まくらのそうし

@amamoripotsuri6

第1話 人間が苦手です

子供の頃から他人と同じ空間にいるのが苦手だった。


具体的に言うと小学校からが人間への苦手意識の始まりだった。


つまりは幼稚園時代が記憶のある中で唯一のしがらみの無い過去と言えるかもしれない。


比較的自由に過ごせる保育方針を持つ幼稚園だったのだと思う。

何かを強制されることは無く、常に行きたいと思う場所に行き、したいことをしていられた。怒られた記憶も皆無だ。


上の姉2人とは違う公立の幼稚園だったらしいが、その理由は母曰く『抽選に当たった』からで、明確な教育方針によるものではなかったようだ。それならそれでラッキーであり、私にとってはよかったよかったという話である。


幼稚園児だった私は、旺盛な食欲と奔放な好奇心を持つごく普通の健全な幼児であり、のびのびと幼稚園生活を満喫していた。


食べることは大好きだが、お弁当は米と肉が入っていればそれでいいという大雑把な感性を持ち、特に味わいもせず1番にお弁当を食べ終わることを日々の目標にしていた。


本懐は、給食の時間中の誰もいない園庭にあり、まだ他の子供たちがお弁当を食べている中、1人教室から飛び出し、園庭の隅にしゃがみ込んで、こっそり握りしめていたデザートの果物の種を土に埋めるのだ。


そしていつか芽でて、育った大きな樹の下でたわわに実った果物を飽きるほど食べる未来を夢想することが至福の日課だった。


30も後半、子育てもしている現在の視点から見ると、なかなか伸び代のある幼児だったではないか、と思う。

このままストレートに欲求と好奇心の芽を育てていけば、理系、農業系、食品系で何か大成できるかな、なんて少々過大視した見解すら出てくる。


まぁ、そんな世界線は存在しなかったんだけど。


自分のまだまだ短い半生を思い返しても、人生にある程度満足したかったら、子供時代に身を置く環境選びは最重要な選択だと思う。


才能や欲求や自分大好きの心がのびのび育つ可能性は、その土壌が大いに影響することは経験や昨今ネットや書籍やらに溢れる育児論で、もうお腹いっぱい、何なら少し吐き戻したいくらい理解している。

しかしだ、

親となってみて分かるのは、良い土を用意したり、合う土を選ばせてあげるには、それなりのお金と時間が必要で、大してビッグに大成しなかった私が我が子に用意できるのは、せいぜい手が届く範囲の土の中から、これなら何とかどうが?レベルの土で、それが合わなかった時の代わりを用意することは難しく、どうにか水と栄養と工夫で四苦八苦することしか出来ない。

四苦八苦の仕方も重要で、苦しみながらも正しく努力できる人は、いわゆる“お金をかけずにお家教育で東大に”みたいな方向性見出せるが、悲しい哉努力の方向が子供の適性とずれていたり、そもそも日々の生活回しに身も心も臨界点ギリギリで努力する隙間がございません、という場合は、伴わない労力の結果に途方に暮れることになる。


『そうやって嘆いている間に、出来ることをやればいい。時間は使い方次第ですよ。』


と現代のSNSに住まう賢人たちは啓示するだろう。


私自身もそうだ。やるべきことを後回しにしてのたうち回る我が子たちに、さも高みからの助言のごとく『先にやることやってからにしなさい!』と。


まさに今だってそうだ。このようなゴミ同然の文章を書き散らしている今この時間に、新しい知識を学び、自信をスキルアップせよと、心のどこかの理性は呼びかけている。


学生時代、独身時代の自分なら、その呼び掛けを嫌々ながらも一部受け止めて、目の前の惰性へ欲求を抗おうと奮闘していたことだろう。


しかし人生振り返れば歩いてきた道もそこそこの長さになり、フィクションばりに遠いところに居た“人間ドッグ”という言葉が、毎年現実に介入してくる年齢になってしまった今だから思うところがある。

目の前の惰性への欲求とは、抗うべきものなのだろうか?

『休みたい!』という本能ともとれる心の叫びを押し込めるとどうなるか?

