第4話 従兄弟の厄介な置き土産
客人が妃を口説いている現場が巡回中の兵士に見つかり、城を上げての一大事案と化した。
そして、城主にどう処されたのかは知らないが、フランクは急に旅支度を始める。
サフィルは内心ほっとしていた。
客観的に見て、魅力的な男性であることは確かだ。が、作戦を邪魔するただの異物としてしか認識できない。
城主の言葉を借りるなら『雑音』。
出立が近付いてもなお顔を合わせる度にサフィルに愛を囁くのを、呆れつつ流していた。
そして旅立ちの日。
潮流が東へ向く午後、フランクとロイ、それにサフィルは港へ向かった。
さんざん邪険に扱った従兄弟を、きちんと見送りに行く。その理由は、フランクを乗せた船が桟橋を離れるさまを自分の目で見届けないと信用できないからだそうだ。
船だけ帰らせて街に潜むつもりかも知れないと、ロイは疑っている。繊細な質だということを知っているサフィルも、これには苦笑するしかなかった。
双頭の黄鷹を描いた旗が翻る瀟洒な帆船は、旅に必要な食糧を既に積み終え、帆も上げて、主の乗船を待っていた。
港へ向かう道すがら、ロイが教えてくれた。鷹はアルス=ザレラの嫡流を意味し、王族の中でも『長男の息子達』だけが使うことを許される象徴らしい。
子沢山すぎてもはや伝統的な意匠は使い尽くされ、どんどん奇抜になっていき、とうとうフランクの代で頭が増えてしまったとのこと。
「どうして王は妃を複数持てるんだ? 王族ばかり無駄に増えても大変だろうに」
「記録にないから憶測だけど、過去に王統が途絶えかけたことがあるんだと思うよ。昔から同性の婚姻も認められていたし」
「なるほど。衰退しかけた時に与えられた王の特権を、今更廃止できない訳か」
意外な事実。
国王にのみ許された一夫多妻と、同性婚。大国の不思議な風習二つが、実は繋がっていた。もし国王が男の妃を娶れば、確かに王統断絶の危機が迫る。
現在、紋章が足りなくなるほど王族が増えてしまっている。
なかなか都合良くはいかないものだ。
「では、さらばだ。世話になったな兄弟!」
風を受けて帆を膨らませている船の前で振り向き、フランクは大袈裟な笑顔で両腕を広げる。
ロイは心底うんざりした様子で顎を上げた。
サフィルに迫ったことを、いまだ赦していない様子。
「……世話なんかしないで、海に放り出してやりたかったよ」
「まあまあ。楽しかったろうお前も」
「邪魔でしかない。少しは気を利かせて欲しいものだ」
「つれないなあ。お前が結婚したって噂を聞いてライアンベルムから飛んで来たってのに」
抱擁に応じてくれない従兄弟を自ら抱きしめに戻るフランクと、本気で嫌がっているようにしか見えないロイ。従兄弟二人は相変わらずに見える。
フランクの親しげな態度と、ロイがそれを邪険に扱うさまは、最初と同じ。サフィルに手を出したことで関係が拗れるかと思ったが、意外とそうでもないようだ。
相手を信頼しない前提の上で、従兄弟同志の今の距離感がある。だから良くも悪くもならない。
ロイを暑苦しく抱擁した後、フランクはサフィルの方を向いた。
「お別れが名残惜しい。ザフィ……ッ」
「最後まで直らなかったな」
「……本当にこの、物覚えの悪い舌が恥ずかしい。次に会う時は必ず、あなたの美しい名前を正しく囁いてみせましょう」
苦笑するしかないサフィルの横で、ロイがあからさまに不機嫌な貌をしている。
従兄弟の無礼な言動はだいたい冷たくあしらうが、妃をいじられることだけは容赦しない。
「さっさと帰れ」
両腕を広げてにじり寄って来るフランクに身構えていたサフィルは、抱きしめられる寸前、ロイの腕に奪い取られた。
港の労働者も、王族の帆船の出航を見物に来た市民も、たまたま桟橋近くにいた者さえ、こちらに注目しているのが分かる。
妃として、城主の所有物として扱われることがいたたまれず、屈辱に顔が熱くなる。この状況で頬を染めれば愛する者の腕の中で恥じらっているようにしか見えないことに気付き、更にサフィルの胸は波立つ。
