第3話 エルデグランツ城の秘密
誕生日の贈り物は二つに分けられた。ロイの気に入ったものと、そうでもないもの。
気に入ったものは自ら子供部屋に運び、それ以外は倉庫に片付けておくよう使用人に命じる。木箱を運び出し麦藁を掃いてようやく、玄関の間が日常の静寂を取り戻す。
すっかり日が傾き、夕刻に近付いていた。
全てが片付いた後、ロイはサフィルを西翼の書庫へ誘った。
城へ来てすぐ案内してもらって以降、足を踏み入れていない。持参した本も読み尽くし、いつか入れてもらおうと思っていた矢先だったので、サフィルは興味津々でロイに付いて行く。
子供部屋の麓、そこは膨大な知識が眠る場所。吹き抜けの空間はびっしりと本で埋め尽くされている。
「エルデグランツ城には幾つか不思議なものがあるんだ」
「不思議なもの? 怪談話とか?」
「怪談……。そう言えば祖母は幽霊を見たことがあると言っていたね。論理的に説明できないという意味では、それも仲間かな」
肯定されるとは思っていなかったサフィルは微笑んだ。
やはりロイも、夜にベッドを抜け出さないよう怖い話を聞かされたようだ。
「でも書庫の不思議は、もう少しはっきりしている」
背後でがちゃりと物騒な音が聞こえ、驚いて肩が跳ねる。
振り向いてロイを見ると、鉄製の頑丈そうな閂を掛け終えたところだった。
「何故か、内側にこんな立派な閂がある。一番古い漆喰が塗られる前、つまり築城時に付けられたものだ」
「それは確かに妙だな。中に誰か住んでいるならともかく」
「君はどう思う? 何のためにあるんだろう。うるさい従兄弟を締め出す以外に」
子供っぽい、やんちゃな表情で、ロイがにんまりと笑う。
サフィルは腕を拱き、軽く首を傾げた。
「そうだな……。古城の地上一階にある、全ての壁を本棚で塞いだ部屋となると、可能性としては抜け道かな」
「うん。それは僕も考えた。城に住み始めてからしばらく、秘密の通路探しに夢中だったよ」
ゆっくりと書庫を歩きながら、ロイは当時の話をしてくれた。
隠し扉を探して、全ての本棚を押したり引いたりして回ったこと。
床下に空気の流れがないか蝋燭を使って調べていて、うっかり敷物を焦がしてしまい、祖父にこっぴどく叱られたこと。
眼を悪くしたばかりで足下がおぼつかず、良く梯子から落ちたので、踏み板の幅の広いものに取り替えてもらったこと。
駆除されるネズミが可哀想だとべそをかいたこと。
ロイの子供時代の思い出話は、何故かとても優しい。
弟を喪い、視力を患い、両親と引き離され。立て続けに悲しい思いをした僅か十歳の少年の物語なのに。
不思議が詰まった古いお城と、優しい祖父母と、港町の気候風土が、繊細な少年の傷付いた心をそっと癒してくれたのかも知れない。
「結局、隠し通路はなかった。何のための閂か、不明なままだよ」
「まだ見つかっていないだけで、無いと決まった訳ではないんだろう?」
「それは……確かに」
真顔でこくりと、ロイが深く頷く。
「……参った。とっくに諦めたのに、また探したくなってきた」
「解けない謎があると、飽きが来なくて良い」
「ちょっと意外だな。君はこういう、何て言うかな、子供っぽいものは嫌いだろうと思っていた」
サフィルは少し考えてから、緩く頭を左右に振った。
嫌いではない。ただ知らないだけ。
本当に小さな頃から、王として必要なもののみを叩き込まれてきた。
イゼルアの王城にも探せば秘密や不思議はあるのだろうが、興味を持つことを許して貰えなかった。常に国家にとって理想の王太子であることを求められた。
そしていつの間にか、嵌められた型枠にぴったり収まることこそ己の目指すべき道と思い込んでいた。王太子に求められていない全てを置きざりにして。
城を探検したこともなければ。
誰かを愛することさえできない。
「自分がどれほどつまらない人間だったか、ここで暮らすようになって良く分かった」
「君に必要なのは善き王になることだからね。客観的に見たら、つまらない生き方かも知れない。でも君のそのつまらない人生は、イゼルアという国にとって何より重要なんだ」
