Ⅱ
第6話 夏の湿気
夏の湿気は、千桜が流す汗の匂いをべっとり粘っこくおれの部屋に纏わりつかせていた。嗅ぎなれないそれに、千桜が幼くとも女性としての機能を備えているのだと本能が勘ずく。自分を誤魔化すようにして、おれはコンビニで買った品物を漁る。0.01mmをこっそり布団の下に隠す。
「アイス買ってきた」
「ホントですか! ナイスです!」
蒸し暑い部屋で食べるアイスは格別にうまい。彼女はおれの薄い布団の上にちょこんと座り、アイスを渡してから、おれは離れたところ――放置された衣類が散乱する床のうえに構わず腰を下ろした。スイカを模したそれを二人して食べながら、取り立てて話題もなかったので、おれはさっそく聞いてみた。
「で。家に帰りたくないってどういうこと」
「……もうその話題いきます?」
ぺろぺろとアイスを舐めながら、彼女は気まずそうに言う。
「別に他に話すこともないし」
まぁでも嫌なら無理に聞かないけど、とおれは付け加える。
千桜はわずかにためらいをみせ、アイスを口に運ぶ手を止めた。彼女の目に暗い影が帯びたようだった。
「家は、少し居心地が悪くて」
「ふーん」
おれは変わらずアイスを舐め続ける。歯を立てると、その冷たい塊は簡単に砕けて口の中に転がった。シャリシャリとシャーベットの食感が心地よく、濃い味が広がっていく。彼女の表情や口調が思ったよりも重く戸惑いを覚えたが、あえて軽い反応を返すことで、彼女が少しでも話しやすい雰囲気を作れればと願った。おれからすると、それは思春期の少女にはよくある心情のようにも思えたからだ。本人はそこそこ深刻に捉えていることも、実はそこまで大それたものではない事柄は多い。だれもが経験し、だれもが乗り越えていることだったりする。
「ママ、私が普通じゃないとすごく機嫌が悪くなるんです」
「普通じゃないって?」
彼女が持つアイスの表面に部屋の湿度が絡みつき、薄っすらと霜の層を作っている。
「んー、ママの言うことを聞かないとか?」
「それはそう」
「あはは、ですよね」
「勉強とか?」
「ですです。あとうちママと二人暮らしなんですけど、だからママがいない日とかは私が家のことやっておくとか」
シングル家庭は友達の中でもちらほらあった。ただ――
「親がいない日とかあるんだな」
「結構ありますよー」
「仕事とかか」
「って言ってますけどね。たぶん男です。めちゃくちゃあざとい感じにして出ていきますし。本人バレてないつもりですけど、あれはバレバレですよ」
「マジか」
中学生の親というと、一般的には何歳くらいだろう。四〇歳くらいだろうか。いや、何歳であっても、自分が中学生くらいの頃に親が恋愛しているというのは、子供の立場からするとどうにも想像ができない。
「それに学校でもあんまり私、よくないんです」笑いながら彼女は言う。「落ち着きがないというか。頭悪いのはもともとなんですけど。それより授業に集中できなくて、よく保健室で休んだりして。それで学校からママにお迎えの連絡がいくそうなんですけど、ママはそれも許せないみたいで」
「頻回なのか」
「頻回ですね。学校に来たママはめちゃくちゃ怒ってて、早くその発達障害を治せって言われます」
そう言ってから、彼女はまた口を開いた。
「あ、私、発達障害なんです。ASDとADHDってやつらしいです」
「最近よく聞くよな」
よく動画の広告で流れてくるし、たまにテレビをつけるとやっている報道バラエティやCMでも大々的に取り上げられている。
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