第3話
「今日来るのギリギリだったな。教室でなんかあったの?」
委員会が終わると、タツキにそう問われた。
「ん? ああ、まあ」
「じゃあ、帰りの会の前に突撃してよかったや」
「ん?」
「委員会の前だと、間に合わなかっただろ?」
「ああ、そっか。確かに。そうかも」
「カイト、ありがとうな。助かった」
「ああ、うん。どういたしまして」
ぼくらはランドセルを背負うと、委員会のみんなで他愛のない話をしながら下駄箱へ行って、靴を履き替えて、外へ出た。
見上げると、厚い雲がそこら中にあった。雲の隙間から見える空は灰色で、今にも雨が降り出しそうだった。
ぼくの家は、みんなの家とは方向が違うから、ちょっと進んだだけで「またな」って手を振る交差点に着いてしまう。
いつも通り、交差点で手を振り合って別れた。あっちは集団、こっちはひとり。ぼくは寂しいような、ホッとするような、変な気持ちになる。
ふ、と、息苦しい、と思った。ちいさくゆっくり、吸って、吐く。
ぼくは息の仕方を忘れたときに、息の仕方を思い出すためにひとりになろうとするのだと思っていたけれど、そんなことが習慣化してしまって、ひとりになると息の仕方を忘れるようになったのかもしれない。
苦しい。どうするんだっけ? でも、まだ、忘れきっていない。ちいさくゆっくり、吸って、吐く。
家に帰ると、ランドセルから今日の宿題で使うものをいろいろ取り出して、ダイニングテーブルに置いた。
筆箱をパカッと開けたら、う、と一瞬、身体が凍った。
七本入れられる鉛筆ホルダーには、七本の鉛筆を入れていたっていうのに、今は六本しかない。消しゴムを入れるところには、四つの角しか丸くない、綺麗な服を着た消しゴムがあったはずなのに、今は八個の角が丸くなった、ボロボロの服を着た消しゴムがある。
摘まみ上げて、よくよく見てみる。やっぱり、ぼくの名前が書いてある。
悶々としながら、淡々と宿題をした。
誰かに見られているかどうかを、ここでは気にしないから、大きくゆっくり、吸って、吐いた。身体が、頭が、大きく揺れる。視線は動かないけれど、目玉は上下にひゅんひゅん動き続けた。
お母さんは、仕事と買い物を終えて帰ってくるなり、家の仕事に取り掛かる。
買ってきた冷たいものを冷蔵庫にしまって、晩御飯を作り始める。小さい鍋には、水とだしの素。手のひらにのせた豆腐を、とんとんとん、と切って、ぽちゃん、と入れた。その様をぼくは、ダイニングテーブルから、ぼうっと見ていた。
「どうしたの?」
「ん?」
「いや、さ? カイト、宿題終わったらゲームをするか、ゲームをしている人の動画を観るかのどっちかじゃん? お母さんが料理しているところをぼーっと見るなんて、珍しいなぁ、って思って」
「ああ、うん」
「学校で、何かあった?」
うん。あった。
でも、何を話したらいいのか分からない。
筆箱を忘れた人が居て、鉛筆を貸したこと? 消しゴムもないだろうからって、左側に置いたこと? 自分の消しゴムだっていうのに、使いにくくなっちゃって、黒板に書いてあることを書き写すのに手間取ったこと? 鉛筆が返ってこなかったこと? 消しゴムをボロボロにされちゃったこと?
委員会のことは、何があったか、話しやすかった。
それは、現実に起こったことを、箇条書きにするみたいに言葉にして並べただけだからだ。
でも、自分のことは、現実に起こったことであっても、なんだか話しにくかった。
どこからどこまでが事実で、どこからどこまでが感情なのか、どこからどこまでを話せばいいのか、みたいな分類わけが、上手くできない。
「なんでもない」
「そう? そんな顔してないけど」
「なんでもないってば」
「あ、そう。そうだ、今日はピーマンの肉詰めにしようと思うんだけど、いい?」
いやだ。その組み合わせが決定事項なら、ハンバーグとピーマン炒めにしてほしい。
「うーん」
「返事が遅いから、ピーマンの肉詰めに決定しまーす」
返事が速かったら。ぼくが「ハンバーグとピーマン炒めにしてほしい」って言ったら。
ぼくの言うとおりになったのだろうか。
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