第6話 暗闇の向こうへ
理論的に筋道を立てて考えれば、結論は出ていた。
問題は結論に見合う『もの』が見えにくかったことだ。
エルデグランツ城の書庫にある大きな本棚を順番にずらしていくと、その下から人一人が余裕で入れるほどの四角い穴が姿を現した。石の階段が、暗闇へ向かって下っている。
穴のふちに屈んでランプを下に掲げてみても、階段の先がどうなっているのかは見えなかった。
あると信じていたが、発見はもう少し難しいと思っていた。何しろあのロイでさえ見付けられなかった隠し通路だ。
天井に残る擦り傷が見えなかったことと、子供の力で本棚が動かなかったこと。この辺りが、少年ロイが秘密の通路探しを諦めた理由だろうか。成人してからもう一度挑んでいたら、発見できていただろう。
ランプを持ってきて正解だった。火を強め、意を決し、サフィルは闇に足を踏み入れる。
石段はしっかりしていた。天井は高く、側面も丁寧に固めてある。
埃が堆積していたが空気は僅かに動いていて、この先が袋小路ではなく抜けていることを示唆していた。
サフィルは臆せず降りていった。やがて道が平らになる。両手を広げてようやく左右の壁に触れる程度の狭い隧道は真っ直ぐ人工的に、ランプの光が届かないほど遠くまで続いている。
どこへ向かっているのか分からない。
だが少なくとも、城の外へは出られそうだ。
今でこそ城主も知らない秘密の通路だが、昔は普通に使われていたのかも知れない。
引き返す時の目安に、歩数を数えながら進む。
道は分岐していなかった。ただ真っ直ぐ、ひたむきに、何処とも知らない目的地へ伸びる一本道。それには在るべき意図があった。目的をもって存在していた。
道は続いている。
やがて、ただ前方の闇へ飲み込まれるだけだった光が、何かを照らし出した。
行き止まりだ。
自然にサフィルの足が速くなる。もう歩数を数えることもやめて、光を反射させる前方のなにかを目指す。
それは木製の扉だった。鉄の鋲がずらりと並び、見るからに重厚そうで——意外と新しい。
「どういうことだ……?」
扉の隅々まで光を当てて子細に調べ、ドアノブがないことに気付く。耳を付けて外の気配を伺ってみたが、何も聞こえなかった。
全力で押しても、体当たりしてみても、見た目通り頑丈な扉はびくともしない。押してだめなら引いてみるかと発想を転換してみたが、指をかける場所がなくて断念した。こちらから開けられる構造ではないらしい。
拳で強く叩き、誰かいないかと声を張る。扉の向こうの静寂は何も答えてくれない。
最後の手段だ。燃やそう。
サフィルがランプを扉に向けて投げつけるべく、腕を振り上げた時——
「お妃さま、お妃さま、暗くてさぞ恐ろしいでしょう、今お開けいたしますので少し下がってお待ち下さい」
聞き覚えのある声が、扉の向こうから聞こえてきた。
頑丈そうな鉄製の錠を開ける音が聞こえ、やがてゆっくりと扉が押し開かれた。
外の明るさに眼球の奥がずんと痛み、手をかざして光を遮る。
「ようこそ。お妃さま」
明るさに慣れてきた眼がようやく、逆光に浮かぶ、肩で切り揃えられた髪とゆったりしたローブの輪郭を見て取った。
「ベック司祭長……」
「気付くのに遅れてしまい、本当に失礼しました。さぞ怖い思いをなさったでしょうね」
「……いや」
サフィルはゆっくりと光の中に歩み出た。
沢山の蝋燭が燦然と、迫り来る夕闇を礼拝堂の外へ追い払っている。
労しげな笑みを浮かべる司祭長と、その背後で慌てて武器を仕舞うヒルデブラント分隊長ほか数名の兵士に、サフィルはゆったりと頷き返した。
これも、論理的に考えれば推測できた答えかも知れない。
エルデ城市で最も古い建造物エルデグランツ城から延びる地下通路は、二番目に古いエルデリガト教会へ行き着くと。
***
城と教会を結ぶ道は、有事に城主を逃がすために造られた。が、歴史上一度も使われたことがなく、ごく限られた者しかその存在を知らない伝説の遺物だった。
それを、先代城主が完全に忘れ去ることを決めた。理由は、眼の不自由な孫を城へ迎え入れることになったから。