サフィルの混乱を理解しているのかいないのか、ロイの手は愛おしそうにサフィルの蜂蜜色の髪を撫でる。
周囲の視線を憚ることなく。
この身長差が良くない。サフィル自身は立派な成人男性であり、さほど小柄でも華奢でもないと思っているのだが、ひときわ長身なロイに抱き寄せられればあっさりと、城主の寵愛を受ける妃の構図になってしまう。
「やーれやれ。お熱いことで」
揶揄うフランクの眸の底にあの闇がちらついたような気がした。
「また来る」
「もう来なくて良い」
陽気に手を振りながら、フランクが帆船に乗り込む。
タラップが上げられ、鎖が外され、碇が巻き取られていく。陸では大型の船が通ることを知らせる銅鑼が打ち鳴らされる。
ゆっくりと、船は岸を離れていった。
「参ったな……」
「どうかしたのか?」
まだサフィルを抱き寄せたままのロイが小さく嘆息した。
「あいつの置き土産が、なかなか問題だ」
「置き土産……を……して行っただろうか」
「最後の最後にね、尻尾を出した」
そろそろ放して欲しかったが、ロイはサフィルの髪を指に巻き付けるのをやめない。
策士は妃を抱き寄せ髪を弄りながら、遠ざかっていく従兄弟の船をぼんやり眺めて考え事をしている。
ロイは困った時に前髪をくしゃくしゃ混ぜる癖があるが、どうやら誰の髪でも良いらしい。
「……私は、何も気付かなかった」
「それは、君がアルス=ザレラで産まれ育った訳ではないからだね」
「この国の民であれば分かるのか?」
「距離感だよ。あいつがここに来たのは僕達の結婚から十八日目だった。ライアンベルムで噂を聞いて飛んで来たんじゃ、どうやったって間に合わない」
やっとロイが腕を解いてくれた。
サフィルはあらためて、真正面からロイの眸を覗き込む。
「つまり……嘘だと」
「そうだね、少なくともどちらか、あるいは両方、真実ではない。ライアンベルムにいたことか、結婚の噂を聞いてから行動したことか」
「……違う場所にいたか、もしくは、最初から結婚のことを知っていた」
「邪魔が入ると面倒だから、作戦内容はイゼルアの国王陛下と父にしか伝えていない。そこから漏れるとは考えにくい。でも滞在していた街を偽る理由も分からない。……厄介だな」
フランクの眸の底に宿っていた闇の正体を垣間見た気がして、サフィルの背が冷たくなる。
もちろん勘付いていた。従兄弟の婚姻を祝福しに来たら妃に横恋慕してしまった、という明るい調子の話ではないことくらい。
「心配しなくても、このての頭脳戦であいつに負けることはない」
「……背負ってるな」
「だって、僕の得意分野だ」
サフィルが怯えていると感じたのだろう。ロイは強がってみせてくれた。
***
「お妃さま」
マーケットを眺めながら城へ帰る途中、ロイが異国の骨董品に目を奪われている隙を突くように、サフィルにそっと声をかける者があった。
振り向けば、いつか耳飾りを購入した職人が、淑やかにお辞儀する。
「お妃さまの耳飾りをお返ししておりませんでした」
「ああ」
特に高価なものでも、思い入れのある品でもなかったが、城主の妃の忘れ物がいつまでも手元にあるのも落ち着かないだろう。
サフィルは素直に掌を差し出した。
と、職人は働き者の硬い手で、鞣し革の小さな袋を握らせてくれた。掌に収まってしまう程度だが、指先に乗るほどの金の耳環を包んでいるにしては明らかに大きすぎる。
手触りで分かる。この袋には、何か別のものが入っている。
「これは」
「紛失なさってはいけません。どうかお妃さま、大切にお持ち下さいませ」
小さな革袋を握るサフィルの拳を、職人の手がぽんぽんと優しく叩いた。
何も訊かず持って行けとばかり。
「……分かった」
異国の珍しいなにかを手に入れて上機嫌で戻ってきたロイに、彼女は慎ましやかな会釈をした。
どうやら城主には秘密らしい。
「どうした?」
「前に忘れた私の耳環を返しに来てくれただけだ」
サフィルはそっと、革袋を帯に挟んだ。
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