったが、気を取り直したようで国王の仮面をかぶった。
「相分かった。ヴァレリオ、リラ嬢。今宵は楽しまれよ」
「はっ。では、御前失礼します」
陛下の前を辞して壁際に移動する。
その間も近くにいる貴族たちはヒソヒソと囁きながら不躾な視線を浴びせてくる。
だが、ちらりとヴァレリオが周りを見渡すだけで、周囲にいた貴族たちはサッと目を逸らして黙ってしまう。
「あぁ、いたいた」
親し気な声が聞こえたので、振り返ってみるとリラの両親であるサランジェ伯爵夫妻が笑顔で近づいて来ていた。
「これは。サランジェ伯爵、夫人」
「いやぁ、見事にこの辺だけ人が割れているね。はははっ」
「私は慣れたものですが。リラには居心地の悪い思いをさせてしまって申し訳なく」
すぐにリラは腕に抱きつくように「そんなことないよ!」と否定してくれるが、こんなにヒソヒソ話をしながら不躾な視線を浴びせられたら居た堪れないに決まっている。
「あら。リラはかえって良かったわよね?知らない人が、特に不肖のご令息様方が不用意に近づいて来なくて。公爵様様ね」
サランジェ伯爵夫人がクスクスと笑いながら辛辣な事を言う。
夫人の笑顔を見ていると、リラの笑顔とそっくりだと思った。この母子、本当に容姿がそっくりである。父である伯爵の面影は瞳の色位しかない。
◇
「サランジェ伯爵」
俺とリラがサランジェ伯爵夫妻と話をしていると、伯爵夫妻に話しかける人がいた。
伯爵夫妻に話しかけたそうな人がいるのには気付いていたが、俺が側にいることで諦めて他に行く人も多かった。俺が側にいるのに、そのまま話しかけに来るなんて珍しい事もある。
夫妻が振り返ると、そこには人好きのする笑顔を浮かべた壮年の男性、ミュラー伯爵がいた。
ミュラー伯爵領とサランジェ伯爵領は隣り合わせだったはずだ。だったら交流があってこの状況でも親しげに話しかけて来てもおかしくない。
「もしや、リラ嬢の結婚が決まったのですかな?」
「そうなのです。クローデル公爵様と縁付くことになりました」
「公爵家とは、それはめでたい!よかったね、リラ嬢」
「ありがとうございます」
ミュラー伯爵が祝いの言葉をかけるためにリラを見た瞬間、一瞬ピクリと俺の腕に添えられた手に少し力が入ったような気がした。そして、ミュラー伯爵が身を乗り出して言葉をかけると、リラは気持ち後ろに下がった。
(気のせいではなさそうだ。社交が苦手と言っていたが、昔馴染みであろう相手でもダメなのか)
ならばとリラを背中に隠すように、少しだけリラの前に移動する。
リラの細い体なら俺の後ろにすっぽり身を隠す事ができるだろう。だから、俺の後ろに隠れることで少しでも安心して欲しかった。
俺が少し前に移動すると、リラが縋るようにきゅっと寄り添ってきた事を感じた。背中の布が微かに引っ張られる感覚がある。
このでかい体が戦闘以外で初めて役に立ったかもしれない。何よりも、頼って縋ってくれるのが嬉しい。
その様子を見たミュラー伯爵が、大げさに両手をあげる。
「これはこれは。いやはや若いおふたりにはかないませんな!はははっ。邪魔者は退散しますよ」
イチャイチャしていると思われたのだろうか?
でも、ミュラー伯爵がいなくなったらリラの手の力が緩んだので、まあ良しとしよう。
リラの両親からは優しげな温かな視線を投げかけられる。
「これからはクローデル公爵が守ってくださるから安心ね」
「そうだな……」
夫人はうんうんと安心したような表情で頷いていたが、伯爵は複雑そうな表情だった。
大広間に流れる音楽の曲調が変わる。
ダンスの時間だという合図だ。
リラには王宮に向かう馬車の中で、約二週間、時間を見つけて特訓はしたがあまりダンスが得意ではないと白状した。
すると、リラも『私もなの。あまり社交をして来なかったから私も人前で踊るのは苦手で練習した』と教えてくれた。
けれど、せっかくだから一曲は一緒に踊りたいと言ってくれたので、ダンスに誘う。
「リラ。俺と踊っていただけますか?」
「ふふっ。もちろん喜んで!」
小柄な講師と練習したが、それでも講師は男性で、リラは当然講師よりも小さい。
ダンスのためにホールドすると手の位置や腰の位置、細さが全然違う。
ホールドしてみるとその体格差が突きつけられるようだ。
講師とのダンスとは少し勝手が違うので、リラの足を踏まないように細心の注意を払わなければならない。
万が一にも踏んでしまったら、絶対に粉砕してしまう。
ターンのたびにリラからふわりふわりと甘い香りが漂ってくる。
ダンスとはいえ今までになく密着しているので雑念が湧く。
(細いと思っていたが、柔らかい…… ―――っ!)
集中力を欠いた瞬間に危うく足を踏みそうになったのでリラを軽く持ち上げる。簡単に持ち上がる位に軽い。ターンでは遠心力で吹っ飛んでしまうのではないかと思うくらいに軽い。
急に持ち上げられて一瞬目を丸くした後にくしゃりと楽しそうに笑った顔が可愛い。心を鷲掴みにされた。
俺に技術がないのが申し訳ないが、骨を粉砕するより良いだろう。リラが楽しそうにしている表情を見ると安心する。
「ふぅ。何とか踊り切ったな」
「こんなにダンスが楽しかったの初めて!」
無事に一曲踊り終わると、ニコニコしながら陛下が近づいてきた。
「リラ嬢。私とも一曲良いかな?」
リラがちらっと俺の方を見てくるので頷く。陛下になら安心して任せられる。
「光栄にございます」
にっこにこの笑顔からあっという間に伏目がちに微笑という仮面を付けたリラが、陛下の手を取る。
ふたりでフロアの中央に行き踊っている姿はとても似合っている。
精悍で美青年の陛下と儚げな美人のリラ。
(お似合いの美男美女とはこういうことを言うのだな………俺とでは美女と野獣と思われてそうだ)
―――この時は実際に美女と野獣、雪と墨などと人々が口にしていた。さらに、ヴァレリオを指す異名に『ビースト』が追加された事を本人が知るのはまだ先の事だった。
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