第7話 審判会議

 隣国の第二王子と第四王女が正式な使者として城を訪れたのに、先の王、ロイの義父は姿を見せなかった。

 新しい王に全てを任せて、政治の表舞台から完全に身を引くつもりらしい。

 サフィルを信頼しているのか、むしろ逆に王の立場を厳しく躾けるためか、真意は分からない。


 ただ彼は、確信していたはずだ。

 息子はもう王として立派にやっていけると。

 会議の間の、長卓の上座におおらかに掛けているサフィルは、美しく威厳ある王そのものだった。

 ロイは、王として振る舞うサフィルの傍に座っているのが楽しくて仕方がない。


 サフィルはイゼルアの王となるために必要なもの全てを与えられている。今ここに座しているサフィルこそ、誰からも望まれた王太子の在るべき姿、本人でさえ疑うことのなかった本来の姿だ。

 運河の国の王であることのみを求められていたから、それ以外を知らない。小さな城砦都市の城主の妃として生きるには色々なものが足りていなかった。

 己の境遇に戸惑うサフィルの印象が強いせいで、本来の、堂々たる王の姿が眩しい。


 思えば、イゼルアの先の王はとても不器用な人物だ。

 父はあれほど息子を愛し、何より優先して動いているのに、息子は、父の愛を自覚したことがない。

 理由はサフィルと共に暮らしていれば分かる。父もまた幼少時より徹底的に自我を抑え込まれ、国家に全てを捧げる王として育てられたのだろうと。

 家族を愛する思いと、我が身を犠牲にしても貫くべき使命は、時として相克する。


 じっと見つめていることに気付いたサフィルが、ロイの方を向いて軽く首を傾げる。

 慌てて顔を引き締めて、前を向く。

 ロイはサフィルから見て右の長辺、イゼルア側の椅子に一人で座っていた。従兄のヴァルター、従姉のエマの二人と向き合うかたちで。

 そしてサフィルの正面、長卓の反対側の短辺に、不敵な笑みを浮かべているフランクが座っている。拘束はされていない。その代わり椅子の左右に近衛兵が立ち、不測の事態に備えていた。


「それで……」


 時が凍り付いてしまったような長い沈黙の後、発言の意思表示をするように軽く咳払いをしてから、アルス=ザレラ第二王子ヴァルターが口を開いた。


「話を聞こうか。フランク」

「そうだなあ。じゃあ助けてくれ、ヴァル兄」


 親族の中でも最も面の皮の厚い男が、ずいぶん偉そうに救いを求める。

 アルス=ザレラ側の誰もが、ロイも含めて、呆気に取られた。サフィルのみ渋面になる。

 こちらはすっかり慣れているが、高潔で生真面目なサフィルには理解できないだろう。この男の、こういう部分が。


「……弟よ。今回ばかりはさすがに無理だ。しでかした事が大きすぎる」


 第二王子でさえ今回は庇いきれない。

 否。最初から、第六王子の味方をするつもりがないようだ。

 ロイは内心ほっとしていた。もし祖国が隣国との関係より身内の方を選んだら、これまで積み上げた全てが瓦解してしまうところだった。


 アルス=ザレラは清い国ではない。

 国体を維持するためなら罪をも呑み込む、濁流だ。

 それを、身をもって知っている。


「しでかした? 人聞きが悪いぜ兄貴。自分の居場所を自分で用意することの何が悪い」

「違う。自分の居場所を自分で作ろうとしたんじゃなくて、他人の居場所を横取りしようとした。さすがに赦されることではないわ」


 第四王女が正論で弟を叱る。

 フランクにこれが理解できるかどうかは疑問だった。

 何しろフランクは、自分が得るはずだった地位を他の王族に奪われたと思っている。だから、地位は誰かから奪って手に入れるものと結論付けた。


 運河に目を付け、南部諸国と山分けし、北半分を己のものにしようとした。


「なんで分かんねえんだよ。運河をより良くしてやろうって言ってんだ。俺の提案通りにやりゃ、どこの国も損をしないのに」

「これまで完璧な運営がなされていたからこそ今があるとは考えないのか?」

「完璧? 冗談だろ。現状、不満しか出てないじゃないか。南部は馬鹿高い通航料に苦しんでいる。あっちの岸に利益を恵んでやるべきだ。北の実入りは減るけど、恒久の平和と引き替えなら長期的に見て得だ」


