第3話 『ということにしている』

 武装船団の到着は基本的にロイの機嫌を損ねる事態だったが、まるでそれを埋め合わせるかのようにたくさんのお土産を積んできていた。

 しかもロイを良く知る誰かの指図であろう、好物ばかり。


 夕暮れ、サフィルはいつものように太陽を見送ってから、食堂の間まで降りた。

 と、珍しく、テーブルに何の支度もできていない。

 城主の生活全般を仕切る使用人が、微笑みつつ庭の方を掌で差し示す。甘やかな夏の終わりの黄昏時、開け放たれた扉の向こうに穏やかな灯が点っていた。


 サフィルが庭園に出ると、気付いたロイが仰々しく胸に手を当てて礼をする。

 ゆっくりと、庭全体を見渡してみた。

 エルデグランツ城に足を踏み入れてすぐ、東翼屋上のバルコニーに通され、ここで手を振る沢山の市民達に引きつった顔で応じたのを覚えている。夏の始まりの熱い風と青い空も。


「ようこそサフィル」

「……何が始まるんだ?」

「アルス=ザレラの夕涼みの風習を、エルデ風にアレンジしてみた。迷ったけど、まあ早く食べてしまった方が良いし」


 芝生に上等な毛織りの絨毯が直に敷いてあり、その周囲を沢山の蝋燭が囲んでいた。

 絨毯の上にはガラス製の食器が用意されている。

 エルデ城市とイゼルアは比較的、文化が似通っている。そのためエルデグランツ城におけるサフィルの暮らしは祖国での日常とさほど大きな違いはなかったが、ロイは希に内陸の珍しい風習を取り入れてくれるので新鮮な経験をすることがある。

 今がそれだ。地面に敷物を敷いて、その上に直に座って飲み食いするなど考えられない。


「ここに座れば良いのか」

「そう。内陸ではよくやる」

「……興味深いな」


 城主は、隣国から嫁いできた妃に、自国の伝統を強いることをしない。

 だがサフィルはロイの国に関心があった。

 海がない都市。水平線ではなく地平線を見晴るかす城。真冬に時々降る冷たい雪が、融けずにずっと地面に留まっているという。

 想像がつかない。


「どうぞ。我が妃」

「ありがとう。我が君」


 敷物の上に手を引かれて案内してもらい、そこに座るよう促される。

 届けられたばかりの土産の品が既に並んでいた。恐らくここエルデ城市においても入手困難なものなのだろう。見たこともないものばかり。

 早く消費してしまった方が良いから、という素っ気ない理由を立ててはいるが、様子を見る限り楽しそうだ。


 ロイが自ら注いでくれた酒は独特な強い芳香を持っている。

 食べ物は全て見たこともない素材を知らない方法で加工していた。

 若干の癖があるものの、嫌いというほどではなかった。大国の宮廷文化として洗練されているのが分かる。


 王城を離れたことに未練がないと語るロイも、これらの味覚には飢えていたようだ。

 柔らかな蝋燭の灯に囲まれて、ひとつひとつ説明を受けながら、ゆっくりと時間を過ごす。いつしか薄暮の空は闇に沈み、頭上に星が瞬き始めていた。


「お前は、彼女達のことを知っていたのか?」


 ひととおり食べて呑んで真新しい話題も尽きかけたところで、昼間から気になっていたことを切り出してみる。

 ロイが少し首を傾げた。何を問われたのか分からなかったらしく、質問の意味を丁寧に噛み砕いているようだ。


「初対面だよ。名前は覚えていた」

「名前だけか」

「新造の武装帆船が港の警備なんて地味な仕事を命じられたのに、あんまり嬉しそうだから、おかしいと思ったんだ。そうしたらヒルデブラントと名乗った。その名前は一昨年の戦争の記録にあった。で、色々察した」


 サフィルは黙って頷いた。

 彼女達にとっては命の恩人でも、総帥の側から見れば書類に記された一行に過ぎない。

 ただそれを記憶していた辺りにロイらしさを感じる。


 ロイは片膝を立てて顎を乗せた。


「君は何か言われた?」

「救われたと。お前が父上を諫めてくれたと。とても感謝されたよ」

「……どうかな。別に、兵を救うことは目的じゃなかった。資源を節約しただけだよ」


 くしゃくしゃと前髪を混ぜながら、ロイはつべこべ言い訳を始めた。

 夏至の大潮を控えた時期であり、二日も待てば潮が変わった。わざわざ下流に囮の船を出して敵を誘導せずとも、容易く追い風を味方に付けることができる。だったらその方が合理的だ。

