第三章 大神殿
ドラゴン渓谷に戻ってきた。
これは通称であり、正式にはドラゴン自治区という。
ルカン地方の中程に位置する、巨大な山地一帯が、
自治区、つまりは、ドラゴンの領域となっている。
その山地の中腹に、
風ドラゴンの里があり、大神殿もその側にある。
風ドラゴンは人間として認められているドラゴンだ。
生活も、考え方もほぼ人に近い。
学者として活躍しているものも多く、
冒険家のギガントナ女史も風ドラゴンだ。
私の友達には、
ドラゴンの研究・調査をしている風ドラゴンがいる。
まあ、同じドラゴンだから、危険な方々にも会いに行ける。
そういう意味では向いているのかもしれない。
ドラゴンには、様々な大きさや姿のものがいる。
とても、同じ生きものに見えない。
でも、不思議と、
ドラゴンはお互い、ドラゴンと認識する。
そして、ドラゴンは同族意識が強い。
自分たち以外の生きものはすべて、
餌としか思っていない沼ドラゴンでさえ、
ドラゴンには手を出さない。
同じ、『神の眷属』だから、だそうだ。
大神殿は巨大な建物だ。
単純に、作りが大きい。
身体の大きな方々も多いからだ。
「ただいま、戻りました。」
神の牙の執務室。
まあ、事務所みたいなもの。
今のところ、メンツは室長も入れてたった二人。
「おう、お帰り。」
出迎える黒髪のイケメンは室長。
今のところ、私の本命。
珍しい一重瞼で彫りが浅い顔立ち。
黒髪と黒い瞳が、白い肌にはえて。
非常にすっきりした印象を作っているし、
爽やかで優しげにも見える。
それが好感度の高さの秘密で、
初対面でまず、悪い印象は持たれない。
実際はかなり調子のいい性格なんだけど・・
一応、上級司祭の位を持っている。
唯一教会の大神殿で、唯一の人間の司祭。
そんな風に言われている。
けれど。
この人は、私が五歳の頃から歳をとっていない。
それに。
首筋に小さな透明の鱗があるのを私は知っている。
襟足が長めなので、ほぼ、見えることはない。
見えたとしても、
透明で小さいので目だたない。
気づいている人は、いないだろう。
じゃあ、私が何故知っているか、というと・・
年に一度のドラゴン会議の翌日。
準備や運営にかり出されていた室長はかなり疲労していた。
そのせいだとは思うけど・・デスクで居眠りしていた。
あまりにも無防備に爆睡してたから。
悪戯心で、首筋にキスしてやろう、と思った。
近づいて、襟足をかき分けて。
そして、気付いてしまった。
・・まあ、納得な感じだけど。
旅先でタナトスがそうしているように。
この人の姿も魔法でそう見せてるだけなんだろう。
・・
エアも、この人のことが好きだったな・・
エアは元々、父の恋人だった。
まあ、母が死んで五年経つのだから、別に問題はないだろう。
でも、私は父を取られるような気がして。
彼女のことを嫌っていた。
口もきかなかった。
あの日。
私の国が滅んだ、あの日。
エアは私を連れて、城が見える高台を目指した。
そこで二人で死ぬために。
結局、教会に保護されることになったのだけど。
その一連の出来事で、私はエアを受け入れるようになった。
むしろ、頼るようになった。
大神殿で暮らすようになった私たち。
エアは室長の元で、神の牙の仕事をもらった。
室長は、子供の私を良く構ってくれた。
遊んでもらったり、教会のことを教えてもらったり。
私はそんな室長が大好きになって。
ある意味、初恋だ。
エアも室長が好きだ、と知ったとき。
子供ながら、私は悩んだ。
悩んだあげくに、エアに当たった。
『とうさまのように、しつちょうをとらないで』って。
そんな折だった。エアがいなくなったのは。
当時の私は、自分のせいだ、と落ち込んだ。
まあ、今となっては、
そんなことはあり得ないとは思うけど。
そして、私は『エア』を名乗ることにした。
いつしか、エアに私のことを思い出させるために。
「お疲れさん。
報告書、明日でいいから。」
子供のような笑顔で、手を振る。
十四年間、変わらない笑顔、声。
「うーん、じゃあ、甘えさせてもらいますね?