結果としてストレスという名のダークマターが生まれる。現代社会のありとあらゆるよく分からない病気をネットで検索すると、体感的にほぼ80%ぐらいの確率で原因の欄にストレスの記載がある。

無視され続けた心の懇願はいづれ巨大な闇となり、気がついた時には全てが呑み込まれ混沌で己の残骸の虚無が漂っているかもしれない。


大層な言い方をしたけれど、所詮は怠け者の詭弁なのだろう。


がむしゃらにただ自分のために頑張ればよかった学生時代、独身時代と、子供を持つ今の自分との明確な努力の仕方の違いは、後先に用心しつつ、常に平穏無事な自身を保ちつつ努力せねばならないという点である。


荒路を素早く進んでゴールに辿り着け。

※但し転ばずに


この注釈はつまり、急がば回れ、ウサギと亀、きっとそういうことなのだ。先人たちの助言の何と上手いことか。



ついつい日頃の想いが溢れでて、蛇足を加熱しすぎて話がうねうねと脇道に逸れたが、

つまり話を戻すと、幼稚園時代はこんな溢れ出てくような暗黒の泉は心のどこにも見当たらなかったき、人間がどうのなんて頭の片隅にも存在しない晴れ渡った草原のような心象風景だったということだ。


そんな無垢な心がなにゆえ人を恐るようになり申したか。


はっきりとしたきっかけがあった訳では無いと思っている。

幼稚園時代でもすでに家族以外の親族に会うの日は何となく足取りが重かったし、潜在的にはすでに素質としてあったのかもしれない。


祖父母も、従兄弟も、はっきり会うのが嫌だという想いがでてきたのはもっと成長してからであったけど、幼少期もこれから会うぞ、というタイミングを意識すると、心の中の平和な草原にざわりざわりと不穏な風が吹いていた。

それでも三姉妹の末っ子だった私は、いつだって姉たちの後ろに隠れていられたし、そんな自己の変化と向き合うことなく時が過ぎるのを待っているだけでよかった。


人嫌いが顕在化した分かりやすいエピソードは小学校の入学式だ。

私は入学式の間大声で泣き続けていたらしい。

ちなみに我が娘の入学式ではそんな子は1人も居なかった。


うっすら覚えているのは、大好きな自由気ままな幼稚園との違い、綺麗に整列した沢山の知らない人、無の表情の沢山のおじさんおばさん、矯正される動き、正される服装。それらの全てが怖かったように思える。


学校が始まると、好きなことを好きなだけして全能感に浸っていた気持ちを一つずつ折られていく。

新しいことを教えられては、それが出来ないことを指摘される毎日は苦痛で仕方がなかった。体育という授業ではみんなが出来る奇怪な動きがどうやっても出来なくてもう消えてしまいたかった。


しかし姉二人が通ってきた道を私だけ迂回していいと思うほど図太くも無く、当たり前にこなしていく周囲に怯えるようになっていったようにも思える。


比較されることで自分の愚劣さが浮き彫りになることが怖い。


それが私が人を怖がる最初の、いや今も続く根幹の原因と言えるだろう。特に集団が怖い。

もしも集団の中で飛び抜けて劣っている事がバレてしまったら、といい歳をした今もヒヤヒヤする時がある。

これは群れで生きる動物にも当てはまることでもあるだろうし、案外生き物としても原始的な反応なのかもしれない。

そうは言っても、もう親に見放されたら生きていけない子供でも無いし、自分の家族もいるが、今だに夫と信頼関係を築けていないのが原因の一つだろうと思っている。

夫に、何があっても私を助けてくれるという信頼は無いし、いつもどこか他人を己の価値観の中で値踏みして評価するような人間だと思う。そして義母至上主義のいわゆるアレなので仕方がない。


そのまま小学校時代は恐怖と隣り合わせで時間が経過していく。

思春期の頃になると、容姿や体型の劣等感も加わってくる。

たびたび親戚や近隣の方から言われていた、姉二人は色白で、三女の私は色黒だという事実がジワジワと『もしや私は三姉妹で一番可愛くない?』という自分の中の疑いがシミのように心に広がっていく。

姉二人と比べて太めだった身体も、幼少期はお風呂に入って丸いお腹をぷにぷにと触らせて笑っていたものだが、学校内のマラソン大会を見にきた母が、最下位から2番目でゴールした私に言った言葉は

『ブルマからでてる足が太すぎて恥ずかしかった』だった。

おそらく当時の母に悪意や他意は無く、そのまま頭に浮かんだことを口にしたのだろうと今なら思う。

いわゆる悪い人ではないが、我が母はそういう残酷なところがある。たまにややサイコパスなのでは?と思う時もある。時々。


当時は猛烈に恥ずかしくてこのまま蒸発して消えてしまいたいと思った。


ダイエットなんて言葉も知らずに、食べるのが好きで与えられた物をどんどん食べていて、食べないで我慢なんて考えられなかったし、残すの怒られるのが普通だった。

体型を変えることができるなんて考えも無かったし、ただただ恥ずかしい存在の自分のままで存在続けるしかなかったあの頃の自分を考えると、せめてタイムカプセルの手紙に必要で出来そうな運動メニューをしたためて渡してあげたいと思う。


こうして書き連ねてみると、むしろ人間嫌いになって当たり前の道のり、正規ルートとすら言えるかもしれない。


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