第5話 総帥閣下の懸案事項
七隻の武装帆船は、運河の手前からエルデの間にある七つの主要港に一隻ずつ配置された。
一応、航路の安全を保つという名目で。
敵は、自分達の姿を隠して海賊をけしかけた。
だからこちらが打つ手も、それを受けてのものでなければならない。
南部大陸側の意図は明確だったが、過剰に反応しすぎないよう慎重に、ロイはことを運ぶ。南側の思惑を正しく理解し、的確に潰していかなければならない。
向こうの目的は二国の分断。
ならばアルス=ザレラにイゼルアを護る強い意志があることを示さなければならない。
しかも、それとなく。
艦の将校達にも、具体的な意図は伝えていない。どこから漏れるか分からないからだ。
あくまでこれは海賊対策。見栄っ張りな王弟殿下の粋な計らいで、借り受けた七隻は全て最新鋭の新造戦艦。どう見てもやりすぎ感が否めないが、仕方がない。
艦を換えてもらう様子に何か気付かれ、こちらの腹を探られるのも厄介だ。作戦はそのまま続行する。
アルス=ザレラの軍総帥が最も警戒しているものは、南部大陸でも海賊でもない。
世論だ。
せっかく王子同士の婚姻というおめでたい話題で盛り上げた親密な空気を、二国間の往来は危険であるという噂で潰されたくない。
士官には、日々の報告を義務付けなかった。伝わって来る噂の方が正確だからだ。
悪い評判はすぐ城主の元に届く。
しばらくの間、ロイは注意深く耳を澄ませていた。今のところ、悪い噂は聞こえない。
「ねえサフィル。ちょっと港に行ってみようと思うんだけど、一緒にどうかな」
ゆったりとした午後、何気なくそう誘ってみる。
察しの良い妃はすぐに理解した。
「戦艦の乗組員達が心配なのか?」
「まあね。今のところ苦情は来てないけど」
「アルス=ザレラの軍人が、狼藉を働いたりはしないだろう」
「もちろん、その辺りの軍規は厳しいよ。ただまあ、何て言うか、感情的なものもあるし」
サフィルが首を傾げる。
ずっと単独で運河を守り続けた国には、こういう気遣いは無縁だったろう。
かつてエルデ城市は、アルス=ザレラの侵略を受け、併呑された。
もちろん市民は過去を恨んでいないはず。
大国に屈し支配を受け入れたのは、もはや覚えている者もいない古い記憶だ。市民の胸の内には今、かつて独立した都市国家だった誇りと、今は大国の一部である自意識が矛盾せず両立している。
気の回しすぎだとは思うが、父が寄越したあまりにも強そうな武装帆船に、つい余計な心配をしてしまう。
「……分かった。行こう」
サフィルが誘いに乗ってくれて、心からほっとした。
この辺りの民族衣装、鮮やかな色に染めた布を羽織って形だけでも市民に馴染む努力をし、妃の手を引いて城を出る。
護衛が慌てて付いて来るが、ロイはエルデの民を信頼していた。ひっきりなしに肩をぶつけるほどひしめく街の雑踏に、警戒なく紛れ込んでいく。
もちろんサフィルのことは、腕で庇いながら。
ちょうど大きな交易船が入ったばかりだった。活気ある港町に、アルス=ザレラの軍人は探すまでもなくすぐに見つかった。軍服のまま大きな木箱や麻袋を抱えて運んでいる。
無理強いされているのではなく、自主的に手伝っているのだろうと、溌剌とした表情で分かる。
「着任してまだ日も浅いのに、すっかり馴染んでいるな」
「……そのようだね」
「心配する必要なかった」
「まあ石を投げられてないようで、良かったよ」
「またすぐ、そういうものの言い方をする」
ロイとサフィルに気付いて慌てて敬礼しようとする彼らに、手を振って『構うな』と伝える。
どうやらお忍びの視察である、ということを理解したらしく、こちらを意識しつつあからさまに目を逸らすようになった。
「ずいぶん、港での働きがさまになっているな」
揺れるタラップをものともせず、きびきびとした動作で商船から荷を降ろす軍人達。
港の働き手達と、動きに遜色がない。船乗り達の合図も正しく理解できている。
「そりゃそうだよ。全員が港町出身だ」
