ふたりぼっち家族

@s0_

昔の話

 私の家は世間一般のとは違うかもしれません。母親は仕事熱心な人で、美人です。父親は夜勤で昼過ぎから寝てしまいますが、子供と一緒にゲームで遊んでくれて、作るパスタがとても美味しくて、イケメンです。そんな間から産まれた人間ですから、年子の兄も私も美人ではあるんでしょう。私は長年見ているので分かりませんが兄には彼女がいます、そして優しいです。私も聞き分けがイイ子ではあると思います。けれど、これはあくまでもの家族です。

 本当は、母子家庭です。けれど父親は家にいます、暴力的で傲慢な父親です。母親もヒステリックで彼氏がいて長期休みでは殆ど居ません。父親が愚痴を言い母親がヒステリックを起こし私たちに当たる。そんなものですから、兄にも私にもストレスが溜まり兄妹の間でも喧嘩が起きます。兄は176cm、私は158cmですから力では勝てません。兄は腕っぷしが強くなり私は口が悪くなりました。


 私が物心ついたのは確か、3歳頃でした。母方の祖母の家に住んでいて、兄はよく泣きながら「パパも一緒がいい」と泣いていました。丁度半年前に両親が離婚をしたらしく、その時には兄にはもう物心がついていたらしい。けれど幼い私には記憶にない「パパ」を寂しがることなんて出来なく、ただ泣いている兄を見つめお菓子を分けることだけでした。次第に「パパ」に対して泣くことがなくなり、私とも遊んでくれるようになりました。私にとっての家族というのはその時から兄と母親と祖父と祖母だったのです。けれど私が幼稚園の年長さんになった時に新しい家に引っ越すことになりました。祖父母の家から僅か1分歩いた場所にあるアパートですが、祖父母と離れて暮らすのにとてつもない不安をありました。それにそのアパートには兄が呼ぶ「パパ」という人が居ました。兄は嬉しそうにするので私は広角を上げて兄が言うように「パパ」と呼びました。今思うと、この頃から愛想笑いというのを理解していたのかもしれません。そのストレスかもしれませんが恥ずかしながら私は小学3年生頃までお漏らしをしていました。小学4年の時からは新しい和風の一軒家に引っ越し、自分の部屋が与えられたからかお漏らしはピタッと止まりました。勿論この家も歩いて数分で祖父母の家に行ける距離です。


 私の兄は小学4年生の頃、虐めにあっていました。その時はどんなものかを聞いても話してくれませんでしたが幾分か時間が経ってから話してくれました。人の前でズボンを脱がされては馬鹿にされ、親に話しても相手にしてくれず辛かった、と。私はその時無慈悲にも心の中で(鼻を殴ってしまえばいいのに)なんて思いましたが、成長した後それが出来ない事を身をもってしりました。対して兄は、なにもしてくれなかった両親に嫌気がさし祖父母宅へ家出することが多くなりました。私は母親と2人で食事をしては愚痴を聞かされる日々を度々送りました。けれど兄とは小学校の登校班で毎日会っていたので寂しくはありませんでした、けれどその頃から兄はストレスでの過食癖が付いてしまったのかブクブクと横に増えていきました。私は食が細く、そして無頓着でしたから兄妹として並ぶと兄が私の分まで食べているのではと言われることもありましたが、私は{食べれるならなんでもいい}というスタンスでしたから兄が分けてくれるお菓子は何でも食べていました。


 段々時間が経つと兄の反抗は強くなっていきました。母親と兄の言い合いを黙って見てることしか出来ませんでした。母親が投げたものが兄や私に当たったりして、痛がると母親は「私が悪いって言うのか!」と荒れ、兄が言い返しと散々でした。兄が部屋に籠り母親が私に散々愚痴を吐いた後何もなかったかの用に部屋に戻り寝ます。それを見届けてから私は母親が投げたものを片付け、場合によっては夜ごはんの洗い物をしたりしてました。そうすると兄が私のところに来ては怪我や痣を心配してくれます。けれどストレスが溜まっていると私は兄に当たったりしてました。


そんな生活が中学二年生まで続きました。

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