第12話
街から見た草むらは、目印がなくて、どこがどこだかよくわからない。
でも、草むらから見た街は、すごくわかりやすい。
あそこにある貝殻の家。そこを右に曲がって、まっすぐ進んで。その後は、はっきりとは覚えていないけれど、近くまで行ったら何となく思い出せる気がする。
ぼくはウオくんのヒレを取って、ゆっくりゆっくり歩き出した。
ウオくんはまだ、小さい子みたいに泣いている。小さい子? そういえば、ウオくんって何歳なんだろう。
ぼくはウオくんのことを、まだあまり、知らない。
ウオくんは泣いているから、歩いている間、何もお話しできない。
街の中に入ると、泣いている魚をつれている人間は珍しいのか、なにか悪い想像をさせてしまっているのか、人魚や魚人たちからの尖った視線をいくつも浴びた。
痛かった。怖かった。
だけどぼくは、ウオくんを無事に家まで連れて帰らなくちゃって、それだけを考えて、ぽわん、ぽわんと歩き続けた。
家につくと、ウオくんのお母さんが出迎えてくれた。
ウオくんを見るなりびっくりした顔をして、ぼくを少し尖った、疑う目で見た。
ウオくんが「違うよぅ。カイトは何も悪くないんだよぅ」とようやく掠れた声を絞り出すと、ウオくんのお母さんは、何も言わずに、ウオくんの横にぴったりくっついた。
人間でいうところの、ギュって抱きしめる動作なんだろうな、とぼくはその様子を見ながら思った。
そして、ぼくは――息の仕方を忘れた。
ドキドキと胸が痛いだけじゃない。確かに、酸素が足りなくて苦しいって感覚があった。脳みそが、空気が足りないって喚いて、あちこちがピリピリ痛み始める。
「カイト、大丈夫?」
目を真っ赤にしたウオくんが、少し怯えた声で問う。
「へーき。へーきだよ」
こういう時は、ひとりになって、楽しいことを思い浮かべればいい。
それで、死んじゃいそうなくらい、肺が空気を入れ過ぎた風船みたいにパーン、って割れてしまうくらいに、大きく大きく息を吸う。
それから、マヨネーズのビームを放つみたいに、少しずつ、だけどヒューッと勢いよく、吸い過ぎた空気を外へ出していく。
すぅ……ふぅ……。
何回か、そうして深呼吸をすれば、ぼくは息の仕方を、思い出すはずだから。
でも、今、ぼくはひとりになったら、骨にされてしまうかもしれない。
それに、そもそもここで、ぼくが元居た世界みたいに大きく吸って吐くことなんて、出来るんだろうか。
ひとりにはなれていないけれど、やってみる。
すぅ……。
途中で何かがつっかえた。肺のあたりが痛い。
「カイトくん。そんなに大きく吸っちゃダメだよ。肺に水が入っちゃう」
「え……」
『言いたいことがあるなら、言えばいいのに』
背後から、女の子の声がした。
「メイ!」
「この人、言いたいことがあっても飲み込んでさ、言わないんだもん。それで苦しくなってるだけじゃん。自分痛めつけるの大好き人間!」
「メイ!」
「ママもママよ。ウオが『カイトは何も悪くない』って言っててさ、でも、ウオは泣いてるからそれ以上言えそうになくてさ。ここにはカイトが居るんだから、カイトに『何があったの?』って聞けばいいのに。何で聞かないんだか。そうやって言葉をのみこんで、そのくせ他人のことは全部想像で決めつけて、自分のことは全部勝手に理解してもらおうとしてるその受け身な態度、あたし、大っ嫌い!」
ウオくんたちのお母さんは、歯を食いしばっているみたいに顔をゆがめた。目はちょっと泣きそう。拳を作るみたいに、ヒレの先がくるん、と丸まっている。
「それで? カイト、何があったの?」
メイに問われて、ぼくはその言葉の強さに気圧されながら、ついさっきの出来事をぽつり、ぽつりと話した。
「なるほどね」
メイは尾びれをパシャン、と動かして、腕組みして言う。
「カイトは、人が魚に襲われる様をウオと一緒に見て、すこぅしだけ成長したってわけだ」
「……え?」
「だって、そうでしょう? 心の内をちゃんと言葉にできたじゃない。ちょっと前までのあなただったら、そんなことしないじゃない? ああ、いや、『しない』って決めつけちゃダメだろうけど」
ぼくがこの家に来た時、メイはひょこりと顔を出して、逃げるようにどこかへ行ってしまった。
一瞬しか会っていない人魚に、〝ちょっと前までのあなただったら〟なんて言われる筋合い、ないと思うんだけど。
「なによ、その不満そうな顔。言いたいことがあるなら、ちゃんと言いなさいよ」
「え、えっと……。キミと話したこと、あったっけ? キミはぼくがここへ来る前から、ぼくのことを知っていたの?」
はぁ、と呆れたようなため息。力が抜けた肩から、だらりと垂れる腕。そんな、聞かずとも分かる「何言ってんのよ」な態度をするメイの顔を、まじまじと見た。
どこかで、見たことがある。ううん、とっても最近、この顔を見た。
あの時、傷がついた場所に、あの時と同じくらいのかさぶたがある。
でも、あの時は人間だった。人魚じゃなかった。
あれ、誰かのことをまじまじと見るなら、何か言わなきゃいけないんだったっけ? どうしよう。ええと――。
「ぼく、キミと――ああ、えっと、ごめん。たぶん、勘違い」
「……あっそ!」
すると、メイはくるり、とターンをして、どこかへ消えてしまった。
自分が正しい選択をできなかったことは、自分が一番よく分かっている。
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