第2話 サバイバーズ・ギルト

 平穏な日々を取り戻しつつあったエルデの港が、今日ばかりは賑やかだった。


 東の水平線上に七つの黒い点が見つかってからずっと、騒ぎが続いている。最初は敵か味方か分からず困惑が広がり、アルス=ザレラの旗を確認できた後はそもそも武装船団が何の目的で集まって来たのか、七隻も港に入らないがどうすれば良いのか、先日の海賊事件が戦争を引き起こしたのでは、と大人達は揉める。その足下で、子供達は最新鋭の武装帆船の格好良さにはしゃぐ。


 エルデ城市の港に帆船七隻ぶんの桟橋がないことをアルス=ザレラ海軍は承知しており、入港したのは一隻のみだった。

 それでも、間近に見ると漆黒の軍艦は威風堂々としている。

 船と呼ぶには異質だった。船員を減らし砲門を増やした、海に浮かぶ砲台。他を圧倒する大国アルス=ザレラの軍事力と、富の象徴だった。


「仕事内容は分かってるね。君達はこれから、運河の手前までの各港に一隻ずつ逗留して、イゼルア南岸の警戒に当たることになる。明確な海賊行為があった場合、および先制攻撃を受けた場合に限り反撃を許可する。絶対に先に手を出してはいけない」


 緩い声音の総帥に、兵士は踵を揃えて快活な返事をする。

 きびきびとした、良く訓練された動作だった。兵の練度の高さに、サフィルは驚く。


 アルス=ザレラは内陸の国。領土を広げていくうちに北部大陸の南岸まで到達してしまったが、本来はもっと乾燥した広い大地に根を張った者達だ。

 海での戦いは不慣れで、力も入れていない。そう思い込んでいた。海軍が強いという噂も、単純に物量でごり押ししているだけだろうと。

 実際は——恐らく造船技術においても最高水準を誇っている。


 隣国の力を垣間見る度、サフィルの胸にそこはかとない不安が押し寄せる。

 何故、祖国は呑まれなかったのか。

 運河の管理を任せるために襲わなかった、というロイの話が真実であれば良いが。


「海賊を見張る以外のことはしなくて良い。街に迷惑をかけないように。以上だ」


 緩く話をまとめ、着港の挨拶は簡単に終わった。

 ロイは一刻も早くその場を離れたがっている。


「……サフィル。どうかした?」

「いや。何でもない」


 借りた力があまりにも大きく恐ろしくて腰が引けてしまった、などと口が裂けても言えるはずがない。

 適当にはぐらかそうとしたが、察しの良いロイが心配そうな顔をするので、ただ繋いだままの手を強く握った。


 彼を信じる。

 戦いを避けるべく、人嫌いな総帥が自ら政略結婚するという斜め上の策を打った。

 そしてサフィルはその策に乗った。

 全てはキルスティン運河を護るためだ。南部大陸に渡す訳にはいかない。


「近くで見てると怖いよね。鉄と油の匂いもきつい。帰ろう」

「お妃さま!」


 さっさと踵を返そうとするロイに従うつもりでいたサフィルを、兵士達を纏める女性が呼び止める。

 緊張のあまり声が上ずっていた。恐らく彼女の身分では、総帥の妃サフィルは気安く声をかけて良い存在ではないのだろう。

 だからこそ、なぜそんな勇気を振り絞ったのかが気になって、サフィルはいまだ整列したままの兵士達の方を向く。


「何だ」


 彼女は次の言葉をなかなか言わない、いや言えないように見える。

 そのさまがくしゃみを堪えているようで、やや滑稽だった。


「——サ、フィル、さま」


 ようやく発した言葉に、躊躇いの意味を察した。

 サフィルは頷く。


「良く言えたな」


 労ってやれば彼女は安堵の表情になる。顔を赤らめ、目を潤ませていた。もしかしたら、発音を誤れば罰せられる覚悟でいたのかも知れない。

 自分の名前がアルス=ザレラの国民にとって面倒臭いものになっていることに、サフィルは小さく苦笑した。命懸けで発音する覚悟が必要なのなら、城主の従兄弟がいつまで経っても言えない訳だ。


