第5話 二人でいること

 ロイの胸には、フランクが残していった命題が引っかかったままでいる。

 帰りの市場で南の大陸から入ってきている物品の動向についてそれとなく情報を仕入れ、これから作戦の第二段階を練る予定だったが、そちらに頭が回りそうにない。


 夕食後すぐ、ロイはサフィルに詫びて部屋に戻った。やっと二人だけの静かな時間が戻ったのに、頭の中がうるさくて仕方がない。これを片付けない限り、本当の静けさは戻らない。

 サフィルが残念そうな貌をしてくれた。だがこのまま上の空で相手をする方が申し訳ない。


 厄介な性分だという自覚はある。

 去り際のフランクの言葉は失言だったのか、それとも挑戦か。意図があるのか単なる出任せなのかも分からない。けれども、解かれていない問題をそのままにしておくことが、どうしてもできない。


 最も詳細な北大陸の地図を机に広げ。

 四隅をオイルランプで押さえた。

 そして金縁の鼻眼鏡を指で手挟んで位置を直し、焦点を丁寧に合わせる。


「さて……」


 机に両手をついて前のめりに地図を睨む。

 証明に必要な条件は不明。フランクが嘘をついていたことは確定的だが、嘘の範囲が分からない。二つの条件のどちらか、もしくは両方、つまり三つの検証が必要だった。

 虚言癖のある男の妄言か、それとも重大な何かを隠蔽するための謀略かを、見極めるために。


「フランク。君は——」


 どこにいた。

 いつ知った。

 どう動いた。


 サフィルが幸運をくれた。船が着いた瞬間を二人で目撃している。海路は風と波に支配され、陸路ほど速度の自由が効かない。港も少なく、多少は行動を絞り込める。

 無意識に前髪を指で弄りながら、ロイは地図を辿り続けた。この謎の解答が、従兄弟のでたらめだったとしても、それはそれで構わない。作戦への懸念がひとつ消えたと喜べる。


 思い浮かぶ都市と経路を、二十ほど検証し終えた頃。

 突然、ノックの音に集中を破られ、ロイははっと我に返った。


 目が悪いせいか、ロイは耳が敏い方だった。特にものを考える時、雑音を酷く嫌う。

 塔の先端は滅多なことで物音がせず、波音すらも遠く、快適な空間のはずだったのだが。

 硬直してしまったロイに行動を促すように、爽快なノックの音が再び響く。


「あ……えっ? サフィル?」


 他に、この部屋の扉をノックする人物はいない。


「どうかした?」

「いや。ただ邪魔しに来ただけだ。入っても良いかな」

「どうぞ。鍵はかけていない」


 邪魔しに来たと、自分で堂々と言い切ってしまう。悪びれない妃にふと心が和んだ。

 もし従兄弟の誰かが同じことをしたら不愉快に思うだろう。サフィルは何故か、ロイの心に一切の負担をかけなかった。人と関わることが煩わしくて仕方のない孤独な城主に、二人でいる楽しさだけを教えてくれる。


 控え目に扉が開き、サフィルが身を滑り込ませた。

 湯浴みを済ませたようで、ゆったりとした室内着を纏っている。いつも丁寧に結われている髪は綺麗に洗って緩くまとめられていた。


「そうだろうと思った」

「何が?」

「夕食の時のままだ」

「……ああ」


 言われて改めて、自分を俯瞰してみる。確かに、着替えてもいない。

 もはや街が寝静まる時間なのに。


「朝までそのままのつもりだったのか?」

「その可能性は否定できない」


 ロイは前髪をくしゃくしゃと混ぜた。

 考えることに集中してしまうと時間が経つのを忘れる。もう寝る時間だと言いに来てくれた妃に、あらためて感謝した。


「それで何か進展は? 従兄弟の置き土産について」

「難しいよ。確定条件が少なすぎて詰められない」


 手招きして、地図を広げた机にサフィルを呼ぶ。

 素直に近付き、机を覗き込んで目を丸くするサフィルの、石鹸の甘ったるい香りに心を擽られつつ。ロイは地形まで詳細に書き込まれた、まるで神の視界を写し取ったような地図に指を滑らせた。


「ここがライアンベルム。アルス=ザレラ東部の古い街だ。フランク本人が言う通りここに滞在していたら、エルデから情報が行って本人が来るまで、どのルートを通っても二十日以上かかる」

