第8話 対決 1


 時は流れ数ヶ月が過ぎた。正月も過ぎ、一月も最早残すところ僅かになった。寒さも一段と厳しさを増して来る。                    


 寒さが増す夕暮れ時。柿崎と保来は桜谷邸の門前に立っていた。 

「いよいよだな。この屋敷に入り込む秘策はあるんだろうな?」

「任してください。柿崎さんは私の話に上手く合わせて頂ければ、まあ、大丈夫でしょ」

 いま少し歯切れの悪い保来の返事に、柿崎は「よしっ」と応じる。


 保来はインターホンのボタンを押した。暫く待ったが応答がない。時計は六時を回っていた。家政婦はとっくに帰っている時間である。 

 足下から寒さが忍び込む。保来は再びインターホンを二度三度と押してみた。

暫くしてやっとインターホンから声が聞こえた。

「どなたですか?」

「遅くに済みません。私、桜谷様の縁戚の方からの依頼で伺った、保来探偵社の保来孝太朗と申します。過日、桜谷貴代様の従兄弟の方が亡くなられました。

実はその方の不動産が、大分前に亡くなった父親名義のままになっていまして、戦後の混乱期の為か、法定による正式な相続をしていなかったという事です。

そこで今回、法律に則って、遺産相続の手続きをしたいと云う事で伺いました」

「私は喜代ではありません。その娘・貴子です。私が何故、その方の遺産相続に関係してるのですか?」

 穏やかな優しい声である。

「子供さんに当たる方でしたか? 貴代さんはどうされたのでしょうか?」

「母は、空襲時に不幸にも亡くなりました」

「そうでしたか。それでも、法律ではどうやらあなた様にも相続権が有るという事です」

「私に相続権が有るという事ですが、私は要りません。その相続権を放棄します。あなたの依頼人に、そうお伝え下さい。抑も、弁護士で無く、何故探偵さんがいらっしゃるのですか?」

「事情があったのでしょう。親戚間の交流が途絶えていたそうで、一応本人確認を依頼され、伺いました」 

「とにかく、私は要りません」

 貴子がその場から立ち去ろうとしている雰囲気が読み取れた。

 保来はやや慌てた。

「ちょっ、ちょっと待って下さい。放棄するにも署名と捺印がいるんです。兎に角、私たちを中へ入れて貰えないでしょうか?」

 彼の訴えるような口調に、貴子はやっと承諾し、家の中に引き入れてくれる。


 玄関のドアを開けて待っていた貴子は、柿崎と視線があったとき、「おや?」という表情をした。

「こちらの方が弁護士? それとも、あなたに依頼人した縁戚の方?」

 保来から差し出された名刺に目を通すと、貴子は傍らの柿崎に視線を向けながら尋ねた。

「はい」

 保来は即座に答えた。

「貴方様はもしかして、植木屋さんですよねー?」

「はぁー」

 柿崎は戸惑いを覚えながらも素直に答えた。

「親戚関係にあたる人だなんて、とても奇遇ですわね」


 どうやら貴子は勝手に勘違いをしてくれた模様である。それとも、何かを感じて演技したのか? 

 いずれにしても、保来はそれはそれで好都合と判断し、敢えて余計な口を挟まなかった。


 貴子は二人を客間に案内し、「温かい飲み物を」と言い残し、その場を離れた。


「おい、探偵さんよ。あんなデタラメ言っちゃって、ちょっと雰囲気拙いんじゃないか?この後、どう展開するつもりだ。植木屋の一人一人の顔など、まさか見ていないと思っていたら、しっかり観察していたぞ。拙いぞこれはー」

「勝手に勘違いされるとは予想外でしたが、こうなったらこのままにして置きましょう。それに、いざという時の為にコレを用意して来ましたから」

 そう言うと彼は鞄の中から書類を出した。財産放棄に関する書類である。


「これをどうやって手に入れた?」

 柿崎は、この様な書類は簡単に手に入らないと思っていたのである。

「これは偽物ですよ。前にチラッと見た事があるので、その記憶を辿って私が勝手に作ってみました」     

 柿崎は、彼の用意周到さに唖然とし、やはり餅屋は餅屋だと感心した。


「で、これをどう使うのだ?」

「あー、いや。どうしたら良いですかね?」

 保来が逆に柿崎に聞き返す。


 そうこうしている内に、貴子が暖かいコーヒーを入れて戻ってきた。二人の前にコーヒーを並べ終えると、対面のソファーに座った。そしてゆっくりと顔を上げ、二人に視線を向けた。


 改めて明るい照明の下で見る貴子は、言い知れぬ美しさであった。保来には、何故、男がこんなにも美しくなれるのか不思議でならなかった。

 そして、柿崎が男と言い張るその証拠を、自分の目で確認したくて貴子の首に視線を向けた。喉仏の有無を調べる為に。

 しかし彼の目には、喉仏が有るのか無いのかハッキリ分からなかった。


「で、どの様な手続きをすれば良いのですか?」

 貴子がいきなり切り出して来た。

「あっ、はい。この書類に…」 


 保来が偽物の書類を差しだし、説明しようとした時である。いきなり柿崎が叫んだ。

「広田! きみは広田、広田三郎だろう!」


 一瞬、張りつめた空気が部屋に走った。貴子は、唐突な言葉を投げかけた柿崎を凝視する。

 貴子の射るような視線がやがて穏やかになり、落ち着いた口調で反論する。


「何をおっしゃっているのか分かりませんわ。あなた方は、何の目的を持っていらしたのですか? 親戚が、財産がどうのこうのと言うのは、本当は作り話なのではありませんか?」

 柿崎は、そんな貴子の言葉など全く無視し、覆い被せる様な口調で言葉を浴びせる。

「広田! よく生きていたな。自分は柿崎だ。もう忘れてしまったのか? きみにとって、思い出すのも厭な事だろうが、あの時の手術に立ち会い、その後の看病もした柿崎だ。ずーと心に掛けていたんだ。心配してたんだぞ! よく生きていた。俺は嬉しい」

 貴子は柿崎をジッーと見つめる。しかしその焦点は霞んでいるように見える。


次回の「対決2」につづく

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