第4話 エルデ首脳会議

「サフィル。今日はこれから来客があるんだけど、良いかな」


 朝食の後、ロイがそう切り出した。


 エルデ城市の若き城主は、華やかで社交的な王侯貴族らしい生活を苦手としている。

 だが、人付き合いを完璧に避けているという訳でもなかった。従兄弟のフランクは別としても、それなりにエルデグランツ城を訪れる者はある。

 それも、ロイの『城主』もしくは『総帥』という肩書きに釣り合う者ばかり。


 今まで一度も、客が来ることについて相談されたことがないサフィルは、ロイの『良いかな』が何を求めているのか分からず答えに詰まった。


「ああ……ええと、城主の部屋を使うということか?」

「君に同席して欲しいんだ。大切な作戦会議だから」


 さらりと、事もなげに付け加えられた言葉に、サフィルは思わず息を呑む。


 季節だけが進んでいるような錯覚を受けていた。風は冷たくなり、山は赤く燃え、食卓に供されるものも変わった。

 だが自分自身は昔のままのつもりでいた。

 確かに、妃として城主の寵愛を受けるというかたちの幸せを理解できるようにはなったが、いつか終わる関係だということは肝に銘じている。せめて今だけはと心のまま、刹那の幸福を謳歌しているだけ。


 忘れてなどいないつもりだったが、改めて現実を突きつけられて身が竦む。

 祖国を脅かす刃は、今なお収められていない。


「……だったら余計に私は邪魔なのでは」

「君がいてくれないと困る。イゼルアの代表としてね」


 恐らくロイはその言葉を何の他意もなく用いたのだろう。

 だが今のサフィルには、ささやかな痛みを伴った。己がいかに無力な、ただの『飾り』でしかない空っぽな存在だったかを、自覚してしまった後だ。

 祖国の代表として、何もできる気がしない。


「我が国のことなら、私よりお前の方が分かっているだろう」

「まさか」


 口角を上げて柔らかく微笑むロイの表情は、策士のそれだった。

 何を考えているのか、読めない。

 ここまでの高度な駆け引きを必要とせず、王太子としてちやほやされているだけだった自分が不甲斐ない。ロイは常に否定してくれるがやはり、サフィルは愚かで世間知らずだった。


「何も発言できないが、お前の横で頷いているだけでも良いなら」

「うーん、じゃあ、君に発言を求めないようにする。だから僕の横にいて」


 戦略会議の場で不用意な発言をして、自分ではなく主君であるロイに恥をかかせてしまうのではないかと心配だったが、こんな風にお願いされれば嫌とは言えない。


「……仕方がないな」

「ありがとうサフィル」


 ロイが本当に嬉しそうなのが、せめてもの救いだった。

 孤独を受け入れている変わり者の城主も、もしかしたら妃を持つこと、公の場に妃を伴うことに無意識に憧れを抱いていたのかも知れない。



 ***



 会議室もまた、舞踏会のための大広間や豪華な応接間と同じくらい使われない部屋だった。

 火が点っているところを、サフィルは初めて見た。

 地下にあるため当然、窓はひとつもない。回廊へ繋がる階段の上の鉄格子と部屋の扉を閉め、暖炉に火を入れて煙突を煙で塞げば、外の世界からは完全に切り離された。


「ずいぶんと用心をなさいますね。それほど重要な会議なのですか?」


 客人の一人、比較的若い男が緩やかに会議室を見渡しながら問う。

 肩で切り揃えた髪と鼠色のローブから、僧侶であると分かる。


「たまには趣向を変えてね。使わないと勿体ないし」


 ロイの口調は軽く、表情もどこか冷たい。絶対に嘘をつかないと約束してくれた誠実な主君とは違う。

 これが城主としての、もうひとつの顔なのだろうか。


「何か起きているのは確かなようですが……」


 客人の二人目、最も年配の男が渋面になる。

 この男は平民だった。一張羅を着ていてもそれと分かる、労働者あがりだ。


「まあまあ市議長。今から青い顔すること無いがや。坊んの話を聞いてから慌てれば良いだに」


 言葉に僅かな訛りのある三人目は、船乗りだ。運河の国の王子サフィルは人を二種類に——船乗りか、そうではないかに瞬時に区別する能力を持っていた。恰幅の良い体格で貴族のように綺麗な格好をしているが、間違いない。恐らく大規模な商船の船長だろう。


