第10話


 たいていが気さくな人であれ、時々気難しい人が居るとなると、足が重い。

 勇気を振り絞って声をかけたところで、それが外れくじだったらどうしよう。

 そう考えると、心の内をさらけ出すなんて、ぼくにはなかなかできなかった。

 けれど、周りに見たことがない生物が溢れているとなると、視線はどうしてもそちらへ行ってしまう。

 散歩をすればするほど、誰かに不快感を覚えさせてしまって、さっきの魚人ほどではないけれど冷たい声をかけられて、ぼくは苦しくなった。

 息の仕方は、なぜか覚えている。でも、苦しい。

 息が出来なくて苦しいんじゃない。ドキドキと打つ、鼓動が痛い。

 ウオくんは、底ばかり見るぼくの周りを、くるくると泳ぐ。

 くるくる、くるくる――。

 すると、ウオくんは急に、すいすいと目の前のお店に入っていった。

 ぼくが視線を上げれば彼の姿を見られる、彼からも振り向けば僕を見られるほど近くで、お店の人と明るい声音でおしゃべりしながら、買い物をしている、らしい。

 少ししたら、ぼくのすぐそばに戻ってきた。そのヒレには、カイソウ煎餅。

「街って楽しいけど、ずっといるとちょっと疲れるよね。街のはずれでこれを食べながら休憩しよう」

 顔を上げる、と、ウオくんのニッコリ笑顔がそこにあった。


 街のはずれで、パリパリとカイソウ煎餅を食べながら、ウオくんの話を聞いた。

 ぼくが何かを言うでもないからか、ウオくんはずっと喋っている。

 初めは最近ハマっている遊びのことだったりしたけれど、だんだんそういう明るい話題が足りなくなってきたらしく、途中から家族の話になった。

 ウオくんのお父さん――ヒデトさんは、二番目のお父さんだ。ヒデトさんの話を聞いて、何となく想像できていたけれど、本当のお父さんは魚なのだという。

 どうしてお父さんが居なくなったかといえば、お父さんは人間に食われてしまったから。そんなことがあったら、人間のことを憎んでしまいそうなものだけれど、ウオくんは、今のお父さん――ヒデトさんのことが大好きなのだという。

「人間のことを憎んではいない。仮に憎むとしたら、それはパパを食べた人間だけ。〝ヒデト〟を憎む理由なんてないもん」

 ウオくんのニッコリ笑顔は、少しも汚れていなかった。本当に、彼は、種族でもって判断していないんだな、とぼくは思う。

「それに、食べるっていうのは、生きるってことだ。だから、あれは――仕方がないことだったと、思う。せめて、おいしく食べて貰えていたらいいなって思うよ」

「ねぇ」

「ん?」

「変なことを聞くかもしれないんだけど」

「いいよ。どうしても答えたくない質問だったら、『答えたくない』って言うから」

「あの、その……。ウオくんは、お父さんが居なくなったことは、そんなに気にならないってこと、なの?」

「うーん」

 ウオくんが、口を噤んだ。

 ああ、なんとなく、ウオくんになら心の内をさらけ出せるような気がして、話したんだけど。

 いけないことを、したかもしれない。

「ごめん、何も聞かれなかったことにして……っていうのは難しいだろうけど。答えなくていい。変なこと聞いて、ごめん」

「あ、ごめん。答えるの遅くてごめん。ちゃんと考えて話そうと思って、そうしたら時間がかかっちゃっただけなんだ。ええとね、パパが居なくなったことは、気になること。だけど、食べられちゃった、ってことは、仕方がないことかなって思ってる。でも、そうだなぁ。ボクはきっと、『パパが食べられた』から、そんなに怒らないでいられるのかもしれない。もしも、パパが、例えば暴力を振るわれたりとかして、それで死んじゃったりとかしたら、すごく怒ると思う」

「それは、えっと……」

「意味ある死と、無意味な死の違いかな。強がっているだけかもしれないけど……食べられることは、誰かの糧になることだから、そういう意味があったんだろうなって思える。でも、暴力での死に、ボクは意味を見つけられない。ボクが未熟だからかもしれないけれど、どうして暴力で殺されないといけないのか分からない。だから、そういう納得のいかないことだったりしたら、プンプン怒ったと思う。もしかしたら、仕返しをしたかもしれない」

 穏やかなウオくんが、仕返し? どうにも想像できない。

 どんな仕返しだろう? 気になる。「どんな仕返し?」って、聞いても良いのかなぁ。

 ううん。これは、聞かない方がいい。

 もしも、仕返しの内容を考えていたところで、ぼくがそれを知ってもどうにもならない。それに、今、ウオくんは仕返しをする気などないのだから。

 分からないことを問いかけることには、意味がある。でも、知る必要がないことを問いかけることには、意味がない。

「そっか」

「カイト、ありがとう」

「……ん?」

「ボクばっかり喋っていたから。カイトがボクに問いかけてくれたの、嬉しかったんだ。だから、ありがとう」

「そんな、お礼を言われることなんて、別に」

「もう。こういう時はね、『どういたしまして』でいいんだよ」

「ど、どういたしまして?」

「ふはは! 言い慣れてなさすぎ。今までずっと、『別に』って言ってきたの?」

「そう……だったのかも」

 ウオくんは、ずっとクスクス笑ってる。

 笑いのツボに入っちゃったみたいで、なかなかそれは止まない。

 止まない笑い声をずぅっと聞いていたら、なんだか笑わずにはいられなくなった。堪えきれず、ぼくもクスクス笑いだす。

 笑いはうつって、広がって。通りがかりの人魚さんまで、「楽しそうね」って笑った。


 ああ、なんか今すごく――穏やかな気分だ。



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