第4話 戦慄の光景 1



 数日後、保来は決死の覚悟で桜谷邸に潜り込んだ。そして屋敷裏の大木の蔭に石のようになって固まり、身を潜めていた。

 柿崎の作成した図とその説明は完璧であった。難なく目的の場所に辿り着けた。彼の潜んだ場所。それは建物から僅かに漏れる明かり以外何もない闇。

 夜の屋敷の中は静まりかえり不気味さを誘う。此処をねぐらにしている動物でも居るのか、時折物音がする。保来はその度に耳を峙(そばだ)ててしまう。

 蚊に悩まされ、尚かつ、不気味に広がる空間で、彼は耐え、そしてひたすら待った。


 隠れ潜んで今夜で二夜となった。蛍光塗料表示のある腕時計をポケットから取り出し、時間を見た。時計の針は一一時を回ろうとしていた。

 今夜も駄目かと諦め掛かった時、今まで真っ暗だった屋敷の裏側の一室に明かりが灯った。保来は息を呑んだ。待ちに待った風呂場の明かりである。

 浴室で人影がした。しかし直ぐに見えなくなり明かりも消えた。静かな空間にガスの燃える音が聞こえ始めた。貴子が風呂釜の点火に来たのだ。


 保来は用心深く浴室近づいた。そして最も適していると思われる位置に陣取った。待つ事三〇分弱。貴子が再びやって来る。湯温の加減を見て、そしてまた出て行った。しかし、今回は明かりが消えない。

 保来の予想通り、彼女は間もなく浴室に戻って来た。お湯を体に掛ける音が聞こえる。今、まさに貴子が素っ裸でいる。そう思うと保来の胸が高鳴った。想像するだけで興奮していた。     


 昔からの古い作りの浴室。そこには小さな窓がある。夏という事もあり換気の為

か、最初から窓が明け放れていた。

 保来は、慎重に身を動かし中を覗いた。すると、網戸越しにハッキリと貴子の裸身が見えた。僅かに膨らんだ小さな胸が、却ってなめかわしく見え、男の欲情を掻き立てる。

 しゃがんだ姿勢で体を洗う貴子は、とても眩しくもある。実は、保来が貴子の姿を見るのは今回が初めてであった。噂に勝るその美しさに感嘆しつつ、彼の視線は胸から次第に下へと移っていった。

 しかし、浴槽が邪魔をしてその下は見えない。興奮はピークに達していた。


 やがて貴子は体を洗い終え、立ち上がり、浴槽を跨いで湯船に入ろうとする。生唾を飲み込む保来の目の前に、彼女の下半身が露わになって現われた。

 彼は愕然とする。いきなり頭を殴打されたように、背中に冷たい物が走り身震いする。彼は決して見てはならないものを見てしまった気がした。

 そしてその、おぞましくにも見える光景に吐き気さえも催して来たのであった。



「柿崎さん! これは一体どういう事なんですか!」

 受話器に向かって激しく責めるような声を発した。保来の詰問を交わすように柿崎は答える。

「まあまあ、そんなに興奮しないで。詳しくは明日にでも話すから。ご足労だけど、明晩八時頃、世田谷の杉戸宅に来て貰えないか? そこで、今までに調査した内容や昨夜の件も含め、もう一度詳しく話をして貰いたい」

 そう言うと、保来の返事を待たずに住所を告げ、電話を切った。


 次の日の夕方、保来は指定された住所に赴いた。太陽がゆっくりと落ちて、勢いを弱めていると言うのに、日中に作られた熱風が辺りを包んでいる。

 保来は纏わり付く暑さの中、車の窓を全開にし、扇子を激しく動かしながら運転していた。庶民にとって、家のクーラーすら満足に普及していない時代。車にクーラーなんて言うのは「夢のまた夢」だった。

                                   

 保来の車は夕方の激しい渋滞に嵌まり、身動き出来ない状態となった。それでも歩くような速度で国道246号を下り、三軒茶屋で斜め右方向に進む。しかし、其処からがまた大変であった。

 助手席に地図本を広げ、道端に立つ電柱に目を遣る。住所表示を確認し乍らの運転である。やっとこの道だと見当を付け、曲がろうとすると目的地から離れてしまったり、戻ろうとして、慌ててハンドルを切ると後ろから激しくクラックションを鳴らされたりして、彼の額からどっと汗が噴き出る。                


 東京の住所表示は皇居を基準にして、付けられている。地名の後のO丁目も、皇居に近い所から順次数字が増えていく。番地や号数は右回りに数字が大きくなる。勿論例外はあるだろうが、ほぼそうなっている。保来はこの事を父親から聞いていたので、色々な場面で役立てる事が出来た。


 それにしても世田谷の道路は分かりづらい。それに道幅も狭い道が多い。保来はやっとの事で目的地に辿り着いた。五時に墨田区の自宅兼探偵事務所を出たのに、道に不慣れな事もあって、時計は既に八時を回っていた。

街路灯だけでは表札が見にくかったが、柿崎から「特徴のある造りの家」だから直ぐ分かると聞かされていたので、案外簡単に探し出せた。


次の「戦慄の光景2」につづく

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