第8話 痛みに秘めた毒牙
「陛下。二人きりでお話をしたいのですが。少しお時間をよろしいでしょうか」
第二王子ヴァルターが穏やかに告げる。
サフィルは軽く息を呑んだ。
敵国と共謀してイゼルアを乗っ取ろうとし、しまいには王へ刃を向けたフランクは、アルス=ザレラ側に引き渡すことで合意した。
その後の扱いについては、ヴァルターは明言を避けたしサフィルも首を突っ込むつもりがない。イゼルアとエルデ城市に再びちょっかいを出させないと確約してもらえたので、後は任せることとした。
そうして、国同士の正式な会合ではなく三人の兄弟姉妹とその従兄弟、それに従兄弟の伴侶という身内のみの内輪の話し合いは終わった。
フランクの身柄が近衛兵によって丁寧に会議の間から連れ出されるのを、黙って見送った後、ほっとする間もない申し入れ。
ひとつ片付いたと思ったら、すぐ次の問題に取りかかることになりそうだ。王の執務は息つく暇もない。
「それ、僕がいない方が良い話?」
「そうだな。外してくれ。エマがお前に用事があると言っていた」
ロイがあからさまな渋面になり、不機嫌そうに前髪をくしゃくしゃ混ぜる。
「僕は別に話すことないんだけど」
「お前になくとも向こうにあるんだから仕方ないだろう」
第二王子ヴァルターはおおらかに笑う。
彼も、それから第四王女エマも、ロイが嫌いではないのが分かる。むしろ王族の皆が、フランクも含めて、ロイを気にかけているような気がする。
ロイの方はそんな彼らを疎ましく思っているようだが。
「僕のことを喋るつもりなんだよね、ヴァルター兄さん」
「……いや?」
片頬を上げて微笑む第二王子は、表情だけで言葉を否定していた。
ロイのこと。知りたいとは思うが、本人が嫌がるなら知らないままでいた方が良いのだろうか。
ただ気のせいか、サフィルには、ロイが『自分の口から伝えたくはないが知っておいて欲しい』と願っているような、そんな気がする。
心底から嫌がってはいないように見える。単なる願望、好奇心への言い訳だろうか。
「何、未来について話し合うだけだ。過去はもう、どうすることもできない」
「分かった」
「ロイ。お前はちょっとこっちにおいで。叔母様から言伝があるから」
「ええ……母さんから?」
渋々エマの方へ行くロイの、丸めた背が可愛らしかった。
口では嫌がっているが、逆らえないらしい。母親が絡めば尚更だ。
お互いの話が耳に入らないようにとの気遣いか、従姉は従弟を明るい窓際まで連れて行き、額を寄せ合って何か秘密の話を始めた。
早くロイを解放してあげるためにも、こちらの用事を片付けなくては。サフィルは第二王子に向き合う。
「それで、話とは」
「南部との関係における、陛下の理想を、お伺いしておこうと思いまして」
誠実で実直そのものな第二王子は、サフィルに、王としての決断を迫った。
表情を見る限り、彼らはそれに従う用意があるらしい。戦えと言えば全力で南を叩き、退けと言えば全ての船の舳先を東へ向けるだろう。
サフィルは丁寧に、言葉を探した。
「……仲良くしたいと思っている。可能であれば」
「なるほど」
ヴァルターは逞しい腕を拱く。
「それは、あなたの言葉と受け取っても大丈夫ですかな? それともうちの総帥の入れ知恵?」
「私自身の意志だ。確かに、均衡を保つ大切さを教えてくれたのはロイだが、本当に心からそれが必要だと理解している」
運河を現状維持する必要性について、南部大陸が理解してくれるかどうかは分からない。イゼルアが強大な後ろ盾を得たことで、こちらに戦意があると誤解しているだろう。
南の不満は以前より増しているかも知れない。
それでも、連綿と続いてきた安寧を、これからも維持し続けたかった。
「非常に消極的ではありますが、それが陛下のご決断であるならば尊重しましょう」
「あなた方はそれで納得しているのか?」
「ロイの言う運河の均衡について、最初は反対意見もありました。けれども、強気に出ようが譲歩しようが結局うまくいかないだろうと、今は誰もが理解しています」
ふと第二王子の視線が妹と従兄弟の方に向いた。