神代様のところにご挨拶して・・」
でも、それもつまらない。
「休むより、元気になることがあるんだけど?」
「夕方、飲みにでも、行くか?」
私は満面の笑みでそれに応えた。
・・
神殿の一階の奥の広大なエリアは、
『神代様のおわす神域』となっている。
水や植物が配され、さながら屋内庭園。
その最奥に、人間サイズの、こぢんまりとした建物があり、
それが神代の住居となっている。
「はーい、ルーウェル!」
「セレン!」
駆け寄ってくるのは、
長い白髪に白い肌、白い衣装‥という、異様な姿の若い男性だ。
そのうっすらとだけ青みを帯びてはいるけれど、瞳も白い。
この人が『神代様』。
本名はルーウェル。
十四年前、心中しようとしたエアと私を助けてくれた人。
そう、神代は、神の代役。
儀式やらお祭りやら式典やらで、神の代わりを務める役。
ルーウェルは孤児で、
教会に引き取られた八歳の頃から、ずっと神代を務めている。
つまり、その役のために引き取られたのだ。
もう二十年になる、というから、
この人の本来の年齢は、二十八歳。
私たちを助けてくれた十四年前は、ちょうど十四歳だったことになる。
この人の見た目は、魔法で作られている。
だから、二十年前の八歳の時から、見た目は変わらない。
真っ白けの若い男性、という感じ。
なぜなら、それが神の見た目を示すから、だそう。
以前は、反発心があって、淡々と役目をこなしていたそうだ。
ましてや、十四年前のあの時、
この人は思春期真っ最中。
非人間的な印象があったのも、無理もない。
でも、その十四年前の私やエアとの出会いによって、
今は落ち着いているそうだ。
役目、と割り切ることができている。
まあ、大人になった、というのもあるかもしれない。
「お帰り。お疲れ様だったね。」
そう言って、私の肩を抱き、招き入れる。
優しくて、暖かい、この人の腕の中。
私は子供の頃から大好きだった。
「ちょうど、今、タルトが焼けたところだよ?」
「わーい!」
この人の普段の趣味はお菓子作り。
子供の頃から、色々食べさせてもらった。
タルトと一緒に出てくるミルクティもおなじみだ。
子供の頃は少し、甘さを加えていたけれど。
私の、もう一人の、本命。
でも、この人とは、こんな暖かい関係を続けていたい。
「今日は泊まっていかないか?」
「あはは、室長と飲みに行く約束してて。」
「その後でいいよ。いくら遅くなってもいいから。」
微笑みに微笑みで返し、見つめ合う。
この人は私を自分の子供のように思っている。
子供の頃から面倒見てくれているのだから、当然だ。
だから、このやりとりも、全然他意はない。
分かっている。
でも、それでもいい。
ううん、それでいい。
この『家族』という関係が、居心地がいいから。
あの日までの、父との生活。
奪われた、暖かい日々。
『家族』という特別な居場所。
それを再び、与えてくれた人が二人いる。
そのうちの一人が、この人だった。
白い手が伸びて、私の髪に触れる。
ゆっくりと、髪を撫でる。
・・
「おほん、神の牙・エア殿?」
首元のペンダントからしわがれた声がする。
・・大僧正だ・・
思わず、無視したいと思ってしまう。
でも、そうはいかない。
このペンダントは、大僧正と離れてても話ができる魔導具だ。
それが何?って感じだし。
話したくないんだけど。
でも、渡されてしまったものは、仕方ない。
たまに、こんな風に、話しかけてくる。
まあ、暇なのか、寂しいのか。
ほんと、意味のない話ばかりだ。
「何でしょうか?
報告はタナトス司祭から受けていると思いますけれど?」
「うーん、冷たいのう・・」
いや、だから。
「帰ってきたんじゃから、声聞かせてほしいのう・・」
だから、何で?
「エアちゃんてば、もう、いじわるう・・」
・・
「もう、いい加減にしてください!」
ぼそぼそとぼやく声が聞こえる。
・・無視。
「あの人も、困った人だね。」
ルーウェルも苦笑する。
いや、困った、ってレベルじゃないんだけど。
その言葉は、飲み込む。
ふう。
この人の前では、穏やかでいたいのに。
これもそれも、大僧正のせい。
大きく肥え太ったおなかを抱えた、
大僧正の姿を思い浮かべる。
皮膚がたるんで、ぶよぶよしているため、
種族的な体格の特徴が全くっていっていいほど、
分からなくなっている。
大きな口には、虫歯のため、歯がほとんどない。
わずかに残っている歯も、タバコのヤニで真っ黒だ。
当然、自分の体重を支えられないので、
いつも運んでもらって移動している。
ドラゴンなのに。
人間の、権力者のオジサンの、
悪いイメージのカタマリみたいな人だ。
身体の大きさも、大柄な人間くらいしかない。
大僧正のことをドラゴンと思っていない人は、
結構いるんじゃないか、って思うくらい。
身体を保護するために、脂を出す腺があって、
だからいつも脂ぎっているんだ、というけど・・
それはいいわけのように思える。
同じ種族の人が怒りそうだ。
ああ、もう!
大僧正のことなんて、考えたくないのに!
頭から無理矢理追い出して、
目の前のルーウェルに集中しようとするけれど・・
頭の片隅から、大僧正が離れない・・
ううう・・
ふと。
ルーウェルの顔が陰る。
不安そうな表情で、空を仰ぐ。
この大神殿の地下には、巨大な玉石が安置されている。
『神の力』と呼ばれる特別な魔法が込められている。
それには、それこそ気が遠くなるような昔から、
ちくちく魔力が蓄えられてきている。
今となっては、とてつもなく膨大な力だ。
それと、ルーウェルの精神はつながっている。
だから、この人は、
それこそ、神秘と思える力を振るうことができる。
その力で、何かを感じ取っているんだ・・
「どうしたの・・?大丈夫?」
私は、震える彼の手に手を重ね、握りしめた。
途端に、流れ込んでくる光景。
それはまるで、
お芝居を観ているような現実味のなさで、
動いていく。
・・
サイサリアの帝都だ。
少し前、タナトス司祭と、近衛騎士のルドルフと、
一緒に食事をした、あの町並みが。
暴力的な人の群れに呑まれ、蹂躙されている。
怒声、悲鳴、さまざまな音が混ざり合い、
この世でもっとも耳障りな騒音を作り出している。
・・
え・・?
それは、十四年前に見た光景。
私は心臓が止まりそうだった。
これ・・
「エア・・?」
ルーウェルの声で、気付いた。
その暴徒の群れの先頭にいる内の一人は、
私たちが探し求めていた人だった。
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