今の話

 中学二年生になって、荒々しい日常に慣れた。荒々しく飲まれる日々に私はだいぶひねくれた性格になり、口調も昔の敬語と打って変わり暴力的な言動になった。そして兄でさえも信用を置かなくなった。実に無情な人間だと思うか?私もそう思うよ。でもその頃には涙というものは出なくなって、広角を上げることも出来なくなり無情さに拍車が掛かった。けれど、それで得をしたこともあった。殴られても泣かないから早めに親の機嫌が治る。あぁ、これはきっと素晴らしい。友人関係で様々な弊害が出ているけれど一番辛い時間が短く終わるのなら素晴らしいはず。元々その素質はあったかもしれない、けれどそれが加速したのは中学一年生の頃、過去の兄と同じく虐めにあい主犯核は兄を虐めていた人の従姉妹。けれど被害者面をする気は無かったのでやられたらやりかえした。水を掛けられれば掛け返し、蹴られたら蹴り返し、物を壊されたら壊し返す…基本的に同じ状況、時間、曜日、物、場所でやるようにした。暫くすると私は問題児扱いをされ2学期から2年生になるまでは別室登校になった。くそ食らえだと思ったが常に自習ということが性に合い、悠々自適に勉強した。たまにカウンセラーの人と話したり交換日記をした。学校側の見解としては最初にやった主犯核には厳重注意をし、私は普段の学校生活で感情を見せないので何かしら精神的にあるのだろうという事からのカウンセラーらしい。最初はイライラして貧乏ゆすりが止まらなかったり、自分の腕を度々殴ったりしていた。今もその癖は治らないがある程度よくなってきてる。そんな感じで中学一年生を過ごした。


 中学二年生になってから改めてクラスに戻れたが意外にも普通に過ごせた。私的には狂ったことをやった奴と思われているんだろうと思っていたが普通に接してくれる。まぁ、恐れが故かもしれないが...深くは考えない、考えてイラつくのは面倒くさいから。それからはある程度友達ができた。友達といってもイライラしてる時に当たりそうになるから私は友達と思ってないんだと思う、表向きの{友達}という考えが私に張り付いて取れないだけだろう。けど、ポーカーフェイス(表情が動かせないの方が正しいが)だからイライラしてるのも気付かれない。喜んでるのも気付かれないが…そこからは笑顔の練習をした。広角を自然に上げる練習だ。受験生の兄の部屋に凸っては笑顔かどうかを聞く。夏休み前には広角を自然に上げられるようになり、先生や友達から「笑うようになった」と言われるようになった。本当?と言いケラケラとと友達も笑った。波を立てず、土足で踏み込まれない距離感を私は知った。それがとても快適だった。


 そんな中夏休みになった。暑い中歩いて学校に行くのは凄く辛かった。だからずっと引きこもっていていいとなると最高だ。友人は私に対して「夏休み一緒に遊ぼうね!」と言った。生憎お金はある…語弊があるか。小学生の時はお小遣いは1000円、毎月はじめの方に貰っていた。中学になると3000円に増えた。でも使う場所が見当たらずずっと昆虫図鑑や魚図鑑に挟んで貯めておいた。何かを買っても投げて壊されたり、破られたりするのを知っていたから余計に欲がなくなったんだろう。兄は進路が決まっておらず中学校に呼び出しを食らっていた。それに苛立った母親は兄や私、父親に当たる。そして父親がキレて私や兄に当たる。母親と父親が言い合う時の口癖は「お宅の子が」と言う。お互いに私たちを押し付け合う。機嫌がいい時に私や兄が何かいいことをすると「うちの子ですから」と言う。押し付け合い、引っ張り合い…私はきっと2人から愛されていないんだと思った。そしてその思ったことはそのうち確信に変わっていった。

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