第11話 付き纏う闇 1


 広田は、未だ傷が癒えない前に病院を抜け出した。死を覚悟した彼は、もう軍隊に縛られるのは我慢出来なかった。せめて余命を自由に生きたかった。

 

 広田は、病院から出ると、満州の地を隠れるようにして逃げ回った。生きていく為に、民家から食べ物を盗みもした。


 或る日、いつもの様に農家の家に忍び込んだ。用心深く食料を探していたら傍に服が置いてあった。自分が着ていた服は既に汚れ、ボロボロになっていたのでちょいと拝借した。

 服は女物だった。選り好みが出来る状態ではないので着てみたら、つんつるてんでみっともなかった。

 でも、その服がその後の彼を救った。


 幾ら上手く逃げ回っていても、いずれは誰かに見つかる。案の定、広田は盗みに入った家の主人に捕まってしまった。

 だが、運が良い事に、この男、広田を女と勘違いした。服装も女物だったし、顔つきも女に見えたのだろう。


 中国語を話せない広田を、直ぐに日本人と見破った家の主は、スケベ心丸出しで彼に綺麗な服を渡し食べ物までくれた。

 その後、風呂に入れと身振りで示した。男の指図に従う振りして風呂場に入った広田は、風呂場の小窓から服を持って一目散に逃げた。


この時広田は思った。

(そうだ、このまま女に成り済まそう)


 戦時下の満州を逃げ隠れするには、女性でいた方が何かと有利と知った広田は、自ら女性らしい美しい振る舞いを懸命に演じた。

 女性らしく振る舞えば振る舞う程、男が寄ってきて彼の思う壷に嵌まる。広田は男等のスケベな心を逆手に取る、大ペテン師に変身した。

 そして、広田に翻弄され、騙された男達に依って、彼はやっとの思いで本土の土を踏んだ。


「私は痛感した。、男がいかに愚かな生き物かを。お二人も十分気を付ける事ですね」

 貴子の話を聞いていると、再び性別が混乱しそうになる。


 東京の地に立った広田三郎は、「田中たみ」と名乗り桜谷家のある地にやって来た。名前は、間違えないように姉の名を拝借したものだ。


 桜谷貴代との出会いは偶然の様に見えたが、実は彼の策略であった。


 貴代が一人暮らしで身内とも縁遠いという事を耳にし、広田は桜谷邸の門前で行き倒れた様に見せかけたのである。

 心根の優しい貴代は抱きかかえるようにして家の中に入れ、介抱した。そこで彼はまた芝居を打った。  

「両親を満州で亡くし、一人ぼっちになった所を男に騙され、東京まで無理やり連れて来られた。何とか男の手から逃れる事が出来て、やっとここまで逃げて来た」

 のだと、涙混じりに話して見せたのである。より深い同情を得るためであった。 

 それを聞いた貴代はまんまと策に乗せられた。貴代は甚(いた)く同情して、

「暫くの間、この家に隠れていなさい」

 と、勧めた。 

 広田は涙を流し、喜んで見せた。


 脱走兵という立場の彼には、身元を隠せて、尚かつ、安心して生活出来る所が欲しかったのである。

 彼は、見事にその場所を手に入れたのだ。


 居心地の良い貴代との生活は、傍目からも羨むほど仲の良い、本当の母娘のように映っていた。むろん、「田中たみ」と名乗る広田が、本当は男であるなどとは誰も気付かない。


 そんな折り、跡取りのいない貴代は彼を大変気に入り、養女にしたいと言い出した。むろん、依存のない広田は快く受け、名前も貴代の「貴」一字をとり、桜谷貴子に改めたのである。 


 母娘の間柄になったにも関わらず、一年も経つと云うのに、貴子は同性である貴代に裸を見られる事を極端に嫌っていた。

 貴代はそれを不審に思うと同時に、好奇心も芽生えた。そこで貴代は、貴子が入浴中の風呂場に突然押し入ったのである。


 貴代がそこで目にしたものは、焼け爛れた痕の残る貴子の股間であった。火傷を負ったにしても、女性の下半身とは余りに違う姿に、貴代は不気味さと共に恐れを抱いてしまった。

 それだけではなかった。貴代は恐怖心の為か、貴子を化け物と思うようになってしまった。


 このままでは拙いと思った貴子。この時点で貴子に密かな殺意が生まれたのかも知れない。

 折しも、終戦間近となった東京は、米軍機による空襲が激しい。上空から雨のように焼夷弾が降り注ぎ、大地を焼き焦がしていた。

 

「私は貴代お母さんを連れて防空壕に一目散に走った。その途中で、お母さんは焼けた家の柱が倒れてきて下敷きになった。私が何かをする前に、運悪く頭を打って亡くなったのよ」

 貴子は辛そうに顔をしかめる。


 涙を流さんばかりの表情をする貴子を、保来は上目遣いで見る。


「元看護婦さんが、死亡確認したんですよね。でも、看護婦さんは、柱が当たったにしては不自然な点があると話してくれたのですが?」


 保来は、元看護婦という老女まで探し出し、当時の事を聞いていた。


「あら、そうだったんですか? 私はお母さんの手を繋いで夢中で前を急いでいたので、 何が起きたのか分かりませんでしたわ」

 貴子は惚けた。


 保来は、元看護師から疑問点を詳しく聞いた。そこから導き出した推測は、


「貴子さん、いや、広田さん。何か分からなくなるので貴子さんと呼ばさせて頂きます。貴子さんは貴代さんを木刀で殴ったのでは無いですか? それを誤魔化す為に遺体を火事場まで運んだ」

「まるで、その場居たみたいな言い方ね。そう思うならそれで良いんじゃ無い」

 貴子は開き直った。


「良子という孤児の場合も、同じように貴方の体を見てしまったからですか?」

「あなたは既に、私が殺めたと決めつけているのね」

 貴子は、溜息を一つ大きく吐く。


次回の「付き纏う闇2」につづく

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