第3話 第六王子の目的

 フランクは相変わらずだった。


 ロイが脱落したアルス=ザレラの王族社会を、改めて理解できた。こんな親族が大勢いては、繊細なロイが人間不信になるのも頷ける。

 ましてロイは宮廷内に渦巻く何らかの陰謀で弟を亡くし、自身も重い後遺症を負った被害者。

 自分だけは誠実であろうと心掛け、『信じて』と度々繰り返すのは、騙し合いに心底うんざりしているからだ。


 海辺の城砦都市は、純粋な少年の心を癒した。青い海と賑やかな港町の方が、華やかだが寒くて乾いているアルス=ザレラの王都よりもロイの性に合っている。

 ロイはエルデの人、エルデはロイの故郷なのだと、サフィルは強く信じている。


 だがフランクと向き合う時、否応なく、ロイは王族の貌に戻った。


「ただいま帰った! 第二の我が家よ!」

「……やめてくれ」


 エルデグランツ城の玄関の間で一芝居打つのは、どうやらフランクの習慣らしい。

 訴えかけるべき城主は大階段の上ではなくすぐ横にいるのだが、構わず声を張る。ロイの苦言はフランクの大声か、それともここを我が家と呼んだことへか。


「相変わらず冷たいな、従兄弟よ! お前が困っているだろうと思って、会いに来てやったんだぞ。おい聞いているのか!?」

「見ての通り、聞いてない」


 ロイはわざとらしく両耳に突っ込んでいた人差し指をすぽんと抜いた。


「僕が喜ぶと思っているなら、大した度胸だ」

「度胸? まあそうだな。上の兄貴三人に親父も入れた四人を出し抜かないといけないんだ。肝っ魂は必要だよ」


 その四人を蹴落として、駆け上がった先にあるのは——アルス=ザレラの統治者の座。

 王位継承権四位が抱く野望はずいぶん大きい。


 もう隠す必要もないと開き直ったのか、フランクは正直だった。

 本当に欲しい自国の玉座には手が届きそうにないから、手っ取り早く隣国の王太子に手を出したのだと暗に自白している。

 運河の利益に、イゼルアの支配。南部大陸とフランクの利害関係は概ね一致している。


 使用人に応接間を使う指示を出すロイは、冷たく無表情だった。

 もちろん来訪を喜んではいないが、怒りをあらわにして追い出すこともしない。ロイのことだ、何か考えがあるのだろう。

 サフィルは黙って、大人しく主君に従う淑やかな妃のふりを続けた。もしものために、衛兵に剣の一本も借りておけば良かったと後悔しながら。


「言葉を慎んだ方が良いと思うよ。僕は国王陛下に忠誠を誓っているんだ」

「何だ。俺を脅すのか?」

「別に脅している訳じゃない。僕は軍に属していて、軍は国を護るために存在している。つまり僕はアルス=ザレラを護らなきゃいけない。危険を見逃せば、自分の立場が危うくなる」


 きっぱりとしたロイの宣言にも、フランクは笑みを崩さなかった。

 あまりにも不敵な表情にサフィルはほんの少し不安になる。はったりにしては堂々としすぎていて、まるで勝利を確信しているように見えた。


 アルス=ザレラはイゼルアと同盟を結び、運河を『現状維持する』ことを約束してくれた。

 力の差は歴然としている。祖国を裏切り南部に荷担したところで、何も得られない。


「そうカリカリするなよ。別に喧嘩を売りに来た訳じゃないんだぜ?」

「そうとしか思えないんだけどな」

「逆だよ逆。従兄弟同士、協力し合おうじゃないか」


 眼が悪いせいでいつも眉根を寄せているロイが、更に顔を顰めて本気で嫌そうな顔をした。

 サフィルには、何故だかそれが面白かった。



 ***



 夕食の支度が調うまで、暖かい応接間で時を過ごす。

 暖炉に火が入り、強い酒を少し落とした薫り高い茶が用意された。裏切り者の従兄弟の来訪をロイが喜んでいないのは態度から明らかだったが、それはそれとして客人はしっかりもてなす。