サフィルが双つの青玉のような眸を大きく見開いた。
ロイは簡単に説明を加えた。アルス=ザレラは内陸に中枢を置いているが、海軍の人材は海岸沿いの都市から集めていると。
理由は、血統主義による失敗の積み重ねだ。
王都あたりの出身者は、海戦において役立たずだった。どれほど優れた血筋の、有能な将であれ、船酔いで寝込んでしまうようでは元も子もない。
そのため艦隊は、波を子守歌に育った、陸に上がっている時の方が体調を崩す、そんな連中のみを集めて成り立っている。
全員が、港の仕事を知っている。教えてもらうまでもなく作業内容を理解しており、人手が必要な場所をすぐに見付けて入り込む。
肉体的にも精神的にも鍛えられているため、労働力として重宝されているようだった。
——おまけに報酬も不要なのだから、使わない手はない。
「良かった。思ったより強そうな船を寄越されて、本気で困ってたんだ」
「まあ確かに船だけ見れば、戦争を仕掛けるつもりとしか思えない」
妃の揶揄に面目なく髪を掻く。
こちらが強気な反応をすれば、当然、相手も硬化する。戦争を回避するための努力が全て水の泡になってしまうところだった。
「父は、こういうはったりが大好きなんだよ」
「格好を付けさせたかったんだろう。息子思いだな」
「大きなお世話だ」
分隊長のティルダも二人に気付き、大きな木箱を抱えたまま慌てているので、小さく頷いて仕事を続けるよう促した。
ただ踵をかちりと合わせただけで、ティルダは荷下ろしの作業に戻っていく。その背は小さいが、頼もしい。
彼女は一昨年の海戦で九死に一生を得た。
囮となって突撃して敵を引き付け、その隙に本隊が背後に回るという、実に無駄の多い作戦の犠牲者となるところだった。
いつも人命や船を無駄にする。大量に捨て駒を使い、資源の浪費に無頓着なのは、大国ならではの傲りだ。勝てはするだろうが、その勝ち方には疑問がある。
あの時救った三隻の船とその乗員を、記録書に記された名前の羅列としてしか認識していなかった。こうして元気に働いている姿を見るのは感慨深い。
間に合って良かったと、心から思う。
これまでは誰に話しても呆れられ馬鹿にされるだけの、アルス=ザレラ人らしくない、無駄な感傷だった。だが今は違う。少なくともサフィルは認めてくれる。笑い飛ばさず、好意的な言葉をくれる。
「帰ろう」
「もう良いのか?」
「うん。だいたい分かった」
港の雰囲気が明るいと、気分も良くなる。
ほんの少し秋の気配のする潮風を感じながら、少し遠回りをして城へ戻ろうと、サフィルの手を引いて歩き出す。
エルデ城市は問題ない。
次の課題は、イゼルアの領土に置いた戦艦のこと。
王太子を国外へ連れ出し、王族と結婚させるという、一方的な手段で結んだ同盟関係。その上イゼルアの主要港に軍艦を配備すれば、見ようによっては立派な侵略行為だ。
下手をするとサフィルを奪還すべきだという世論が芽生えかねない。
「ねえ、サフィルは、他の船もうまくやれていると思う?」
「どうして私に訊く?」
「君の祖国だから」
サフィルは潮風が弄ぶ蜂蜜色の髪に手を置き、力強い眸で、ロイを見上げる。
「我が国では、波はお喋りだと言う」
「……どういう意味?」
「船乗りの噂は船より先に港に着くんだ。海で働いた悪事はすぐに知れ渡る。何も聞こえないということは、そういうことなんだろう」
ロイは深く頷いた。もちろん、残り六隻についても悪い噂は流れていない。
西からの波は、今のところ沈黙している。
「どうしてかな」
「皆、分かっているからさ。護ってくれていると」
アルス=ザレラは戦争を始める気でいるのだと、誤解されるのではないか。そんなロイの懸念は、杞憂なのかも知れない。
仰々しすぎる武装戦艦は、少なくとも本気で運河を護る意志を伝える役には立っている。
父の理想と、だいぶ違うのは確かだが。
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