第5話 戦慄の光景 2 

 鉄柵扉は開いていた。中に半分ほど車を突っ込み、保来は門柱に有る小さな呼び鈴を押した。応対に現われた老婦人。その雰囲気から、この家の奥さんであろうと察する事が出来る。

 指定された所に車を駐車し直し、玄関に向った。闇の中にぼんやりと浮かび上がる入り口は、医院でも開業している感じである。               

 保来は、裸電球の薄暗い廊下を通り奥の部屋に案内された。部屋には既に柿崎が待っていた。そしてもう一人、八〇才前後の白髪の老人がソファに座っていた。

 保来は二人に向って軽く会釈し、挨拶を交わす。

「遠い所をご苦労さん。紹介するよ。この方は杉戸先生と言って、元はお医者さんだ。こちらで開業医として医院を開いていた。十年ほど前に引退して、今は隠居されている」

 柿崎はそう言い乍ら、保来を手招きでソファに座るように招いた。

「済まないが、きみが調べた事を、もう一度こちらの杉戸先生に話してくれないか」   

 保来は、説明するべき相手が医者と知って、始めて今回の調査依頼の目的が何であるかが見えて来た気がした。

 保来は、促されるままに最初から順序を追って調べた内容を話して行く。


 柿崎と杉戸成る老人は、ソファに腰を深く沈め背もたれに背中を預け乍ら静かに聞いていた。時折、相槌とも溜息とも分からぬ声を出す以外は、保来の話に割り込む事もない。

「そして一昨日の晩ですよ。私は言いようのない罪悪感と驚きで、昨夜は魘(うな)されてしまいましたよ。一体どういう事なのか詳しく説明してください!」

 彼は最後に語気鋭く、詰問するように返答を促した。


 保来が、昨夜目の当たりにした事を詳しく述べなくても、彼等二人には既に分かっている風であった。保来の当然の問いかけに、柿崎はやっと重い口を開いた。

「桜谷貴子と名乗る女は、本当は男だ。広田三郎と言う名前のな」

「えっ! 一体どういう事なんです…??」

 余りの突拍子な答えに保来は言葉が詰まる。


「なぜ、どうして男と断言するんですか? 貴子には男の一物なんてくっついてなかったんですよ。余りの異常さにしっかり観察出来た訳ではないが、付いていたかどうかぐらいは確かに見えました! それにー、小さい乍らも、胸の膨らみもちゃんとあったし、体の線も女そのものでしたよ」

 保来は食って掛かかる。

「ワシが切り落とした」

 突然、杉戸が呻くように言った。

「何を・・・?」

 唖然としている保来に、

「女の体に似てきたのは、多分、睾丸を取ってしまった事で、ホルモンバランスが変化した結果かも知れない。もしかしたら髭も生えていないかも知れないな」

 杉戸が、元医者らしく分析する。 


 更に、柿崎が助太刀をするかのように口を挟む。

「全ては戦時中に起こった事だ。兎に角、我々も分からない事が多いのだ。済まないがもう少し調べを続けてくれないか」

「待って下さい。それじゃあ説明になっていません。柿崎さんは電話で、今夜事情を説明するとおっしゃっていたじゃないですかー」

 保来は引き下がらなかった。

 何も聞き出せないのなら、大変な思いをして此処まで来た甲斐が無い。


 保来の強い意を受け止めた柿崎は、これ以上何も語らないのは返ってマイナスと考え、保来に戦時中に起きた出来事を話し始めた。

「広田三郎は、その当時から女みたいな優しく美しい顔つきをしていて、上官や仲間達に特別な感情を持って見られていた。そんな中の一人の上官が、どうした気の迷いか彼に恋心を抱いてしまった。尋常ならぬ態度で彼に迫る上官に、我慢の出来ぬ嫌悪感を感じた広田は、自分に近づくなとばかりに強く突っぱねた。彼は普通の男だったから、当然だったかも知れない」


 柿崎は「ふぅー」と、溜息を一つ吐いてまた続けた。

「部下に屈辱を受けたその上官が黙っている訳がない。激しく逆上した上官は言葉巧みに広田を誘い出し、銃をちらつかせ拘束した。そして恐ろしい事に、体が動かないように縛り付け、彼の股間を火で焼いてしまったんだ」

 遙か彼方を見る様な眼差しで語る柿崎の声は、辛そうであった。

「信じられませんね。軍隊の中でそんな事も起きていたんですか」

保来は驚く。


「広田は瀕死の状態で、こちらに居られる杉戸軍医殿の所に運ばれて来たんだ」

「ワシの所に来た時にゃ、余りに酷いもんでもう駄目だと思ったよ」

 杉戸元医師が始めて話を付け加えた。

 

「手術は軍医殿を中心に行われた。広田の股間は激しい火傷を負っていた。彼の局部は焼けただれ、そのままでは確実に死ぬ。最も、設備の乏しい当時の医療所では、出来る限りの処置を施した所で、どうせ死んでしまうだろうと誰もが感じていた。それ程火傷は酷かった」

