第5話 私を買って

「私を買って、私を珈亜さんちに連れてってください」

 わかりやすい要約助かる。っていやいや。

「それ犯罪だから」

「じゃあ!」と声を大きく出しかけて、千桜は周囲の人の様子を確認した。

 歩いている人たちは足早で、おれたちに関心なんて示さない。女子高生に視線を流しがちなサラリーマンたちも、さすがに女子中学生にはそこまで注目していないようだ。近くのドトール周辺に立つ人たちはみなスマホに目を落とし、なにか忙しそうにしている。それらあらゆる周囲に、おれたちは気付かれたくなかった。そこは不思議と、おれと千桜で共通しているようだった。ひそひそと周りに聞き取られないように、千桜は言い直す。

「じゃあ無料でいいです」

「それも犯罪」

「うーー。じゃあどうすれば家に連れてってくれるんですか」

 千桜は少しだけ口を尖らせて言った。冗談めかしているが、どこか必死だ。助けを求めているようにみえなくもない。しかしそれはおれの願望かもしれない。

「だから連れてかないって」と呆れたように答えてみるものの、おれの心の奥底で、でもそれなら彼女を助けてあげたいという余計な感情が、ふっと湧いた。

「でも困ります」

「なんで」

「家に帰りたくないんです」

「……なんで」

 互いに口調が重くなる。昨日の夜というか今日の朝、DMでも彼女はそんなようなことを言っていた。妙に意味深で、不安を生む言葉だ。

「話したら珈亜さんち行っていいですか?」

「いや。それとこれとは関係ないだろ」

「私には関係あります。っていうか、珈亜さんちに行ってから話します」

「いや。だから」

 そうは言いながらも、おれはすでに降参している自分に気付いた。いや、もっとひどい。降参したがっている自分がいる。理性とか常識とかそういったもので壁を作るほどに、だったら彼女のためになにができるかと、理性とか常識とかが不平不満の声を上げている。けれどそうして心への通過を許した彼女はトロイの木馬なのだ。おれ自身はそこまでわかっている。心は魔境だ。いろんな感情が棲む。侵入を許してしまえば、だれがたぶらかされるかわからない。

「……はぁ。話したらすぐ帰れよ」

 そんな世界への侵入に、彼女は成功した。

「やった」彼女は無邪気に笑顔になって、そしてかわい子ぶっておれを見つめる。「お買い上げ、ありがとうございます」

 さっそく木馬発動だ。

「いや。買ってないって」

「五〇〇円です」

「だから買ってない」

「交通費別で」

 なにを言ってもダメだと思い、おれは改札に向かった。彼女もあとをついてくる。電車に乗ってすぐ近くの矢羽駅で降りて、コンビニでお菓子やらアイスやらエナドリやらを補給する。棚に陳列された0.01mmと書かれた箱が目について、思わずそれをかごの中に放り込み、おれはそれが他人事であるかのようにかごから目を逸らした。

 コンビニの自動ドアのチャイムが鳴って外に出ると、熱い夏の朝が昼に向かってさら に温度と湿度をあげていた。道路の先に陽炎が揺らぐ。

 しばらく細い道を並んで歩き、ボロアパートに到着する。その玄関前で、彼女は五〇〇円くれないと中には入らないと言い出した。人目についても面倒なので、おれはついに五〇〇円を渡してしまった。

 おれは女子中学生を買った。

 玄関を開け、藍色の室内に、彼女を招き入れた。 

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