第5話 海の上の駆け引き

 アルス=ザレラの王子を二人乗せ、早朝にエルデの港を離れた双頭の黄鷹旗の帆船は、午前中の西流れに乗って南北海峡を順調に進んでいる。

 ロイは甲板に積まれた木箱に腰掛け、興味深く辺りを見回していた。観察は、子供の頃からロイが大切にしている趣味のひとつ。新しいものが目の前にある限り、退屈せずいつまでも眺めていられた。


 初めて乗るフランクの帆船は豪華だった。

 王族の旗を掲げるだけあって、贅を尽くしている。

 もちろん外見の贅沢さだけではく、機能面においても人手と金がふんだんに掛けられているのが分かった。

 マストの数や帆の種類が、これまでの帆船とは違った。航路の警備のために借りた最新鋭の武装帆船と同じ、新しい技術が取り入れられている。

 理論上、今までの船より鋭い角度で風上へ進める。


 ロイも帆船を一隻所有してはいるが、港の隅に繋ぎっぱなしで滅多に動かすことはない。

 もちろん改造を加えたこともなく、造船当時の姿のまま。維持する手間ばかりが嵩む、無駄なもののひとつだ。


 最先端の船を所有すること、即ち相手より先に風上を抑えることに、従兄弟は何らかの拘りを持っているようだ。

 しかし、王族の嗜みと呼ぶには攻撃的すぎる『最速の帆船』が、どうにも胡散臭い。ただの見栄なら良いが。


 甲板上は船乗り達が掛け合う威勢の良い声と、家畜の鳴き声が、船が切り裂く波の音と混ざって聞こえている。

 雑音だらけだ。何にも集中できない。

 ロイは顎を上げて空を見た。マストの間に張り巡らされたロープが、青空に幾何学的な模様を描いている。少し眼鏡を押し上げて眼を凝らせば、渡り鳥が列を作って船を導くように西の方へ翔んで行くのが見えた。


「ロイ。何やってんだ」


 舳先に立って前方を見張るのにも飽きたのか、フランクが近付いてきた。


「見てる」

「……なるほど。変わってねえな、お前」


 鶏を入れた檻に腰掛けて、フランクは笑顔で肩をすくめる。

 その表情は、溌剌としていた。


「船酔いはしないんだね」

「ああ、昔は酷かったけど、慣れたよ。今じゃ揺れない地面の方が気持ち悪くて、陸に上がると酒浸りだ」


 海で働く者の職業病。船に酔わない代わり、陸酔いをする。

 働いている訳ではない遊び人のフランクも同じ症状が出ている。当たり前なのだが、そこはかとなく皮肉が効いている気がした。


「お前も平気そうだな」

「僕は半分エルデ人だ。生まれつき波の揺れに強い」

「へぇ」

「ついでに、残り半分はザレラ人だから、馬の揺れにも強い」

「凄えな、そりゃ」


 脚をぶらぶらさせるフランクの返事は、やや残念そうに聞こえた。

 船酔いで潰れることを期待していたのだろう。

 遊牧民と海の民を両親に持ち、ロイは移動には強い体質だった。——滅多に城を出ないので必要のない特技ではあるのだが。


 フランクは檻の上に片脚を上げた。

 いつもにやけている頬が少しだけ引き締まっている。仕掛けて来る気だ。


「お前さあ、なんで付いてきたんだ?」

「……君が誘うからだろ」

「あっさり首を縦に振るなんて思わねえよ、普通」


 どうせロイがゴネると思い、二の矢三の矢を用意していたのだろう。

 それが簡単に同意したものだから、フランク本人が驚いている。


 ロイは一度、空を見上げた。


「君の邪魔をするためだよ」

「言うねえ」

「それより君の作戦を聞かせてくれ。僕をイゼルアに引っ張っていって、何をどうしたいんだ? 君の最終的な目標は、何なんだ?」


 昨日問い詰めた時は、はぐらかされた。

 だが知っておかなければならない。お互い、作戦は既に動き始めている。


「自殺行為だぜロイ。罠の仕組みが分からないから掛かってみようなんて」

「そうかな。一番手っ取り早い」

「まあ自ら政略結婚しちゃうような総帥閣下だもんな。びっくりするくらい自分の価値を低く見ている。お前はアルス=ザレラにとって大切な人間なんだ、もっと自分を大切にしろ」