 大国ゆえの傲慢さで、いつもそうやって安易な方法で戦局を強引に変えようとする。けれども身を切らずに勝てる手段が目の前に転がっているのに拾わないのは理にかなっていない。

 あの場合は二昼夜、敢えて膠着状態のままにしておくことが、唯一論理的な策だった。そして海戦の基本が分かっていない内陸人の父に潮目について理解させるより、人道的に訴える方が効果的だと考えた。


 兵を救ったことへの弁明を早口にまくし立てて、ふとロイは黙り込む。

 そして小さくため息を吐いた。


「君に嘘をつかないって約束したよね。だから、付け加えておく。『ということにしている』」

「……面倒臭いな、お前は」

「僕もそう思うよ」


 囮を使うより、潮の変わり目を待つ方が論理的だったから——『ということにしている』。

 弱さや優しさを論理で覆ってしまう悪い癖に、本人はちゃんと気付いているようだ。


 素直に『無駄死にさせられる兵士達を助けたかった』とは言えない。

 大国アルス=ザレラは勝利への犠牲を厭わない。そういう人間になるべく教育されているからこそ、異論を挟むことを封じられてきたからこそ、ロイは己の優しさが表に出てしまわないよう欺く術を身につけた。


 妃に対して嘘をつかないという制約は、自分が嘘つきであるという自覚の上に存在する。


「この政略結婚も『ということにしている』のか?」

「いや、これは本当に戦争を回避する最良の手段なんだ。抑止力だよ。戦わずに、もし戦いになれば負けるっていう圧力を敵に与えること。アルス=ザレラは強くなり過ぎた。実際に戦う必要なんてもうないんだ。戦わないことが唯一の道であり、別に僕が一度結婚してみたかったとか、そういう意図は全然なかったんだよ。本当に」


 またしても早口に熱弁した後、二つ年下の主君は、ばつが悪そうに照れ笑いした。


「第一こんなの、アルス=ザレラの伝統的なやり方じゃないか。王族との婚姻による関係の強化。ここエルデ城市だって何世代にも渡って城主一族と王族が嫁のやり取りをしているんだし」

「ありがちな手だとは思う。が、運河の防衛に関してそのありがちな手が通用するとは思ってもみなかった」


 まして自分が妃として隣国に嫁ぐことになろうとは。

 どの角度から吟味しても全く破綻のない、完璧とも思える作戦だけに、驚嘆した。まさかこんな方法があったとは、と。


「これが、運河を護る、一番簡単な方法だと思った。簡単じゃないのは僕達の心の中だ」

「お前が私に心を砕いているのは分かる。これ以上ないほど大切にしてくれている。私はむしろ、お前の方が心配だ」

「僕は……平気だ。むしろ最近、逆の心配をしているよ」

「逆?」

「そう」


 ロイはガラスの酒器を口元に運び、軽く喉を湿らせ、一息ついた。

 高速で働く頭を休ませるように。

 そして丁寧に言葉を選ぶ。


「君が来るまで僕は、この作戦期間中、見ず知らずの他人と一緒に暮らす苦痛をどう乗り切るかばかり心配していた。まあ城は広いから、いざとなれば生活空間を完全に分けることは可能だし、何とかなるだろうと思っていた。けど……今は、君と夫婦でいることが楽しくて、困っている。正直意外だったよ、僕がこんな風に思うなんて」


 何がそんなに、ロイの心に響いたのだろう。

 恋ができない城主の孤独な心は、どういう訳か初対面の妃を受け入れた。


 それはサフィルにとってとても光栄なことであり——


「このままでは良くないね。冷静にならないと。君は永遠にここにいる訳じゃないんだから」

「……その通りだ。私の祖国イゼルアが待っている。ずっとお前の妃ではいられない」


 ——何故か、とても苦しいことでもあった。

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