城の大人達は過剰とも言える愛情でもって、危険な秘密を本棚の下に隠した。ただし完璧ではなかったため、ロイ少年はその痕跡を自力で発見してしまう。
もし書庫の閂も取り外されていたら、きっと地下通路は永遠に忘れられていただろう。
城の側で忘れられても、教会は扉の手入れを欠かさなかったという。
奥に城主一家を護っているのだから、簡単に突破されないよう堅牢でなければならない。
ただし、もしもの時にはきちんと開いて、闇の中から出してあげる必要がある。
「城主さまのことです。いくら隠したところで既にお気付きだろうとは思っていました」
ベック司祭長は穏やかに微笑みながら、何も分からないまま駆け抜けた道がどういうものだったのかをサフィルに教えてくれた。
「今朝早く、城主さまのみ街を出られたと聞きました。先日約束いたしました通り、道を開く時が来たのではないかと思っておりましたところ、地下から物音がすると」
司祭長が視線でアルス=ザレラの将校達を指す。
急に話の矛先が向いて、ティルダらは慌てて姿勢を正した。
たまたま礼拝堂で祈りを捧げていた市民が彼らを呼んだらしい。
不審な気配を恐れて軍人を呼んだことも、呼ばれて彼女らが駆け付けたことも、判断として何も間違っていない。
危うく妃に斬り掛かるところだったと恐縮しているが、脅かしてしまったのはサフィルの方だ。
「道……か。なるほど」
——時が来たら、妃に道を開くようにお願いするよ。
エルデ城市の、各方面の代表が一堂に会したあの日。ロイは確かに、司祭長にそうお願いした。
サフィルはその言葉を、宗教的な意味で解釈していた。まさかこんな、具体的な『道』だとは思ってもみなかった。
「私にできることは、ここまでです。お妃さまに主のご加護があらんことを」
「……ありがとう。私の希望を繋いだことを、あなたの神はきっと見ていてくれたことだろう」
合掌する司祭長に労いの言葉をかけ、息をひとつついて、サフィルはティルダの方を向く。
「ロイを追いたい。船は出せるか」
「では日の出と共に——」
「それでは遅い」
「お妃さま、今からでは航行困難な海域に差し掛かるのは深夜になります。我々の船で挑むのは無謀です。明るくなるのを待ちましょう」
分隊長は処罰も覚悟した必死の形相でサフィルの命に反対する。
サフィルは腕を拱いた。命の恩人の妃を目の前にして、彼らの肩から力が抜けることはなさそうだ。
「お前達の船に、灯台が読める船乗りは一人も乗っていないのか?」
「灯台?」
「海峡の船は別に勘に頼って操船している訳ではない。危険な浅瀬や岩礁とは別に、航路を示す導灯が建っている」
屈強な体躯の青年将校がぴしりと手を挙げて発言の許可を求めた。
サフィルが視線を向け、頷いて促す。と、目を合わせることは失礼にあたるのかサフィルの斜め上辺りを凝視したまま喋り始めた。
「自分は海軍に志願するまで父の船で働いておりました。暗い水路上に導灯を読む術は、幼い頃より父に叩き込まれております」
「頼もしいな。では君、私と共に水先人を務めてくれ。確かに大きな船だしこれから干潮で条件が悪いが、二人がかりで見ていれば安全に抜けられるだろう」
光栄だとばかりに顔を輝かせる青年に小さく頷く。
「危険だということは承知の上だ。が、できることだけをやっていたのでは、永遠に追いつけない。外洋しか知らない船と船乗りが、夜中に危険な海域を抜けて来るとは誰も思っていないはずだ。どうか連れて行って欲しい。——総帥閣下の元へ」
「総帥閣下の元へ!」
一斉に、軍人達は奮起した。
こういう演説は得意ではないが、どうやらうまくいったようだ。
サフィルは礼拝堂の最奥を見上げ、心の中で呟いた。
異郷の自分の言葉など届かないかも知れないが。
どうかロイは——この街にとって誰より大切な城主のことだけは、必ずお護り下さいと。
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