「どうせ死ぬものなら、またとない実験台だと思ってな、ワシは思い切った手術を施してみたんだ」

 唸るような、怒鳴るような、そんな杉戸老人の声が混じる。


「軍医殿の技術は素晴らしく、結果的には手術は成功した。しかしそれからが大変だった。何しろ野戦病院みたいな粗末な所だったから、薬もまともに揃ってない。広田はそれこそ三日三晩魘(うな)され苦しみ続けたよ」

 柿崎は、当時を想い浮かべているのか悲痛な表情をする。


「自分はそんな姿を見るのが辛かった。苦しんでいる広田が不憫で不憫でしょうがなかった。だから自分はズーと付き添ってやった。どうせ死ぬなら、せめて精一杯の看病をしてやろうと思ってね。ところが、彼奴の生命力は凄かった。奇跡的に生き延びたんだ」

「あれは奇跡だ。ワシの腕ではない。あの男の凄まじい生きんとする生命力だ」

 杉戸老人が呟いた。


「いえ、自分は軍医殿の技術があったればこそだと思います。恐らく、的確な処置と彼の生命力が合わさった結果だと思います」

 保来はただただ、驚きの気持ちで聞いていた。


 理解不能という表情をしている保来に、柿崎は話を続ける。

「保来君。そんな理由(わけ)だから杉戸先生も、出来うる事なら術後の経過を知りたいとおっしゃっている。それには先ず、彼に会わなければならない。でないとその先が進まないので、何とか彼に会える口実を探し出してくれないか?」


 柿崎は保来を覗き込む。そして、

「そうだ。彼の実家は栃木の鹿沼だった筈だ。そっちの方からも探って見てくれんか?」

「これ以上調べても、恐らく期待は出来ませんよ。それに、単に医者としての好奇心からだけなら降りさせて貰いたいですね」


「うん、確かにそう言う面もある。しかし、屋敷から出ようとせず引き籠もってばかりの彼の生き方を、私は何とか変えてあげたい、と云う気持ちが有るのも事実だ」

 柿崎は一息つく。


「広田が引き籠もって家から出ない理由は、恐らく脱走兵という烙印が押されていると思い違いをしているからだと思う。彼がそこら辺の事情を知れば、自由な気持ちになれるのではないかと思うのだ」

「脱走兵? どういう事ですか?」

「治療中にいつの間にか居なくなったのだ。我々は、余りに可哀想だから死亡という形で報告したが」

「そうなんですか。ですが、貴子と名乗る人物は極端な人間嫌いですよ。おいそれと、こちらの思いが通じるとは思えませんがね」

「恐らく彼は、知らぬ存ぜぬで隠し通そうとするだろう。だから門前払いを食わないためにも、少しでも多くの情報が欲しいんだ。彼を何とか対話の場に引き出したい。勿論その時には、保来君にも付き合って貰うつもりだ。そうすればあんたも全て知る事が出来るだろうからな」

 保来は柿崎の更なる申し出に、少し迷う。               


 ここ迄の事を考えてみるに、貴子と名乗る人物が戦争に駆り出され、並々ならぬ辛苦を味わって来た事は想像に難くない。そう云う人間に対し、自分たちがこれからしようとしている事は、余計な干渉ではないかとも思える。

 しかしその一方で、聞き込みで耳にした気になる噂というのも頭の中を過(よ)ぎる。彼の頭の中で罪悪感と好奇心が対峙する。


「おい、あんた。田坂は元気でおるか?」

 保来が迷っていると、杉戸が保来孝太郎の師匠の名前を出して来た。


「田坂とワシとは幼なじみでな、昔は何を遣るにも何時も一緒だった。ワシは親の希望もあり医学の道を目指したが、田坂は家が貧しかったので同じ道は進めなかった。彼奴は警察官になったんだ」

 その辺の経緯は保来も耳にしている。


「警察官は、田坂の真面目な性格にピッタリだったな。同じ東京に住んでいたから、戦争が終わってもよく行動を共にしたもんだ。事件に関して、医学的な見地から意見を求められた事も何度か有った。本当に仕事一筋な男だった。定年後に探偵業をやり始めたのには驚いたが…」

 杉戸老医師は懐かしそうな表情を浮かべ、語る。


「田坂があんたんとこ、偉く褒めてたぞ。しかし、類は友を呼ぶじゃないが彼奴にそっくりな性格をしておるな。ふあっはっはー」

 しゃがれた声で話す杉戸。

 杉戸の昔話のお陰で、依頼が保来に回って来た理由がハッキリした。


 師匠と杉戸老人の間柄を知った以上、彼は断り切れなくなった。

「分かりました。私も気になる事を耳にしていますので、じっくり時間を掛け、もう一度調べ直してみます」

 柿崎が『気になる事』に敏感に反応して聞き返して来たが、保来ははぐらかした。その態度に気分を損ねたのかどうか分からないが、帰り際に柿崎が言う。

「あっそうそう、探偵さん。申し訳ないが予算が足りないんだ。経費切り詰めて調査しくれないか。お金、余り出せないからね」


次回の「汗」につづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る