第4話 従兄弟同士は騙し合う

 エルデグランツ城の応接間は、滅多に使われない。

 維持されていて良かったとサフィルは思う。ロイがもっと徹底した合理主義者だったら、無駄を省くため全て片付けていたかも知れない。


 複雑な幼少期を過ごした繊細な青年は、どこか大人になりきれない部分を残している。

 人付き合いが嫌いなのに豪奢な応接間を昔のまま留めているのは、恐らくここに祖父母との思い出が染み着いているからだ。

 明らかにロイの好みではない、少し時代遅れな家具や調度品、あちこちに飾られたお洒落な小物の数々。それらを排除すると楽しかった日々まで捨て去ってしまうようで、できなかったのだろう。


 この城に住み始めたばかりの頃、サフィルは、エルデグランツ城の華美な装飾や調度品がロイに似つかわしくないと感じた。

 だが今は逆に彼らしいと思っている。

 論理だけで片付けず、感情的な部分を大切にしている。矛盾しそうな頭と心にうまく折り合いを付けて、全てを救おうとする優しい策士が成り立っている。


「懐かしいな」


 重厚な扉を開いたロイはほんの少し寂しそうに微笑む。

 今宵、応接間の暖炉に久々に薪がくべられ、火が点された。鉄の荘厳なシャンデリアにも蝋燭が並んでいる。

 かつての輝きを取り戻した応接間に、ほろ苦い思い出が蘇ったようだ。その視線はマントルピースの上に掲げられた先代城主夫妻、つまりロイの祖父母の肖像画へ向いている。


 穏やかな表情で並ぶ二人の姿は、部屋に火が点った状態を想定して描かれている。昼間は青白く見えた顔色も、暖かな炎の色に染まった部屋では機嫌良さそうだった。

 何もかもが輝いていた。真鍮の燭台も、臙脂色のビロードに黄金色のコードでパイピングを施したソファも、良く磨かれ飴色の艶を纏うテーブルも。


 上等な酒と、手の込んだつまみを乗せたカートが用意されていた。

 使用人達はどうしても城主の誕生日を祝いたいらしい。祝われる本人が嫌がるのでさりげなく。


「どうぞ、サフィル。座って」

「良いのか? 私がいても」

「もちろん」


 城主が珍しく城の応接間に火を入れさせたのは、従兄弟と向き合う時間を設け、腹を探るためだと分かっている。

 サフィルが口を挟む余地などない駆け引きが始まるのだと思えば、名ばかりの妃は主君の傍にいて良いのか分からない。

 余計なことを言ってしまうのではないかと不安だったが、ロイが手を引いてエスコートしてくれるので仕方なく並んでソファに座る。


 すぐにフランクもやってきた。

 勝手知ったる様子で二人と向かい合う椅子に腰を下ろし、堂々とオットマンに脚を上げた。ここが自宅と言わんばかりに遠慮がない。

 この男に遠慮を求めるだけ無駄かと、自分の疑問に自分で答えを出してサフィルは軽く肩をすくめる。


 表向き、従兄弟同士の利害関係が最も対立しているのはサフィルの存在だった。

 下手に気を引くようなことをすればフランクは空気を読まずに歯の浮くような口説き文句を並べ立てるだろうし、そのことで余計にロイの機嫌を悪くしてしまう。

 ここは気配を消し、応接間の調度品に徹するしかない。 


「はぁ……この城は落ち着くぜ」

「落ち着かないで、さっさと帰れよ。天気は回復しただろ」

「まあまあ。寂しかったんじゃないのか? 俺がいた方が楽しいだろう?」

「全然」

「俺はお前と王都の架け橋になっている今の状況が嫌いじゃないぜ。うちの親族はどいつもこいつも日記みたいな手紙を書くのが大好きだけどさ、そういうのって良いことしか書かないだろ? 知ってるかヴァル兄貴が馬鹿な勘違いした話」


