第10話 転回
「それで、孤児だった良子と言う子を自分の所に招き入れたんですか?」
それまで、黙って二人の会話を聞いていた保来が口を挟んだ。
貴子に、明らかな動揺が見られた。
「良子? あなたは良子を知っているの?」
「はい。調べるのが商売ですから」
保来は貴子の出方を待った。
貴子は、保来の腹の内が読めずに苦慮している様子だ。
「確かに戦後間もない頃、良子という孤児を預かったわ。でもその子がどうだと言うの? あの子は親戚の人が見つかり、その人に引き取られてこの家から去って行ったわ。」
貴子は穏やかな話し方に戻っていた。だが、その姿は努めて冷静さを装っている様にも見える。
「所で、桜谷貴代さんの菩提寺は何というお寺なんですか?」
貴子の反論を無視し、再び保来が脈絡のない質問をした。
「えっ? お義母さまのお墓? それは…、突然亡くなったので、お義母さまから聞き及んでなく、私の故郷に埋葬させて頂きました。何か拙い事でもあるのかしら」
返答に歯切れの悪さが出ている。
どうも貴子は、唐突な質問には弱いようである。咄嗟の弁解は的確さを欠き、明らかに、その場凌ぎに取り繕っているのが分かる。
保来は相手を追い込むような調子で話を続けた。
「広田さんの実家の近くという事は、栃木県の鹿沼ですね。私、調べさせて貰ったんですよ。貴方の実家迄行って」
保来が、広田の実家まで出向いていると述べたのは、、自分が広く深い調査をしているという印象を持たせる為でもあった。
「広田家の菩提寺にも伺いました。住職の話では、戦中戦後を通して、広田家の葬儀を執り行ったのは、貴方様のお父さんだけだと言ってました。同じ場所にお墓を持つ近所の人にも聞いてみました」
保来はわざとメモを取り出し開く。
「当時は土葬が一般的でしたから、埋葬したという事であれば、当然皆さんの目にも触れる筈です。誰も見た者はいないと言ってました。それに、戦争末期という混乱の中、わざわざ遠地まで貴代さんのご遺体を運ぶなんて考えられない事ですよ」
貴子は言葉に窮した。保来の追求は核心を突いたのだった。
保来は厳しい視線を貴子に浴びせた。すると貴子は、突然大きな声で笑い出した。体を反り返し、顔を天井に向けて笑った。
そしてゆっくりと二人に、再び向き直った。
「仮に、私が二人をどうにかしたとしたら、あなた方はどうなさるおつもり? 警察に引き渡すつもりなの?」
貴子は厳しい表情になって問う。
彼女は開き直った。保来は怯まずに話を続ける。
「私は二人の女性を手に掛けたとは一言も言ってません。計らずも今、あなた自身の口から出たように、私はあなたが二人を殺したと推測しています。いえ、少なくとも、良子の場合は、それは間違いのない事実だと思っています。確かな証拠は有りませんがー。しかし、警察には言いません。何故なら、二つとも時効が成立しています」
「あなたの言ってる事が正しいとしたら、時効の成立と云うのは、私にとって歓迎すべき事になりますね。でも、それを承知しているなら、何故お二人は此処にいらしたのかしら?」
「真実が知りたかったんです」
「偽善ね。真実を知ってどうするの? お前は殺人者だと罵るお積り。そうすれば満足して帰れるとでも言うの?」
貴子の語気が強くなる。
「生意気な事を言う気はありません。私はただ、道義的な面で責任を取って貰いたいんです。もし、良子という女の子を手に掛けたのなら、このままでは余りにも可愛そうじゃないですか!」
貴子は保来から視線を反らさずに睨み続けていた。保来も負けじと睨み返す。
そんな二人の対決を、衝撃的な気持ちで聞いていた柿崎が、間に入る形で貴子に提案した。
柿崎にとって、貴子に殺人の疑いが有るなどとは、全くの寝耳に水であった。この件に関しては、保来は柿崎に一言も話をしていなかったのである。
「保来君、どうだろうか。もしその話が本当だとしても、もう時効も成立していて法律的には罪には成らないという事だし。今更真相究明なんて出来ない」
柿崎は貴子と保来両者に語り掛ける。
「戦後といっても、つい最近まで一人でも多くの人を殺せば英雄と讃えられる世の中だった。戦後になったから殺人は犯罪と言われても、生死を彷徨った人間に取って180度器用に気持ちを変えるられる人ばかりでは無い。一応、仲間や見方の命を奪うのは戦中でも駄目だが」
柿崎の説明に、保来は自分の役目を改めて考える。
彼は、別名貴子・広田三郎の罪を詰る為に来たのでは無いと気が付く。ただ、もし貴子が二人の命を奪っていたのなら、心から償いの気持ちを持って欲しい。そんな気持ちだった。
一方、保来の追求を制した柿崎は、一体何故貴子に会いたかったのか?
単に、脱走兵扱いでないから安心して生きてくれと伝えたかったのか?
「自分はあなたが広田三郎では無いかと疑い始めた時から、ずーっと考えて来た。果たして、明らかにする必要があるのかと。でも、これからも社会と断絶して生きるのは、広田が受けた苦しみと釣り合うのか考えた。それで、手術を行った杉戸医師と相談した。杉戸医師は、解放させられるならそうしてあげなさいと言った」
柿崎は諭すように話す。
「この際、洗いざらい話して貰えないだろうか? 一人心の中に閉じ込めて置くのは辛いだけだろ? 私たちは、広田の話を他人に話すつもりは全く無い。なっ、保来くん!」
「はい」
保来は釣られる感じで返答する。
貴子は俯いて考え始めた。そして意を決したのか、
「分かったわ。全てを話しましょう」
何が貴子にそう決心させたのか分からないが、姿勢を正すとまるで朗読でもしているかのように話し始めた。
次回の「付き纏う闇」につづく
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