第2話 二人でなら
ロイにとって、サフィルの存在は何より心強かった。
異なる視野を持つ者が傍にいて、より多くのことに気付かせてくれる。知らない感情へ導いてくれる。それが、どうしようもなく嬉しい。
他人と歩調を合わせるのが苦手だった。独りの方が気楽だし、それで寂しいと思ったことがない。どうして人が『夫婦』という社会形態を取りたがるのか分からず、生涯独身で気ままに生きていくつもりだった。
この婚姻は純粋に戦略のため。他人と寝起きを共にする生活に多少の興味はあったが、妃を迎えることに何らかの憧れを抱いていた、などということは一切ない。
あくまで総帥としての仕事の一環だった。
それなのに、サフィルとの生活がどうしようもなく心地良い。最初から、何故か全く邪魔にならなかった。むしろずっと傍にいて欲しいと思っている。
そして、これまでの自分では考えられない心の変化に、自分自身で驚いている。
少なくとも今までのロイなら、従兄弟を港へ迎えに行ってやろうなどとは思わなかった。
しかも、敵対していることをお互い承知した状態で。
「そう怖がるな」
潮風に弄ばれる髪を軽く手で押さえながら、妃がほんの少し優越感を頬に浮かべる。
ロイは肩をすくめて、何でもないとアピールしてみせた。
「別に怖くないよ。ただ色々考えているだけ」
「はいはい」
軽くあしらわれてしまった。時折サフィルは、ロイを子供扱いする。
別に腹立たしくはない。それどころか、不思議なことに少し楽しい。年長の従兄弟姉妹にからかわれるのは嫌で仕方なかったが、やはりサフィルは特別だった。
「君は平気?」
「顔を合わせることがか?」
前回フランクは時化の日に、王族の皆からの誕生日プレゼントを預かって来るという非常に入港を断りづらい口実を付けてやって来た。
そしてあれこれと南大陸についての噂話をし、こちらがどの程度知っているかを探っていた。
サフィルはその際、フランクにうっかり余計な情報を漏らしたかも知れないと酷く落ち込んでいたが。
「……怖いよ。私のせいで皆の努力をふいにしてしまったのだと思うと」
「何度も言うけど決してそんなことはないからね。状況は何も変わっていない」
「ありがとう。しかし、私が迂闊だったのは確かだ。だからこそあいつと向き合いたい。口を滑らせた上に、逃げるという不名誉まで重ねたくはない」
衝動的にサフィルを抱きしめたくなった。
強くて、健気で、どうしようもなく愛おしい。
エルデグランツ城の中だったら、そうしていたかも知れない。さすがに港は人目が多すぎる。
歴代城主の人柄か、十歳まで都で過ごしたロイも当代として快く受け入れてもらっていた。こうして港で船を待っているだけで、何故か周囲に人だかりができる。
特に最近はサフィルが人気だった。王に相応しく育てられているだけに、市民に応える些細な仕草や表情まで気品があり、洗練されている。城主の妃を一目見ようと、あっという間に人だかりができた。
今日は従兄弟を迎えに来ている。いつものようにお忍びではないため、城から随行してきた兵士やヒルデブラント分隊らが壁となって市民を退がらせていた。
桟橋の手前で二人、冷たい潮風を感じながら立っている。手を繋ぐくらいは許されるだろうかと、考えては諦めることを幾度か繰り返した。
「あいつの言うことに耳を貸してはいけないよ」
「分かっている」
既に、ロイの眼にもフランクの船がそれと識別できるまで近付いている。
従兄弟の船は良く目立つ。
「……ロイ。あの船の目的地が分かったぞ」
「え?」
「喫水が浅い。外洋船なりにリンツ岬対策をしてきたようだ」
サフィルの言葉は簡潔で、船舶や航海に造詣の深い者のそれだった。理解できる程度の学があって良かったと、ロイは安堵した。
ここから西へ進むと、南大陸が迫ってくる。南北海峡だ。特にリンツ岬と呼ばれる辺りは水深が浅く、流れは急で渦を巻き、小島や岩礁に航路を阻まれる。
北部大陸が好んで造る大きくて重い帆船では、慣れていなければ座礁する恐れがあった。