 呆れた表情がずらりと並ぶ。

 幸いなことに、ここにいる誰もフランクの口車に乗らなかった。


 南部にとっては美味しい話だったろう。実際に行動を起こす気になったのも頷ける。

 だがこれは、自国に居場所を失ったフランクが欲してやまない権力の座を得るための奸計でしかない。

 北側の代表は皆、理解している。ここまで保たれてきた運河の均衡は、どう弄っても壊れるだけだ、と。


「ロイ。何か言うことはあるか?」

「別に」


 ヴァルターに水を向けられ、ロイは頬杖をついたまま軽く肩をすくめ、即答した。

 しばらく見ないうちにますます伯父そっくりになった従兄は、咎めるように片眉を上げる。

 エマも顎を上げて目を細める。二人から感じる、何か言え、という無言の圧力。


「……じゃあひとつ、確認しておこうかな。フランク、どっちが先なのか教えてくれないか。君と僕と、どっちが先に動いたのか」


 厳密に言えばこの会議に必要なことではない。

 だが少し、気になっていた。


 認めたくない。自分が、フランクの策略にはまったと。


「ああ、安心してくれ従兄弟よ。俺はお前を騙せなかった。むしろ、してやられた方だよ。まさか『結婚』なんて手段に出るとはね。想定外も想定外」

「イゼルアの要請に、僕が莫大な軍事力をもって応じる。そう推測してたんだろ」

「それが本来あるべきアルス=ザレラの姿だろう? お前みたいな変人を頭に据えたせいで軍は変わっちまったようだ。まあお陰で王太子を誑し込むって手があることを教わった訳だけどさ」


 残念ながらその作戦も失敗に終わる。

 サフィルは、フランクに全く靡かなかった。

 人としての魅力で劣る自負のあるロイは気が気でなかったが、少なくともサフィルはロイを選んでくれた。


 二人のやり取りに、第二王子が呆れた様子で額を指で掻く。


「お前も、その悪知恵をもっと有意義に使えたなら、きっと評価されただろうに」

「俺は祖国のために働いたんだぜ。大陸西部を統一するのは先祖の悲願だったはずだ。今ならそれができる。イゼルアもそれを望んでいるからこそ助けを求めてきたんだ。——そうでしょう? ザフィル」


 一瞬にして、空気が変わった。

 ヴァルターとエマの顔がぴしりと固まる。


 この期に及んで、フランクは王に対し最大限の侮辱を行った。

 自分勝手な振る舞いより、そちらの方が兄と姉の怒りを買ったようだ。


 フランクがいつまで経ってもサフィルの名前を正しく発音できないのは、アルス=ザレラこそ世界の中心であり、頂点であり、正しさの基準であり、わざわざ他の地方に合わせる気が毛頭ないという傲慢さゆえ。

 王族にありがちな思考だ。

 今もフランクにとってイゼルアは、そしてサフィルは、の認識なのだ。


 ふう、と。

 サフィルが深く息を吐く音が聞こえる。


「……フランク。お前の行動にはひとつ、大切なものが欠けている」

「ほう。何でしょうか?」


 感情を抑えて気丈に向き合うサフィルに、フランクが仰々しい笑顔で応じる。

 エマが何か言おうとし、ヴァルターがそれを止める。


「誰かのためと嘯いていても、それで己が得をするのなら、その言動は誰からも信頼されることはない」


 青玉の双眸がちらりとロイの方を見た。

 その深淵に、思わず息を呑む。


 ——違うよサフィル。僕は君が思っているほど無欲な人格者という訳ではない。

 そんなに強くなんかない。

 弱いから、誰かが悲しむ所を見たくないから、隠れて口を挟んでいただけ。


「陛下の仰る通り。国のためだの祖先の悲願だの、口で何と言おうが結局いつも、お前の動機は単なる私利私欲だ」

「ヴァル兄。何の利益にもならないことを頑張るのって、ただの馬鹿だろ」

「それを献身と言い換えるなら、権力者は、馬鹿であった方が良い」


 サフィルの言葉が、あまりにも重い。

 愚直とも言えるほど真っ直ぐ、誠実にイゼルアに尽くす王の志が秘められていた。

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