 そしてもう一人。黙ってきょろきょろしている挙動不審な最後の一人とは、既に面識がある。

 エルデの港を護る武装帆船の軍人ティルダ・フランツィスカ・ヒルデブラント。

 城主とその妃を除けば、場違いなほど若い。


 つまり町と、教会と、商人と、軍の代表が、城主の元へ集まっていた。


「まあ適当に座って。——妃のことは、もう知っているね。一応紹介しておくよ。サフィルだ。サフィル、左から順にエルデリガト教会のベック司祭長、エルデ城市の首長ツァイラー市議長、それから商人ギルドのハドリー代表だ。ヒルデブラント分隊長のことはもう知っているね」


 ロイの紹介を受けて行儀良く礼をすれば、四名はそれぞれに自分達らしい挨拶をしてくれた。

 僧侶は祈りを捧げ。政治家は畏まり。商人は愛想笑いをし。軍人は敬礼をする。


「さて……ハドリーさんが僕の話を聞こうと言ってくれたけど、実は僕から言うことはほとんどなくてね。逆に、聞かせて欲しいんだ。どうも最近、辺りの様子がおかしい気がする」


 城主は大胆にとぼけてみせた。

 何が起きているのか、最も良く事情を知っているのに、何も知らないふりで情報を募る。

 纏まりなくあちこちの椅子に掛けた四人のうち、ツァイラー市議長と紹介された年配の男がこほんと咳払いをして発言の意思表示をした。


「港の様子は変わりません。船も、普段と変わらず出入りしています。確かに最近、沖に船籍不明の不審船を多く見かけるようにはなりました」


 市議長は視線で話を女性分隊長に振った。

 緊張した面持ちでティルダが頷く。


「我々で監視していますが、今のところ海賊行為を働く様子はありません。ただ浮かんでいるだけです」

「幽霊船ではないんだね?」

「えっ? ……はい」


 城主のジョークを軍人は笑わなかった。そんな余裕はないらしい。


「商いの方は今まで通り……と言いたいんだども、相場の方はまあまあ激しゅう動いとるでよ」

「それは興味深いな」


 商人の緩い言葉にそれとなく城主が食いつく姿勢を見せた。

 ロイが釣れたことに、ハドリー代表は嬉しそうに前のめりになる。どうやらそれが、彼から情報を引き出す有効な手段らしい。

 ロイも顔を近付け、秘密の話を聞く素振りをすれば、商人は嬉々として喋り始めた。


「最近、南大陸から来る荷の一部がどえろう高騰しとるんだわ。逆に銀の値下がりは止まれせん。こりゃ間違いないわ、誰かが裏で操っとるで。この道四十年のわしのカンちゅう奴だに」

「誰かがって誰だろう」

「そこまでは分からんわなあ。わしは商売人だで、銭勘定しかできんもんでよ」

「……そっか。気にしておくよ」


 会話をロイが引き取ると、自然に、皆の視線がまだ発言していない司祭長に集まった。


「私の立場から申し上げますことは……そうですね……市に不安が広まっているようです。何に恐れを抱いているのか分からないまま、エルデリガトに足を運ぶ市民が増えています」

「うん、やっぱり怖いだろうね。海賊に船が襲われたり、不審船が増えたり、ものの値段が急に上がったり下がったりしたら」

「知らざることは恐怖です。どれほど恐ろしい相手であれ、知ることで光が差します。……何かご存じなのでしたら、どうか我々にもお教え下さい。我々は今、何と向き合っているのですか」


 核心を突く問いだった。

 ここに集まった皆、それぞれの立場において漠然と『何かおかしい』という不安を抱いている。

 その答えを、城主の口から聞きたがっている。


 ロイはうーんと唸り、椅子の背もたれに身を委ねた。

 そして、言葉に凄味を与えるのに必要なだけの間をじゅうぶん取ってから、ゆっくりと口を開く。


「まだ秘密にしておいて欲しいんだけど……南北の大陸は、戦争状態に入った」

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