第2話 人生最高の贈り物

 ロイの誕生日を祝いに来たというフランクの言葉に嘘はないようだった。

 朝食が済んで一息ついた頃、双頭の黄鷹旗を掲げる帆船からエルデグランツ城へ続々と荷物が届き始める。

 フランクの船の船員もいれば、港の下働きもいる。ヒルデブラント小隊の兵もいた。とにかく手分けをして、昨夜の嵐で降ろせなかった荷を城へ運び込む。


 そうしていつの間にか、玄関の間は木箱や革のトランクで足の踏み場もないほどになっていた。


「毎年こうなのか?」

「うーん。今年は特別多い気がする。結婚祝いも兼ねてるのかな」


 庭の管理をしている使用人が工具を手に、片っ端から木箱の釘を抜いていく。

 ロイは自ら麦藁をかき分けて、中身を確かめ始めた。

 何でも他人任せにできないロイの性分は理解している。面倒な木箱の開封作業のみ任せ、あとは自分でやりたがる。ただし片付けまでは気が回らず、散らかし放題。

 サフィルは何となくロイの傍で、その作業を眺める。時折見せるこういう子供っぽさが、興味深い。


 玄関の間に積み上がっていく贈り物。

 瀟洒な日用品から邪魔そうな鑑賞物まで、多種多様。


「お前は大切にされているんだな」

「うん?」


 一度説明されただけでは把握できないくらい遠い親戚から贈られたガラスの酒器をつまみ上げ、玄関の間に差し込む日差しにかざして眺めながら、サフィルは苦笑する。

 木箱に頭を突っ込んでいたロイがむくりと顔を上げ、前髪に麦藁をたくさん付けたまま、いつも以上に顔を顰めてみせた。


「僕はこういう根回しが嫌いだ」

「分かっている。ぶれないな、お前のそういう所」

「みんな別に仲が良いからやってる訳じゃない。こっちから何も贈らないのに贈ってよこすってことは、つまり政治の一環だ」


 ロイの誕生日を祝いたい訳ではなく、王弟殿下の長男に覚えてもらうのが目的。

 あの国においては珍しい、序列を飛び越えて出世した人物だけに、王族とは名ばかりの下流の傍系がここぞとばかり擦り寄る。

 軍の中枢で活躍しながら地方都市を一歩も出ない総帥閣下を、恐らく彼らは偏屈な厭世主義者と思っているだろう。ただ気に入られれば便宜が得られるかもと、せっせと贈り物をする。何の返事も戻って来ないのに。


「僕のことは放っておいて欲しいんだけどなあ」

「お前が国を放っておかないから、向こうも手放したりしないだろう」

「こんな風に媚びなくたって、助けを求められたら、僕は出来る限り尽力するよ」


 確かにイゼルアは、隣国の地方都市の城主へ誕生日の贈り物をしたことがない。

 それでもロイは、救いを求めて伸ばした手をしっかり掴んでくれた。

 そして、何の見返りも求めずに、全力で運河を護ろうとしてくれている。


「ふむ。これは面白い」


 呟きつつロイが引っ張り出したものが、すぐには分からなかった。

 この辺りでは見られない特徴的な色合いの厚い布に包まれた、木製の道具。どう使うものなのか見当もつかないが、ロイの表情を見る限り気に入ったようだ。


「なあロイ」

「うん? 何か欲しいものがあったら持って行って良いよ」

「いや、そうではなく。お前の誕生日を祝ってやりたいのだが、知っての通り今の私はできることが限られている。何か、私にできることでお前のして欲しいことはあるだろうか」