 フランクの方もそれを理解していて、我が物顔で寛いでいた。


「それで?」


 言葉のあちこちに釣り針が仕込まれていて、隠された互いの本音を引っ掛け合っているような、地味な緊張感をもたらす会話が続いていた。

 ふと訪れた僅かな静寂の後、ロイが遂に正面から切り込んだ。大腿に肘を置いて軽く前屈みに、従兄弟の方へ身を乗り出しながら。


「それで、って何だ」

「知ってるだろう。僕は社交的な付き合いが苦手だ。もう気が済んだろ? 宮廷ごっこは終わり。そろそろ本題に入ろう。何しに来た」


 真っ直ぐなロイの言葉に、フランクは余裕ある振りで片頬笑む。


「お前を誘いに来た」

「何?」

「西へ行こう。俺の船で一緒に」


 この答えはさすがのロイも想定外だったようだ。

 一瞬、今まで見たこともないほど呆気に取られた表情になる。


「……は?」

「は? じゃない。お前も知ってるだろう? 運河は現在とても危険な状態だ。ほぼ完全に通行が止まっている」

「もちろん知ってるよ。ここはアルス=ザレラ最西端の国際貿易港だ。我が国へ来る船が最初に通過し、出て行く船が最後に立ち寄る街なんだぞ。誰より近い場所で問題に当たっている」

「笑わせるな。近いったって自分の国の中じゃないか。お前は安全圏から何を言っているんだ? この期に及んでまだ、戦わない優しい参謀でいるつもりか?」


 さりげなくサフィルはロイの手に手を置いた。

 ロイが激高し判断を誤るとは思えないが、今までになく従兄弟の言葉に心を乱されているように見える。


 運河に重大な問題が発生している。

 だが相手は民間船。その上、運河の設備を巻き込む恐れがあるため武力行使は躊躇われる。

 運河を挟んだ南北大陸の力関係を元に戻したいアルス=ザレラ軍総帥にとって、頭の痛い状況だった。


 やはりフランクは、ロイが思っているほど愚かではない。

 時期も、手法も、適切に選んで仕掛けてきた。


「行こうぜ。ロイ。俺の船は軍所有の戦艦じゃないから軍事行動には当たらない。念のため武器も降ろした」

「僕が乗り込んでどうなる」

「話し合いをするんだよ。遠くから睨んでるだけじゃなくて、実際に顔を付き合わせてね。お前に足りないのは行動だ。総帥閣下が自ら動いたっていう、圧力だよ」

「運河の中で座り込みの抗議を行っている民間の商船にわざわざ僕が出向くと?」

「いや。相手は、運河に詰まってる船じゃない」


 ロイはもう片方の手を乗せて、サフィルの手を挟んで、ぎゅっと握った。

 何かを確かめるように。力強く、繋ぎ止めようとするかのように。


「君の目的は?」

「俺の?」

「君が言う通り僕がイゼルアに乗り込んでいって、運河を巡って利害関係が衝突している者らを仲裁するとして。確かにそれは平和的解決という意味で効果的かも知れない。けれど、それで君は何を得る?」


 運河の緊張緩和という目的だけで動くフランクではない。

 ロイの推測は、フランクは南大陸と手を組み、イゼルアから運河の権利を奪う手助けをして、何らかの見返りを求めているのではないかというものだった。

 サフィルも概ねそれが正解だと思っている。自分に言い寄ってきたのも運河の利権絡みで間違いないだろう。同時に、自分を飛び越えて出世した従兄弟へ嫌がらせもできる。


「俺の目的は……お前ならとっくに見抜いているんだろう?」

「キルスティン運河の南岸を南大陸に譲る」

「ちょっと違う。『譲る』んじゃなくて『返す』んだ」

「おかしなことを言うね。運河の南岸が南大陸だったことは、有史以前から一度もないのに」

「でも南側の岸は南大陸にあるんだぜ。この主張を聞いた時、俺は本気で驚いたね。なるほど言われてみればその通りだって」


 もはや、南との繋がりを隠そうともしていない。

 フランクは、北が大幅に譲歩する形での決着を手引きしようとしている。


「北大陸の船は南岸に、南の船は北岸に通航料を払う。な? どう考えたって平等だろ?」

「無理だよ。そんなやり方じゃ南北の均衡はすぐに崩れる」

「大丈夫だって。そのために俺がいるんだから」

「君が?」


 自信満々な従兄弟を、ロイは静かに睨む。


「……君は一体、何になろうとしているんだ」

「良い質問だ」


 フランクは答えず、不敵な笑みを浮かべただけだった。

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