第6話 汗
予算が少ないと言われたのには少々やる気を削がれるが、しかしそんな気分を忘れさせるものが、保来にはあった。
それは、近所の聞き込みで小耳に挟んだ、所謂「気になる事」であった。
とにかく、桜谷邸の回りに住んでいる人達はどうも口が重い。警戒しているのか、それともお喋りだと思われるのを気にして、話したくても我慢しているのか。
皆、話の内容が断片的であり、なかなか繋がらない。仕方がないので彼は、もっと突っ込んで詳しく語ってくれる人を、この地域から引っ越して行った人達に求める事にした。
保来は他の調査仕事の合間を縫って、転出した人を追い掛けてみた。そんな人の中に、有力な情報をもたらしてくれた人物が居た。
その人物は、茨城県の結城で、農業をしている家に婿養子として入っていた。
「おぉ、おぉ、桜谷貴子の事かい。よ~く覚えて居るぞ。あれは不思議な女だったな」
そう気軽に話に乗ってくれたのは、六〇を過ぎた望月銀之助と言う初老の人物だ。
老人は、話し乍ら収穫した夕顔の実を、機械を使って薄い帯状に剥いている。
保来は老人にうち解けて貰おうと、先ずはこのサッカーボール位の実の事を話題にした。
老人は親切丁寧に色々と教えてくれる。保来は老人の説明を聞き、始めてこの薄い帯状に剥かれた物が干され、それが干瓢と呼ばれる事を知った。
保来が感心しきりで聞いていたので、いつの間にか話が逸れてしまい、果てには長々と自慢話や昔の話を老人から聞かされるハメになった。
望月は幼い頃から病弱だったらしく、戦時中の兵役検査では丙種合格だった。
当時の社会状況の中で非常に肩身の狭い思いはしたものの、お陰で出兵で戦地には行かず内地に留まる。
戦後も相変わらず体が弱かったので、仕事にも就けずに厄介者扱いされていた。
そんな状況を親戚の人が見かねて、縁談話を持って来たという。
相手は再婚で年上であるが、余り働かなくても良いし、病気の面倒も見てくれると云うので、婿養子という形で結婚した。
最初はそのように歓迎されて家に入ったので、体の弱さを理由に一日中ぶらぶらして居られた。しかし、そんな楽な生活を何時までも続けさせて貰える訳がない。
案の定、誰からともなく、
「遊ばせてばかり居ないで、働らかせろ!」
と、言う声が聞こえて来た。
こんな筈ではと思い乍らも、仕方なく女房の後にくっついて田畑に出向くようになった。所が、これが彼の病弱な体にプラスだったらしく、今では健康そのものの体になったという。
久し振りに長々と心置きなく話せたと見えて、老人の顔はニコニコしていた。
話にひと区切りが付いた所で、保来は再び桜谷貴子の話題に移した。
「あの人は背格好もえかったし、顔形もべっぴんだった。本当に良い女だったよ。ワシなんかも夢中になってな。男たちの多くは戦争に駆り出され、殆ど居なかったから、ワシはチャンスだと思ったもんよ。これでも若い時は男前だったからな。ハッハッハ」
必要でない話も聞いてあげなければならない。話し手の気分を損ねては、知りたい事を引き出せない。
とにかく我慢である。保来は焦らずにじっと聞いていた。
「ワシが声を掛ければ、あの娘なんかイチコロだったろうが、しかし、止めた」
「ほぉう、それは又、どうしてですか?」
「実はなぁ、貴子にはチョッとした噂があってなー」
保来は(来たな!)と思う。
「噂ですか? 興味がありますね」
「そうか? まぁ、取りようによってはそう思うかも知れねえな。戦中戦後の出来事だし、証拠もねえ。話しても良かろう。」
望月は一人で納得し頷く。
「抑も、桜谷貴代さんの死に方がおかしい。喜代はあの屋敷の元々の主だ。貴子の説明によると、空襲の最中に一緒に逃げ廻っとったら、焼け崩れて倒れて来た家の柱に後頭部が当たったと言うんだが、柱が当たったにしては傷口がおかしかった」
老人は手を休め、背伸びして話を続ける。
「長年看護婦を遣っとった近所の婆さんがそう言っとった。婆さんは遺体に立ち会って警察に報告した人間だ。所がよ、その時警察に、その事を言っておけば良かったのに、何も言わんかったんだ。戦争が終わって、大分経った頃になってそんな事を言い出したって、もう遅かっぺよ」
「そうですよね。調べようにも、調べる相手が墓の中ですもんね。でも、何故そんなに後になって思い返したように言い出したんですかねぇ?」
「そこよそこ。此にはちゃんとした理由があるんだよ。実は貴子にはもう一つ首をかしげることが有ってな。それは貴子が戦後、養女として迎え入れた良子という孤児の事なんだ。ある日突然、その良子が消えてしまったんだよ」
老人は体を乗り出す。
「一〇才くらいの可愛い顔した女の子だったな。かれこれ一年位は貴子と一緒に居たんじゃねえかなー。その子が突然居なくなった。それでな、何故急に居なくなったのかと、それとなく貴子に尋ねた人がおったんだ。その時の貴子の答えは『良子の親戚だと名乗る人が突然やって来て、強引に連れて行った』と、そう言ったそうだ。なあ、何かおかしいと思うだろう?」
「そうですね。戦後のあの状況を考えれば納得出来ない事もないけどー」
保来は意識的に柔らかく否定して見せた。望月老人はそんな事にはお構いなしに身を乗り出したまま話を続ける。
「第一にだな、桜谷家によそ者が出入りしたのを誰も見ていない。抑も、あの家に出入りする者など誰も見た事がない」
老人は昔を思い返す家のように遠くに視線を遣る。
「貴子という女は、最初は笑顔を絶やさず歩き回っていた。その割には人付き合いの悪い女でな、兎に角回りの者達と深く付き合う事を極端に嫌っておった。勿論そんな事だから、他人を家の中に入れた事など無い。だから、あの屋敷に人の出入りが有れば我々にも直ぐに気付く筈なんだ」
望月は、唾を含みながら喋り続ける。
「ははーぁ、それで皆さんに疑念が湧いた。そんな風評の広まる中で、桜谷貴代さんの死に立ち会いをした婆さんという人が、心の隅に有ったわだかまりを喋り出した。そう言う事なんですね?」
「お前さん、なかなか物分かりが良いな。とにかく貴子は、あの後から殆ど外に出てこない。家政婦を雇って、用足しは全て家政婦にさせていた。今から思えば、何を考えているのか分からない薄気味悪い女だったな。その証拠に、用心深いというのか、貴子の事を家政婦に色々聞いてみたんだが、殆ど何も言わんかった。恐らく、きつく口止めさせられていたんだろうてー」
「ふーん。で、皆さんの結論は、良子という女の子の未来はどうなったとー?」
「それよそれ」
老人はそう言うと、右手を手首の所で直角に折り、自分の首の辺りを素早く水平に動かす。
そして吐き捨てるように言った。
「殺されちまったんだよ、きっと。違いねえ。みんなそう思っとったよ」
驚くべき証言だった。
「当時の近所の奴等は、景気が良くなるとともに家や土地を売ったりして、あっちこっち引っ越しちまった者が多いから、そんな話は次第に消えたよ」
話し終えて、老人は再び干瓢作りに戻る。
信憑性は分からないが、これは貴重な情報であった。保来には貴子と名乗る人物の、その美しさの陰に隠れた暗部を垣間見た気がして、やるせない気持ちに陥る。
次回の「故郷」につづく
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