喫水が浅い。すなわち双頭の黄鷹は極限まで荷を減らし、船体を軽くしている。海峡の底に引っかからないように。
岬を越えた先に運河がある。
そこから先へは現在、行くことができない。つまり目的地は運河の手前——イゼルアの首都。
「……君に訊くまでもないことだけど、船の備品で重たいものって何だか知ってる?」
「砲身と、砲弾と、それから兵士かな」
「そうだね。恐らくフランクの船は武装していない」
つまり、これから海峡を抜けて西へ向かう理由は『戦い』ではない。
ロイは目を眇めてフランクの船を睨んだ。
王族の旗を掲げている限り、こちらから攻撃することはできない。国家への叛逆になる。
同盟国であるイゼルアも同じ。否、むしろ条件が更に悪い。アルス=ザレラへの敵対行為が認められれば、サフィルが捕虜に落とされてしまうだろう。
北岸から攻撃される心配はなく、南岸は味方。なるほど両舷に砲門を構える必要などない。
武装を解除し船を軽くしても問題ない訳だ。
王族の立場を利用したまま、敵の側についている。
思っていた以上に、フランクは厄介だ。
「もう隠すつもりは毛頭ないって感じだなあ」
「その必要もないのだろう」
ちらりと横を見遣れば、サフィルはこれまで見たこともないほど険しい貌をしていた。
明確に敵と認定された人物が祖国へ向かおうとしているのだ。無理もない。
これまでずっと、フランクが来たらなるべく早く追い返してきた。
だが今回は状況が違う。出来る限り滞在を引き延ばし、出航させないようにしなくてはならない。
ロイにとって頭の痛い問題だった。あいつを引き留める? 冗談じゃない。
「もし前と同じように、こっちが気付いているか反応を伺っているだけなら、放置しておこう。今回は逆に脅してくる可能性の方が高いと思う。今現在、運河を巡る情勢は最悪の一歩手前の状況なんだし」
「そうだな。私達は運河の危機を回避するために結婚したんだ。なのに何もせず傍観しているのはおかしい」
「うん。必ずそこを突いて来る」
王族の旗を掲げた帆船が、いよいよエルデの港に入った。
言われてみれば確かにいつもより浮かんでいる。甲板がかなり高い位置にあった。
船員と港の働き手が総出で船の係留作業をする。
タラップがかけられ、従兄弟が姿を現した。
「ロイ! 迎えに来てくれたのか!」
おおらかに駆け寄ってくる従兄弟に、ロイは軽く目眩を覚えた。
あまりにも、今まで通りすぎる。
南に情報を流していた、何なら騒動の中心付近にいる可能性さえある男が、こうも普通ににこやかに親戚のふりをする。何という面の皮の厚さだろうか。
いや驚くには値しない。これが正しいアルス=ザレラの王族だ。
フランクはその血を濃く受け継いでいる。大柄な体格や金褐色の髪の色に留まらず、駆け引きの巧さまで。
自分はそこから脱落したのだ。こんな風に笑顔で会話しながら影で攻撃し合う関係にうんざりして。
「会いたかったよロイ! 運河の危機と聞いて駆け付けずにはいられなかった」
「来なくて良いよ。何の役にも立たない」
「まあまあ。気心の知れた従兄弟が傍にいると心強いだろう」
肩が抜けるかと思うほど、握手した腕を上下に激しく振られた。
客観的に見てその笑顔は朗らかで、人懐こい。内情を知らず騙された人間は多いだろう。もしかしたら南部諸国のいずれかの王も。
「お久しぶりです。相変わらずお美しい。わざわざお出迎えいただき光栄です。先日の無礼はどうかお許し下さいね——ザフィル」
フランクは片膝をつき、うんざりした貌のサフィルの手を取って恭しく甲に接吻けている。
アルス=ザレラの標準語を滑らかに話す、生粋の内陸人である従兄弟は、この期に及んでまだサフィルの名前を正しく言えずにいた。
城主と妃の神経を逆撫でするため意図的にやっているのではないか。そう疑ってしまいたくなるほど、あからさまに不快な発音だった。
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