第2話 ほっちゃん

大泣きして終わった入学式を経て始まる小学校生活は、当たり前に順風満帆とはほど遠かった。


学校生活にも馴染めず、もちろんそんな環境で勉強も身に入らず、友達もほとんど居なかった。

ほとんどというか、一人しか居なかった。

そのたった一人の友達がほっちゃんだった。

今思うと私は友達だと思っていたが、ほっちゃんが私を友達だと思っていたかどうかは怪しい。


ほっちゃんは非常に賢い子供だった。


見た目は私と同じくらい小柄な身長にも関わらず、常に落ち着きと先見性を持って行動する姿はごちゃごちゃと走り回る児童の中で大いなる存在感を放っていた。


フワフワした癖毛の髪は、前髪も含め後頭部でぎゅっと常にポニーテールにまとめられ、透き通った丸い眼鏡のレンズ越しに見える目尻の吊り上がった切れ長な瞳は、難解な事件現場からどんなわずかな証拠さえ見つけだす探偵のように理知的に光っていた。


ほっちゃんと私は休み時間になると、まず荒れ狂う上級生たちボールと体当たりを掻い潜りながり安全地帯とも言える校庭の隅に移動する。

そして鉄棒の下の砂に、木の枝でおよそ小学校低学年では到底習わないような難解な漢字を書いて私に見せてくれた。


漢字はおろか平仮名でさえまだあやふやだった私は、ただただそれを文明の始まりを眺める猿のごとく、口を開けて働かない脳細胞を叱咤することなくただ見ていた。


彼女に与えてもらった英知を全くその後の学業に活かせなかった私は、ほっちゃんにとって良い生徒ではなかったかもしれないが、彼女は小学生ながらに妙に達観した風情を漂わせていたので、もしかしたら私は生徒というよりは目の前をうろつく見知った人間であって、ただの暇つぶしか、塾の復習だったのかもしれない。


ただほっちゃんと鉄棒の下に居る時間は、小学校一年生の私にとっては学校で唯一の心の平穏だった。


小学生の、特に女の子は、給食を早く食べて校庭にでて、果物の種を埋めて、日がな一日クレヨンしんちゃんのマネを練習してたりしたら、明らかな異常者の扱いになってしまうのだ。

そんなことは私も初日で未然に察したし、入学式の絶望でもうそんな無邪気な奔放さは失っていた。


ほっちゃんとは一年生のほとんどの時を一緒に過ごしたけれど、漢字を書いていた以外遊んだ記憶はあまりない。彼女は放課後は塾で多忙にしていたし、何となく踏み越えてはいけないラインがあった気がする。


近所で何度かほっちゃんがお母さんと歩いているのを見かけた時があった。

お母さんもまた、ほっちゃんと同じふわふわした癖毛をぎゅっと後頭部の高い位地でしばってあり、そっくりの吊り目を並べて上品な服壮を纏い足早に過ぎ去って行く姿は、どこか高貴な猫の親子のような印象を受けた。


多くはなかったけれど、外が雨で校庭に出れない日は、ほっちゃんと一緒にお絵描きもした。私が描く拙いプリンセスの絵に比べて、彼女の描く絵は子供ながらに底知れない恐ろしさがあり、きっと心理学の知識などをもとに見たら何かしらの興味深い解説が聞けたかもしれない。

でも彼女自身にそんな危険な危うさは無く、きっと日々の忙しさを表現の中で発散していたのかもしれない。


ほっちゃんとの日々はその後も平穏に続いていくが、残念ながら彼女とはクラス替えという学生生活に定期的に訪れる人為的災害によって離ればなれになってしまった。


その後六年生になって頭脳明晰かつユーモアな皮肉屋という素晴らしい個性の変革を遂げた彼女と再開するのはまたもう少し先の話。





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