第6話


 ぼくは、何がきっかけかわからないくらい、本当に唐突に、気づいた。

 水の中にいるみたいに、身体がぽわん、としている。

 でも、なぜだか、息苦しくなかった。

 道を歩けるけれど、どうしてもスローモーションみたいな動きになってしまって、ずんずん歩けない。

 この場で「走れ」と言われたら、「走り方が分かりません」と、どこの誰かもわからない、たまたま出会った人に声をかけて、教えを乞いたい気分だった。

 周りに生えているのは、逞しい雑草のようで、けれど違う。ゆぅらゆぅら揺れている。ぼくが普段見ている雑草とは、違う。

 不思議な草をかき分けていくと、街が見えた。

 大きな貝殻があちこちにある。時々、看板がかかっている貝殻がある。きっと、この世界の建物は、貝殻でできているんだ。

 この世界――? ぼくは一体、どこに居るんだろう。もしかして、ぼく、死んじゃったのかなぁ。

 急に、怖くなった。身体がブルっと震えた。

 落ち着かない。落ち着きたい。

 このままここに居たら、誰かに見つかってしまうかもしれない。

 嫌だ。誰にも見つかりたくない。

 絶対にひとりだと思える、そんな場所へ行きたい。

 思いつくのはさっきの草陰だけれど、そこまで動くか分からないくらい、身体がガチガチに固まっている。せめて、小さくなりたい。そうしたら、少しは落ち着くかもしれない。

 でも、身体がぽわん、となってしまって、なかなか小さくなれない。

 ドキドキする。心臓の音が響く。まるで、身体がスピーカーになったみたいに、ドッドッドッドッと響いている。

 すぅ……はぁ……。

 せめて呼吸だけでも整えようと、大きく吸って、吐いた。

 大丈夫。苦しくない。ちゃんと吸えるし、ちゃんと吐ける。呼吸の仕方は、忘れていない。

「どうしたの?」

「ふぁ!」

 急に声がした。ぼくはまた情けない声を出しながら、声がする方を見た。そうしたら、

「うわぁ!」

 今度はもっともっと情けない声が出た。

 魚だ。魚がいる。魚しかいない。つまり――魚が話しかけてきたんだ!

「ごめん、ごめん。びっくりさせちゃったね。あれ? キミ、もしかしてここの人じゃない? 初めて来たの?」

「え、えっと……」

「ボクは、ウオっていうんだ。キミは?」

「え、えっと……」

「キミ、えっと、って名前なの?」

「ち、ちがう。ぼくは、カイトっていうんだ」

「カイトか。素敵な名前だね。こんなところにひとりでいるのは危ないよ。魚たちが食べ物だと思っちゃう。とりあえず、ボクの家においでよ。こっちこっち。ついて来て」

「ね、ねぇ!」

「んー?」

「キミにとっては、ぼくは食べ物じゃないの?」

「ん? ああ。ボクにとっては、人間は食べ物じゃないよ。でも、魚の中には〝人間は食べ物だ〟って思ってるヤツもいるんだ。魚に食べられないためには、魚語を覚えるか、魚語ができる生き物と一緒に行動するか、だよ。ボクと一緒にいれば、心配ない。さあ、ついて来て」


 ウオくんは、すいすいと泳いでいく。

 ぼくはその後ろを、ぽわんぽわんと歩いていく。

 ウオくんは時々振り返るし、くるんって回ったり、上下に動いたりした。自由に動くウオくんと違って、ぼくは不自由だ。全然、とことこ歩けない。

 目の前で、ヒレが左右にゆらゆら揺れている。

 へーんなの。すごく大きな虫を追いかけているみたいな気分だ。

「どうかした?」

 ウオくんが、キョトンとした顔でぼくに問う。

「ううん。なんでもない」

 なんでもある。けど、嘘ついた。

「そう? もう少しで着くよ。この時間はみんなお家にいると思うけど……。はじめてここに来たのなら、みんなに会ったら、ちょっとビックリしちゃうかも」

 もうすでに、ウオくんに出会ってビックリしている。これ以上のビックリなんて、あるのだろうか。



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