自覚はあった。
常に言われていたことだ。国王は国の頂点ではない。最底辺だ。一番下で国を支えるために存在していると。
だから理想の王になるべく、己を捨てた。
そのつまらない人生がサフィルの全てだった。他の生き方を知らなかったから、我慢できた。
「……ロイ」
「うん?」
「私は王になる運命に束縛されていることに、初めて祖国を離れて暮らして、ようやく気付いた。……気付いた上でまたつまらない人生に戻らなければならないのは、酷だな」
空っぽの王太子に束の間の自由を与えた隣国の王子は、鼻の上の眼鏡を直しながら、ほんの少し寂しそうに微笑んだ。
「僕もそう思うよ。君のいない平和とは一体何だろうって」
この戦いの最終段階は、サフィルがイゼルアの王となり、運河を護る大国の後ろ盾を盤石なものにすること。
ロイの策が全てうまく回った時、エルデ城市の城主の傍に妃はいない。
「……ただ僕には、運河の安寧を捨てて君個人を選ぶことができない」
「分かっている」
お互い、感情を優先できない立場にある。
いつかロイは言った。諦めるしかない、と。
サフィルはロイに近付き、そっと肩に頭をもたげた。
優しい腕にゆるりと抱き寄せられる。花の香は、恐らくロイを守るパウリナの精油。麦藁の、太陽の匂いはもうしない。
ロイがフランクに言い放った言葉が、今もサフィルの胸に刺さったまま甘く疼いている。
ようやく理解した。自分は今、恋をしているのだと。
こうして触れ合っていると、とても幸せなのに、どうしようもなく苦しい。
心が求めて仕方がない相手と、いずれ離れなくてはならない。サフィルの運命は既に決まっている。
苦笑するしかなかった。本当に、つまらない人生だ。
「言うべきか黙っておくべきか、迷ったんだが」
サフィルはほんの少し身を離し、背に腕を回されたままの近い距離でロイを見上げ、思わせぶりに声を落とした。
「何?」
「いつの間にか、私が使わせてもらっているベッドに、枕が増えている」
「……はっ?」
ロイが目を見開いた。
多少焦っている表情を見る限り、意味はすぐに理解できたようだ。
「え……っと、それは……気にしなくても良いから。部屋係が何か勘違いしたんだろう」
「お前のことを心配しているんだと思う」
「心配?」
「いつまでも子供部屋に閉じこもって考え事ばかりして、朝も起きて来ない。熱病が心配だから放っておくこともできないし」
「ああ、そっちか……。大丈夫だよ、あれからちゃんと意識して早く寝るようにしている」
そっちか、の口ぶりがおかしかった。
どっちを想定していたのか追求してみたかったが、意地悪が過ぎるような気がしてやめておいた。
お互い子供ではない。サフィルも承知していた。床を共にする妃の役割は、城主を起こすだけではないと。
ちゅ、と軽く音を立てて、ロイがキスをしてくれた。
「あまり親密になりすぎると、精神的に、作戦の遂行が困難になる。僕達には我慢が必要だ」
「分かっている。安心しろイゼルアは開かれた国だ。いつでも会いに来れば良い」
「僕にも守るべき城があるからなあ……」
もう一度、今度はもう少し深く、唇を重ね。
遠くフランクが二人を探し回っている声が聞こえて苦笑し合う。
「……急いで追い返さないと」
「良いのか? 邪険に扱っても」
「構わないよ。あいつの自業自得だ」
「分かった。それで、何を探しに来たんだったかな」
「ベルガ族に関する本。あの変な道具について、載ってるのを見たことがあるんだ」
書庫が夕闇に包まれるまで、山岳地帯の少数民族に関する文献探しに没頭する。
そしてロイがひときわ気に入った木製の道具が、伝統的な茶器であることが判明した。
不思議なことに、こういう何気ない作業をしている時間すら、サフィルにはとても楽しく、いとおしかった。
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