「ぜひお聞きいただきたいことがございます」

「ああそれ、多分、僕が聞きたくない話だと思うから、向こうで待ってるよ」


 何か勘付いたロイが手を解いて離れていった。

 城下に出る時はいつも手を繋いでいたため、放されると微妙に不安になる。が、二人の態度で分かる。これから彼女が伝えようとしているのが、他ならぬロイのことだと。

 だったら聞かざるを得ない。


「まず、名前を教えてくれ」

「ティルダ。ヒルデブラント分隊長ティルダ・フランツィスカ・ヒルデブラントです」

「そうか。では話を聞こうか、ティルダ分隊長」


 彼女はぱあっと顔を輝かせた。名を呼ばれて光栄だと言わんばかりに。


「サフィルさまのお心に留めおき頂きたいのです。ここにいるヒルデブラント分隊を含む三個小隊、総員七十五名。二年前ヴェルザス沖の海戦において総帥閣下に命を救われました。大元帥閣下は突撃を命じられましたが、ご子息たる総帥閣下が諫めて下さったのです。無駄である、無益である、ただの犬死にに過ぎぬと言葉を尽くして」


 興奮を抑えて静かにゆっくりと語る言葉。

 それはロイ本人が教えてくれることのない、彼の戦い。

 たったひとつの命をも無碍にしない、心優しい総帥の姿。


 彼女がきっとこの総帥閣下の武勇伝を語るはずだと察したから、ロイは離れたのだ。

 それが分かってサフィルの心が和む。


「我ら皆、総帥閣下に恩を返すべくこの任務に志願致しました。閣下に救われた命、閣下のために役立てる所存です」

「そうか。では、死ぬなよ」

「……はっ?」

「命を救われたという自覚があるのなら、救われたその命を大切にするといい。分かっているとは思うが、我が主君は人が傷付くことを嫌う。守ってもらったものを、守り続ける。それが一番の恩返しだ」


 不意に、ティルダの頬にぱたぱたと涙が溢れた。

 彼女の中で、命を救われたことが何らかの重い枷になってしまっていたようだ。

 戦場で死を免れることは、決して恥ではない。だが罪悪感が付き纏い、素直に喜ぶことができない。

 何故なら、同じ条件で散っていく者があるから。


 ふとサフィルは理解した。

 彼女と同じ経験を、ロイは過去にしている。同じ病を患って自分だけ回復し、弟を喪った時に。

 兵士達よりもずっと幼く、未熟な頃に。


 生還した者の苦痛を誰にも味わって欲しくないから、死ぬべきは自分だったという無意味な後悔を抱えて欲しくないから、策士はなるべく犠牲を出さない戦略を練るのではないか。

 ロイの優しさの根幹に触れた気がして、サフィルの胸が僅かに痛む。


「ただ総員が、総帥閣下の言葉の意味を正しく理解し、適切に任務に励むこと。それだけを望んでいる」


 涙を零しながらも、それを拭うため姿勢を崩すことはできないのだろう。震える指先を大腿の横にぴたりと添えたままのティルダに、サフィルは会話を早く切り上げるべく簡単な激励をした。

 揃った所作で敬礼をするヒルデブラント分隊に頷いてみせ、踵を返す。


「ロイ」


 港の手前のマーケットで何かを食べているロイの背中に声をかける。

 口の中がいっぱいですぐに返事ができなかったサフィルの主君は、慌ててもぐもぐと咀嚼し嚥下してから、いつもの笑顔になった。


「終わったかい?」

「多分」


 曖昧に答えると、ロイは首を伸ばして桟橋の方を確認した。

 サフィルも振り向いてみれば、ヒルデブラント分隊が戦略会議中だった。港の賑やかさに紛れて声は聞こえて来ないが、分隊長がきびきびと指示を飛ばしているのが見て分かる。


「……ただの海賊対策なのに」

「気が引き締まったのだろう。総帥閣下と直に会えて」


 ロイが子供のように顔をしかめる。軍総帥として扱われることが、本当に嫌いらしい。


 状況はひとつ形を変えた。

 敵側も策士がいて、こちらの思惑を切り崩しにかかっている。

 力で圧倒するアルス=ザレラの流儀は、まだ戦争が始まっていない状況において不利な条件にしかならない。海賊船一艘の被害に対して最新鋭の武装帆船が七隻、これでは北の側の方が戦争を始めたがっているように見える。

 先に仕掛けて来た南は巧妙に、大国の被害者になろうとしている。


 思惑通りにことは進まない。

 だが案外、ロイは楽しそうだった。


 分からない話でもない。ゲームは実力の釣り合う者とやる方が面白い。

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