「遠いな。それにだいぶ内陸にある」

「王族が治めている街だし、あいつが居候する場所として適切ではある。時間の矛盾がなければ信じたかも知れない」


 あと数日、どこかで時間を潰していたら、嘘に気付かなかっただろう。


「ここが王都。ここからなら十五日もあれば来れる。けど親族の目を盗んでってのは不可能だ。従兄弟姉妹達からの手紙に、何も書いてなかった」


 当たり障りのない内容の手紙はサフィルにも見てもらった。たとえ表面だけだろうと、祝福の言葉は二人のものだからだ。

 お陰で祝いの手紙に書き添えられた近況を、第二妃の頭痛の具合から第七王女の飼っている子猫の名前まで知ることになったサフィルにとっても、第六王子の来訪は寝耳に水だったはず。


「王族は常に互いの腹を探り合っているから、誰一人あいつの行動に気付かなかったとは考えにくい」

「確かに、誰かが直接行くと分かれば、手土産のひとつも託すだろうしな」

「そうだね。結婚祝いが郵便船で届いたことも、あいつが王都にいなかった証拠だ」


 むしろ王都にいなかった言い訳のための嘘ではないかと、ロイは推測している。


「あと、可能性のある街は——」


 地図に載っている都市を、可能性の高い方から幾つか指で辿ってサフィルに示していく。

 日数が合う町は多い。むしろ多すぎて絞り込めない。複数の解が得られるのであれば、その証明は失敗だった。

 それに、嘘をついた理由も分からない。

 

 双頭の黄鷹旗を掲げた王族の帆船について各港町に訊いて回っても良いが、得られる情報の確度に不安がある。第六王子は滞在場所を偽ろうとした。ロイの詮索を警戒し、既に手を回している可能性が否定できない。


「仕方がないから、父から漏れた線を検証してみるよ」

「それは最後にしよう」

「身内だから疑いたくないって?」

「……そうだな。信じたい人間を信じるのは、人間の弱さだ。が、私は王弟殿下を信じたい。私の義理の父だ」


 サフィルの言葉は驚くほど温かい。

 恐らくサフィルにとって、家族を愛するのは特別なことではないのだろう。会ったこともない、単なる政略結婚相手の父親をさえ、身内の範疇に捉えてくれている。


 危険な感情だ。

 大抵、敵は身内に潜んでいるものなのに。


 ただ何故だろう。サフィルの見せた愚かしいほどの甘さが、どういう訳か胸に浸みる。


「それにしても詳細な地図だ。大国アルス=ザレラの技術は素晴らしい」

「うちは多民族国家で、内紛が多い。地理を正確に把握するのは大切でね」

「ここに載っていない、あいつが隠れられそうな都市はもうどこにも残っていない訳か」

「載っていない……?」


 刹那。

 ロイの額がかあっと熱くなった。

 鮮烈な閃きを得て、一気に血が巡る。頭が急に働き始めたのが分かる。


 慌てて地図に齧り付き、隅から隅まで目を走らせた。

 


 地図から顔を上げ、部屋の中央の地球儀を見る。


「……もしかして、そこにいたのか。それで、咄嗟に出てきた地名がライアンベルム。もっともらしい嘘をつこうとして、しくじったな」

「ロイ? 何か分かったのか」


 横でサフィルが怪訝な貌をしていた。


「ああ、ええと、ごめん。まだ不確定だから話せない。……君が手がかりをくれたのに」

「手がかりを? 私が?」

「そうだよ」


 これから検証をして、サフィルの指摘通りだと証明できたら、きちんと説明しなくては。

 ——想定以上に面倒なことになったかも知れない、と。


「ねえサフィル。僕はつい最近まで、共同で何かをするのは非効率的だと思っていた。別の考えの人間と意見を擦り合わせるのは時間の無駄でしかないと」

「それはお前が賢すぎるからだ。頭が速く働くせいで何か見落とすこともある。私は鈍いから、余所見をしがちだ」


 いつも自分は頭が悪いと謙遜してばかりの妃に、ロイは苦笑した。

 無意識の思い込みを打ち破ってくれたサフィルは、こんなにも可能性に満ちているのに。


 一緒にいてくれて、こんなにも心強いのに。

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