第11話


 遠く遠くに視線をやる。

 どうやってかは分からないままだけれど、この楽園にたどり着いた時にいたような、草がふわんふわんしているところが目に入る。

 街の外れのそのまた外れには目印とかがなくて、同じような草がゆらゆら、ゆらゆら揺れるばかりだ。

 だから、始まりの場所は絶対あそこ、って自信を持つことはできないけれど、ゆらゆら揺れる草を見ていると、なんだか少し前を思い出して、考えることが今のことから昔のことになってしまう。

「ん?」

「どうしたの? カイト」

「いやぁ、その……」

 ゆらゆらとのんびり揺れていた葉が、一瞬ひしゃげたように見えた。

 あれは、錯覚か何かだったのだろうか。また同じことが起きたなら、自信を持ってウオくんに言える。

 けれど、まだ自信がない。

 だから、言葉がうまく滑り出ない。

「なんでもない。なんか、居た気がしただけ」

「居た?」

「いや、本当になんでもない。ちょっと、その……葉の動き方が違かったかも? なんて、感じただけだよ」

 ぼくは苦く笑った。あーあ。もっとうまく言葉を口にできたら良いのにな。

 ウオくんの顔を、ちらりと見てみる。呆れているかな? って思ったけれど、呆れられてはいないみたいだった。

 でも、なんだかすごく焦ったように、あちこちをキョロキョロ見ている。上だ――上の方。空を流れる雲を見て、「雨雲がこっちにきそう。急いで屋根があるところへ行こう」って言う時みたい。何か、不吉なものを探す目だ。

「――魚だ!」

 ウオくんが叫んだ。

 ウオくんは、ぼくを置いてすいすい泳いでいく。と、何かに気づいたらしい。Uターンして戻ってきて、「ボクにつかまって! はやく!」と、また叫んだ。

 ぼくは掴んでいたカイソウ煎餅をその場にぽろんって落としてしまうほど焦りながら、ウオくんの背びれにつかまった。

 うーん、うーん、と重たそうにウオくんが泳ぎだす。

 視線を上に向けると、魚の大群が街の外れのそのまた外れに降り注ぎ始めているのに気づいた。

「ウオくん。あれは?」

「うーん、うーん……たいへんだ、たいへんだ!」

「ウオくん!」

「はやくしないと、食べられちゃう!」

 ウオくんはあちこちを真っ赤にしながら泳ぐ。

 きっと、ぼくがつかまっているせいで、泳ぎにくいんだ。

「ぼくを置いて、はやく行って――」

「ダメ! カイトが食べられちゃう!」

「ウオくん!」

「あの魚たちの動きは、大きな獲物を見つけたときの動きだ。きっと、魚たちが向かう方に、人が居る。カイトみたいに、ここに紛れ込んじゃった人が居るはずなんだ。助けなきゃ……食べちゃダメって、言いに行かなきゃ!」

 ウオくんは必死に泳ぐけれど、いつもみたいには進めない。

 魚の大群が降ってくる。少しずつ、同じ目的地に、互いが近づいていく。

 ふわんふわんしている草をかき分けて、右に左に動くウオくんに、しがみつくのも大変だ。振り落とされてしまいそう。

 ウオくんは、ぼくの手が離れかけるのをヒレで感じたのか、スピードを落とした。

「しっかりつかまってて!」

「……うん!」

 ぼくの目に草がひしゃげて見えた場所がどこかなんて、もう分からない。草の迷路の中に紛れ込んでしまったらもう、目的地なんて分からない。

 ただ、魚たちが一直線に目指す場所こそ、きっと、獲物がいる場所だ。

 だから、そこへ向かって、泳いでいく。

「――っ!」

 ウオくんの身体が、ブルブルっと震えた。

 目の前で、ヒデトさんと同じくらいの大人が、魚の大群に包まれた。しばらく呆然とそれを見ていたら、大群はこちらに向かって泳いできた。

 ウオくんが、何かわからない言葉を泣きそうになりながら話したら、大群は上に向かって泳いで、消えた。

 さっきまで大人がいたはずの場所には、もとからあったのか、今それが出来て、置かれたのか――人の骨が山のように積まれていた。

 ここは、本当に楽園なんだろうか。

 天国とか、地獄とか。そういう世界なんじゃないか。

 まだ名前がついていない、死後のどこかなんじゃないか。

 楽園って、何なんだろう。

 ぼくが思う楽園は、理想の世界すぎるんだろうか。

 これもこれとて、楽園としてのていを成しているんだろうか。

 ううん、違う。埋葬されるでもなく人間の骨が転がっている世界なんて、そんなの――楽園じゃない。

 ここは、どこだ? 怖い……怖い。

「間に合わなかった……」

「ウオくん……」

「うわーん! 守れなかったよぅ」

 ぼくはウオくんの身体をさすって、ギュってした。ブルブル震える。ウオくんが震えているからかなぁ。でも、なんだか変な気分。

 自分の手を、じぃっと見てみた。ぼくの手も、ウオくんの身体みたいにブルブル、ブルブル震えていた。

 だけど、ぼくはどこか冷静だった。ふたりして、ただブルブル震えていてもどうにもならないからって、強引に冷静になろうとしたのかもしれない。

 良かったことを探した。起こったことの、悪いところじゃなくて、良かったところ。より一層泣きたくなることじゃなくて、前を向けるようなこと。

「ぼくがウオくんに見つけてもらえたのは、きっと奇跡だったんだね。ぼくも、ああして食べられちゃったかもしれなかったんだもんね」

「うわーん! うわーん!」

 ああ。ぼくは、言葉選びを間違えたみたいだ。

 なんでかなぁ。どうしてこういう時、ふさわしい言葉をしゃべれないんだろう。



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