「国を裏切った君に言われたくないな」


 饒舌な口が閉じた。

 押し黙ってしまったフランクの表情は相変わらず、いつも通り中身のない笑顔。だが、ロイには分かる。

 機嫌を損ねたことが。


 意外なことに、フランクには祖国を裏切るつもりがないようだ。

 運河を分割することはアルス=ザレラに利する行為だと信じて動いている。


「……見ろよ」


 しばらく何か考えていたフランクがふと顔を上げ、顎でしゃくってロイに振り向くよう促す。

 立ち上がって後ろを見れば、甲板の高い手すりの向こうに、南大陸があった。

 褐色の断崖海岸がいつの間にか、じりじりと迫って来ている。


「不毛の荒野さ。運河のこっち側には、港さえ造れない」

「そのための運河だろ。通航料を払って、維持してもらっている」

「北から見るとな。……だいぶ前、南大陸の東の沖で嵐に遭って、助けてもらってさ。その時に南の国と繋がりができた。で、あの乾いた大陸の実情を知って、俺はひとつの結論に行き着いた。南が貧しいのも北が窮屈なのも、全ての元凶はその真ん中で利益を独占する意地汚いイゼルアだって」


 この時ロイは、かつてないほどの怒りを、自身の中に認めた。

 子供の頃から自他共に認める無感動な人間だったが、妃の祖国を悪く言われたことに、猛烈に腹が立った。

 自分のことは、どう言われようと心に響かないのに。


「お前がザフィルと結婚したって噂を、俺は南部大陸で聞いた。あっちは怯えてたぜ、イゼルアだけならともかくアルス=ザレラが出てきた。獲物を独り占めする狐に少し譲ってくれと頼んだら、虎を連れてきたんだ。そりゃ焦るよな」

「頼んだ? いや明らかに暴力的な圧力だった」

「頭を下げてお願いしたところで聞いてもらえないからだろ。向こうから見ればお前の策は卑劣だ。だけど俺には好都合。やっと運が回ってきたと思ったね」


 ここで初めてフランクが淑やかな仮面を脱ぎ捨て、心からの表情を見せた。

 見る者を凍り付かせる、恐ろしく冷酷な笑顔を。


「運?」

「そう。俺はツイてなかった。まず玉座は一番上の兄貴のもので、軍の頂点は二番目の兄貴。これは伝統だから仕方がない。地方の領主もほとんど次が決まっているし、軍の要職は女や王甥に盗られちまった」

「他はともかく僕も第二王女も実力で抜擢されたんだよ」

「だいたい王族が多すぎるんだよ。お前や姉貴みたいに、本当はそんな立場じゃないのに贔屓される奴が出てくる。のも失敗したし、そうなったらもう……座る椅子が足りなきゃ、増やすほかないじゃないか」


 なるほど、と。

 ロイは心の中で呟いた。

 フランクの行動の核心は思った通り、実に簡単な動機だった。


 運河の国を手に入れること。


 祖国で居場所のない第六王子が、領土を広げたがっている。

 それには、ただ座っているだけで世界中から金が入って来る——ように見えている——運河が、打って付けだったのだろう。


「かつて我らが祖先は海と山に阻まれ、大陸西部の統一を断念した。さぞ悔しかっただろう。なあロイ、俺達で祖先の悲願を達成しようぜ」

「旧エルデ城砦がアルス=ザレラに抵抗しなかったのは、敵が内陸国ながら強い海軍力を有していたからだとされる。祖先が侵略を止めたのは、先へ行けなかったからではない。敢えて行かなかったんだ。その意味を良く考えた方が良い」

「相変わらずお前の口調は苛つくな」


 もはや友好的な態度を示す必要もないとばかり、フランクは攻撃的だった。


「忘れるなよ。俺は第六王子、お前より偉い」

「僕は国王陛下に任命されたアルス=ザレラ軍総帥なんだけど」

「これは軍事行動じゃない。武装していないだろ? 説得しに行くのさ。王子が二人で、イゼルアに、運河から手を引けって」


 満足げに、フランクが笑う。

 ロイは嘆息した。


「勝ちを確信するのはまだ早いと思うよ。君は大切な要素をひとつ見落としている」

「何だ」

「教える訳がない」


 ロイは船尾の方に視線を遣った。エルデ城市は既に見えなかったが、そこにいる妃へ思いを馳せる。

 ——きっと気付いてくれるはずだ。見えない『道』が在ることに。

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