 暖炉の中で、弱めに起こした火が爆ぜる。

 フランクは蒸留酒を舐めながら。ロイは書庫で見付けた山岳地帯の本を持ち込み、膝の上で見るともなくめくりながら。会話は核心を避けてゆるゆると交わされる。

 アルス=ザレラの王族の話題、それもわざわざ手紙に書かない小さな失態など、ロイは心底から興味がなさそうだった。


「なあロイ。一度、都へ帰ろうぜ」

「……嫌だよ」

「顔を見せてやれよ。叔父貴も叔母さんも寂しがってたぞ」

「母さんが僕の顔を見たいなんて言うはずがない」


 黙って気配を消していたサフィルは、小さく息を呑む。

 普段ロイは、両親も祖父母も悪く言わない。特に母親のことは慕っているようにさえ感じられる。

 母親が息子を——それも重篤な病を克服した息子を拒絶するはずないのに。


「……やれやれ。戦略上とは言え結婚したんだから、お前も少し丸くなったかと思えば」


 オットマンから脚を降ろし、手を大腿に置いて、軽く前傾して顔を近付けて来る。


「まあいい。心のない総帥閣下なら、何が最良の策か分かるよな。そろそろ俺を作戦に加える気になったか?」

「君には重大な欠点があるから無理だ」

「むしろ都合が良いだろ。俺の方がザフィルを愛している」


 唐突に話題にされ戸惑いつつ、動揺は表に出さない。

 この作戦は逆に愛がある方が成功しない。偽装なのだから感情の繋がりは不要。ロイもサフィルも最初からそう割り切って、仲の良い夫婦を演じている。

 心がない訳ではない。敢えてそうしているだけなのに。


 フランクは頭を抱えるような仕草で金褐色の髪に両手を通した。


「なあロイ。南はだいぶ強気だぞ。普通に考えたらアルス=ザレラを敵に回そうなんて思わないはずだ。このままじゃ失敗する。ザフィルの相手は俺に任せて、お前は軍の仕事をしろ」

「どういう了見だ。大体こっちが北岸を固めたのは別件だよ」

「南大陸の船なんだろ? 敵対行為じゃないか」

「騙されて定期船を襲ったんだから、言ってみればどちらも被害者だ」


 優しすぎる軍総帥の理論は、鷹の紋章を授けられた王子の意に沿わないらしい。


「悪いのは海賊をそそのかした奴らってことか。で、その嘘の出所はどこだ」

「根も葉もない噂の特定なんてとっくに諦めてるよ」

「そして港を新造戦艦で護ると」

「仕方がない。噂の出所が掴めない以上。イゼルアとアルス=ザレラの結びつきを強めようとしている今、風評のせいで海洋交通が萎縮してしまっては困るからね」


 ロイの態度と声音は気怠げだった。

 本当は、ただの『根も葉もない噂』だとは思っていないくせに。あれが南大陸の差し金であると確信し、各港に最速の武装帆船を置かせたくせに。

 どういう意図でフランクを誘導しているのか分からず、サフィルは黙っていた。


「南大陸には運河のこっち側にまともな軍港がない。北がずらっと戦艦を並べりゃ、普通に怖いと思うぜ。俺はお前のいつもの優しいやり方が好きじゃないけど、今回は真逆すぎて、それはそれで理解できない」

「頼んだのは連絡を取り合うための速い船で、敵を撃退させる強い船とは言ってない」

「速い船を呼べば最新鋭の強い船が来るのは当たり前だろう。今後どう向き合うつもりなんだ? これだけ睨みをきかせておいて、海賊の警備であって攻撃の意図はありませんで通すつもりか?」


 一瞬の間があった。

 ふ、と小さくロイが息をつき、眼鏡を直しながら顔を上げて従兄弟を見据える。


「その通りだから仕方がないね」

「……やれやれ。相変わらず汚いな。お前のやり口」

「そうかな。安全にやってるだけだけど」


 フランクは前傾していた体躯を背もたれに戻した。どうやら議論を続けることを諦めたようだ。

 それからは当たり障りのない会話が続く。度々サフィルはフランクに口説かれたし、その都度フランクはロイに邪険にあしらわれていた。

 娯しみの範囲内で多少やり合いながら、ゆっくりと時間を過ごす。


「本当にもう王都に帰らないつもりなのか?」


 眠くなったので客間へ行く、と言って立ち上がったフランクが、最後にもう一度踏み込んだ。

 ロイは静かに頷く。


「父さんに言っといてくれないかな。僕がそっちへ行くことがあるとしたら、証言台に立つ時だけだって」


 帰る場所ではなく『行く』という表現。そしてもうひとつ、両親との、サフィルの知らない確執めいた何か。

 ロイの言葉は遠かった。いつもの彼とは違うアルス=ザレラ王甥にして軍総帥の、それだった。

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