 何に使うのか分からない木製の道具をあれこれ弄っていたロイが固まった。

 くしゃくしゃの髪に藁くずを付けたまま、真剣にサフィルの方を凝視している。


 玄関の間を埋め尽くす贈り物の間を縫って、サフィルはロイに近付き、前髪を払ってやった。

 他人に触れられることが苦手だというロイも、サフィルの手は嫌がらない。


「君は、僕の傍にいてくれたらそれで良いよ」

「いつもそうしているだろう?」

「それが本当に、僕の人生においてかけがえのない贈り物なんだ」


 ずっと続くものではないと分かっているからこそ、貴重な時間。

 運河の緊張緩和という、合理的なきっかけで始まった戦略上の結婚生活を、ロイは思いのほか大切にしてくれている。

 そしてそれは、サフィルにとっても同じだけの価値を持っている。


 大人しく目を閉じて、前髪に絡まる麦藁を取ってもらっているロイが、微妙に可愛かった。

 暖かく、それでいて胸が痛くなるような、ロイに対する好感の意味がサフィルには分からない。

 可愛らしい。頼もしい。面白い。興味深い。時に恐ろしくさえある強さも、時に支えたくなる弱さも。

 全てまとめて——好ましい。


「私がここにいるのはお前の手柄だ。私は何もしていない」

「そんなことはないよ。イゼルアの王太子が君じゃなかったら、こんな風に二人でいる楽しさを感じることはできなかったと思う」


 ロイは少々気むずかしくて、心の内側に人を入れるのが苦手だった。

 それが、どういう訳かサフィルのことは気に入ってくれた。

 こうして度々、サフィルの内面を認める言葉をかけてくれる。


「君と過ごした時間は僕の人生において最高の宝物になるだろうね」


 穏やかで静かな声は、不意に聞こえた耳障りな音にかき消されて良く聞き取れなかった。


 落とし格子を巻き上げる僅かな振動が、玄関の間に伝わって来る。

 贈り物の搬入はまだ終わっていなかったらしい。


 扉が開く前に立ち上がった。ロイは気にせず、木箱の前にしゃがんで中身を漁っている。せっかく払ってやったのに、前髪にまた新しい麦藁を付けながら。


「よーしご苦労! その辺りに置いてくれ! ああ気をつけてくれよ、貴重なものなんだから。お前達が一生働いても弁償なんてできないんだぞ」


 荷運びを仕切るフランクが、何故か偉そうだった。


「あと少しですザフィル。全て運び終わったら、二人でゆっくり話をしましょう」

「私はロイを手伝いたい」

「そんなもの使用人に任せておけば良いんですよ。そのために雇っているんですし。大体なんでこいつは自分で開けてるんだ。城主のくせに」

「放っといてくれ」


 フランクは酔いもすっかり抜けて元気そうだった。

 それにあの、榛色の双眸の奥に時折覗く冷たい闇も見当たらない。ただの陽気な、快活な好青年にしか見えない。


「ねえザフィル」

「サフィルだ」

「……おっと。失礼。言えていませんでしたかな。俺としたことが、愛する者の名前すらまともに発音できないとは」


 眸に揺蕩う闇は、嘘の現れだと思っている。

 今、薄っぺらな愛を囁くフランクにそれが見られないということは、悪意がない。全く邪心なく従兄弟の妃を口説いている。

 これが『普通』なのだとしたら、それはそれで頭の痛い問題だ。


 本気でロイの代わりをやりたいのか。

 それとも従兄弟への嫌がらせが日常化しているのか。


「どうでしょう。あなたの名前の正しい発音をきちんと教えて下さいませんか。正確な舌使いを、ぜひ」

「……だから私は」

「サフィルが困っているだろう、フランク」


 顔を上げようともせず、次の箱を暴きながら、緩くロイが口を挟む。

 歯が浮くようなフランクの口説き文句から解放されて、サフィルはほっとした。


「いたのかロイ」

「いたよ。ずっと」


 立ち上がれば、フランクよりロイの方が背が高い。

 自分を無視して目の前で妃を口説かれることに怒り心頭の様子で、ロイはサフィルを抱き寄せた。——藁まみれのまま。

 お陰で今日はいつもの花の香りだけではなく、素朴な太陽の匂いもする。


「見境なく口説くのはやめてくれ。何度も言っているように、サフィルは僕のものだ。誰にも渡さない」

「戦略上、だろ?」

「違う」


 サフィルの肩を抱き寄せるロイの腕に、僅かに力が入った。


「君も本気で人を好きになれば分かるよ」


 ロイの静かな声音と優しい言葉に、不意にサフィルの心臓が暴れ始め、頬が熱くなった。

 こんな感情を知らない。幼い頃から王太子として煽てられ、心にもない褒め殺しの言葉をうんざりするほど聞かされてきたのに。

 こんなに心を貫く言葉は、知らない。


 ロイの手が優しくサフィルの髪を撫でて、慰めてくれる。


 あの言葉はフランクに向けてのもの。

 だからきっと、嘘だ。


 そう自分に言い聞かせ、心を鎮めた。

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