第7話 故郷


 保来は桜谷貴子、つまり広田三郎とされる人物の故郷に車を向けた。彼の家族に会う為である。                         


 東北縦貫道の鹿沼インターで降り、そこから東京方面に数キロ戻った辺りに実家はあった。田園風景が広がる中、点在する数軒の集落を繋ぐ小道を走り回り、やっと探し当てる事が出来た。

 周囲の家々と同じく、農業を主として暮らしているようである。大きく育った木々や、垣根となる木々が入り交じり、風除けの為か敷地の回りを取り囲む様に植えてある。

 この木々の途切れた所に入り口があった。

 

 保来はゆっくりと敷地の中に車を進入させる。彼は車から降りると、「よしっ!」とばかりに自身に気合いを入れ、玄関に向った。

「ごめん下さい!」

 声を掛けても返事が無い。


 保来は入り口の引き戸を開けてみた。当たり前のように鍵など掛かっていない。

 薄暗い土間が広がり、上がり縁が長く伸びている。彼は障子戸の向こうの部屋に迄届くように、更に大声で声を掛けた。

 中から出てきたのは猫背姿の老婆であった。老婆は怪訝そうに保来を見つめる。

「何の用かのう。見掛けん顔だが?」

「はい、私、こう云う者です。実は広田三郎さんに頼まれて伺いました」

 老婆の、警戒心を解く為にまたしても嘘を吐く。


 老婆は差し出された名刺を黙って見た。息子の名を言ったのに何の動揺も無い。その様子に保来はやや戸惑った。

 もしかしたら、老婆は既に我が子三郎の消息を知っていたのか、もしくは、母子の強い絆が、我が子の生存を鋭く嗅ぎ取っていたのかも知れない。

 否、親子二人は既に会って居たのか?         


 保来は老婆の反応を伺いながら慎重に話を続けた。

「三郎さんは事情があって、表立ってこちらに帰れないという事です」

 保来は言葉をそこで切った。そして老婆の反応を待った。老婆の反応次第で、既に会っているのか、それとも戦死したと諦めているのか判別出来ると計算したからである。

「三郎は元気でおるのかね?」

「はい、お元気です」

 老婆は、小さく「そうかー」と言ったきり押し黙ってしまった。


 老婆は息子の生存を知っている。そして、保来は直感的に此の親子は顔を合わせていないとも思った。もし会っていなかったとすれば、老婆の心中は安堵の気持ちと、息子に会いたいという衝動とが入り交じっているに違いない。

 だが、それを一切表に出さない。取り乱して騒げば、息子に迷惑が掛かるとでも考えての事だろうか。


 柿崎の話に依ると、医官の杉戸は所属する隊に、広田三郎を「戦死」と報告したそうである。

 「脱走兵」というよりは「戦死」の方が遥かに良い。それは柿崎の強い要望に依って叶った事であり、彼等の持つ温情が成したものであった。

 回りにいた者達も、あの酷い傷身の体では、この広い満州の地で生き長らえるとはとても思えないと言ってくれたのも幸いした。 


 老婆は息子の戦死を聞かされていた筈である。であるから、息子の消息を聞かされ驚くのが自然である。それとも、既に軍隊は消え平和な日本になったのではあるが、息子の生存が確認されれば「脱走兵」の汚名が着せられるとでも考えたのか。

 保来は老婆の心中を考えあぐねた。


「私はこちらの家族の方々の近況を伺い、三郎さんに報告する為に来ました。家族の方々はお元気なんでしょうか?」

 保来はそう言って、話題の方向を少し変えてみた。それに応えて、老婆はぼそぼそと家族の事を話し始めた。


 父親は数年前に亡くなったという。三郎の兄「一郎」と、長女「たみ」は今でも健在であり、二人とも結婚して平凡に暮らして居る。

 広田三郎は次男だが、当時の「産めや増やせ」の国策を考慮し、少しでも数を多く見せる為に「三郎」と名付けたという。

 老婆はここまで話すとまた黙った。         


 保来はこれらの話を聞いていてフッと思い立ち、ある質問してみた。

「所で、広田家のお墓についてなんですが、代々続いているお墓でしょうから、そのお墓に他人などは決して入れないでしょうね」

「当たり前だっぺ。ここら辺のもんは、各家、皆持ってるよ」

 一見、意味のない様に見えるこの質問が、意外にも後で意味を持つことになる。


 保来は、老婆に、息子・広田三郎宛の手紙を書いて貰うよう申し出た。

「どんな内容でも良いと思うんです。息子さんに伝えたい事がありましたら書き綴って下さい。私が責任を持ってお届けします」

 老婆は了解し、薄暗い奥の方へと消えていった。保来はその後ろ姿に、「外で待ってます」と告げると庭に出た。                     


 庭の其処此処には沢山の木や草花が植えられていた。それらの木は、幹の太さといい、枝振りの高さといい、十分な時の流れを感じる。

 庭を眺める保来の目に、赤く色ずいた実が飛び込んで来た。彼の大好物の柿である。

 彼にとって柿は、思い入れの深い果物だった。   


 彼の故郷は、長野県の秘境とも云える峡谷にあった。狭い土地には、温泉旅館が十数軒ひしめくように建っている。

 数多く訪れる観光客の為に、僅かばかりの空き地は車の置き場所に占領される。儲けを捨てて迄、果樹の為にスペースを空ける者はいない。

 何故なら、どの様な理由によるものなのか、殆どの果樹が実を付けないからだ。


 そんな訳で、その温泉地で生まれ育った保来にとって、庭に実った柿の果実を穫ってその場で食べる事は憧れなのだ。


 遠くから眺める柿の木。何故か幼い頃過ごした故郷の想い出と重なり、郷愁が彼の心を包む。


 物思いに耽りながらぼんやりしている保来に、老婆が声を掛けた。老婆は書き上げた思いを保来に託す。

 保来はその手紙をしっかり受け取ると、次の目的地へと車を走らせる。


次回の「対決」につづく

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