サフィルも釣られて二人の方を見遣る。相変わらず窓の方を向いて、何か熱心に議論している後ろ姿が、何となく面白い。
「……さっきのあいつの口ぶりだと、十五年前のことをあなたに話していないようですね」
「詳しいことは聞いていない。おおよそ察しはついているが」
多すぎる王族を何人か『病死』させ、序列を調整しようとする向きがあった。
そして——フランクの言葉を借りるなら、ロイは彼らに『間引かれる対象』だった。
他人に体を触れられることをあんなに嫌がるのは、それが死の恐怖へと繋がっているから。王都を遠く離れた祖父母の元で、幸運の花に囲まれて育てられたのは、二度目の襲撃を恐れて。
ヴァルターがサフィルの方に向き直った。ほんの少し、悲痛な面持ちで。
「十五年前のことで、ロイは我が国に二つ大きな貸しを作ったんですよ。ひとつは、生き残ってくれたこと。もうひとつは、誰に何をされたか言わないでいてくれたこと」
第二王子の暗い双眸に、サフィルの喉が大きく上下した。
「ご理解いただけないかも知れません。アルス=ザレラは良くも悪くも大きすぎたんです。闇雲に正義を振りかざし、悪を糾弾すれば、国の礎そのものが危うくなる。だから、罪を呑み込むことにしました。そして公爵夫人は、そのことを了承してくれたのです」
「……犯罪者が身内にいることを承知の上で、捜しも、裁きもしない道を選んだと」
「それをやってしまうと国が崩壊しかねない程度には根が深くて。致し方なかったのですよ。ただし皆、口に出さないだけで真相は理解しているんです。事件に関わった者の関係者は少しずつ宮廷から遠ざけられていますよ」
フランクに居場所がなかったのもそのためだろうか。
王位継承権四番目の第六王子に擦り寄る一派があり、立場を押し上げようとする動きがあったとしても不思議ではない。
遠ざけられたフランクはロイの戦略に横入りし、イゼルアの玉座を乗っ取ろうとした。
なるほどロイの推測通り、彼の目が悪いことと運河の危機は同じ原因だったようだ。
「秀でた子供ばかりが狙われました。生き残った私は恥ずかしい限りです。無能か、首謀者の側の人間か。そのどちらかだ」
悲痛な面持ちの王子に、かける言葉が見つからない。
ただ少なくとも、新しい犠牲が生まれていないことは分かった。
王族を減らす卑劣な作戦は、熱病を癒す薬が見つかったことで頓挫したらしい。
「過去は変えられない。けれども未来は動いています。あの二人が我々の希望です」
「女性将軍は確かに新しい。ロイは……色々型破りだな」
「悪意に晒されたからこそ痛みに敏感で、あいつは、全てを護ろうとする。そして概ねそれがうまくいく。今回もまあ、変わった作戦に出たものだと最初は呆れましたが」
うまくいくと信じて、好きなようにやらせてくれた。
隣国の王子と結婚する、という荒唐無稽な戦略を。
ロイがどんなに毛嫌いしていても、親族はロイを信頼している。
「その気になれば国を崩壊させられるだけの事実を懐に留めてもらっているんです。あいつが過去の精算を望まないことを願うのみです」
ロイは過去を忘れることを選んだ。今更、何も言わないし求めないだろう。
だが己の命が持つ影響力は、きちんと理解している。
毒蛇の片牙は王都に住む母の手元にあると言っていた。
「兄様、こちらは終わりました」
踵の音も高くエマが近付いてくる。その後ろに大人しく従うロイは、あからさまに不機嫌そうだった。
上着のポケットに手を突っ込み、子供のように唇を突き出している。
「サフィル陛下」
第四王女が発言の許可を求める。軍人としてではなく、王女らしいたおやかな所作で。
「エマ=ルイ……ルイー、スっ」
「ああどうぞお気になさらず」
エマはさっぱりとした笑顔で、大陸風の発音に舌を噛むサフィルを気遣った。
そして。
「不束な従弟ですが、どうぞ幾久しく、よろしくお願いいたします」
うっかり吹き出してしまいそうなことを言いながら、深々とお辞儀をした。
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